EP12-05





「低く身を伏せていろ」


 端的な忠告と共に、神奈木博士は右の掌を天蓋に掲げた。するとと──電極エーテルが爆ぜる。それはさながら、暴走した自動天候循環ウェザーローテーションが空に放った三叉の槍トライデントのようだ。

 大広間の中空を縦横無尽に走る暴力的な電流が、壁に描かれた宗教画の数々を鮮明に照らし出す。皮肉なことにその中の一枚は、雷帝の気まぐれミョルニルの鉄槌が描かれた作品だった。


『──なっ?』


 テラの、サヨさんの、ゲントク老師の、そして私の──驚嘆の声が一斉に零れる。続いてと──小型銃器ビットが墜落する音。焼け焦げた金属の重たい臭いが鼻先を刺激する。床に落ちて無力化された銃器の姿を確認すると同時に、私は全速力でサヨさんの元へと駆け寄った。


「サヨさん、すぐに止血しますから」


 流血の目立つ部位を選んで強く圧迫していく。私の手の大きさではどうにもならない太腿の部分には、制服のジャケットを脱いで帯状に巻き付けた。これでしばらくは時間が稼げるはずだ。道徳調和機関ロースクールで学んだ救命術が、実際に役立つ日が来るなんて夢にも思わなかった。


 応急処置の痛みに顔を歪めながら、サヨさんが問いかける。


「あれは──どんな理屈トリックですか? 神奈木博士ディア・ジニアスは……一体何者なの?」

「神奈木博士は、意外なことに曲芸マジックが趣味だそうです。あれほどの完成度クオリティだとは、まさか私も思いませんでしたけど」


 私の冗談に、サヨさんは目を白黒させた。そして口元だけで笑う──笑おうとしてくれる気遣いが、何よりも嬉しかった。


 そうか、サヨさんは神奈木博士の存在理由レゾンデートルを──その出自を知らないのだ。ともすれば、ゲントク老師も同じ。


 けれど、知っていたところでどうなるというのだろう。テラの反応を見る限り、り尽くしていた彼でさえも驚いているのだ。私たちの目の前で起きた現象を、にわかに信じることはやはり難しい。自らの電源機関バッテリィ放電解放してみせたのだという理屈トリックは、想像に難くないにしても。


 困惑の中で、神奈木博士の不可解メタリックな肌の感触を思い返す。ひんやりとした不思議な肌触りにぬくもりを感じ取れなかった自分に、少なからずの嫌悪感を覚えた。


「これはこれは──不思議なこともあるものだ。一体何という名の兵器なのか」


 さすがと言うべきか、ゲントク老師はすでに落ち着き払った態度を取り戻していた。胸元から取り出した鋭利な軍人鋏アーミーナイフを、神奈木博士に向けてゆっくりと構える。


「爺さん、もうやめろ。そんな原始的な武器でどうにかなる相手じゃない」

「ヒュムよ──こんな老いぼれにも守るべきものがあるのだ」


 テラの制止に聞く耳を持たず、ゲントク老師は駆け出していた。最短軌道で繰り出される渾身の一突きが、目にも留まらぬ速さで神奈木博士に襲いかかる。

 だからその凶刃は、神奈木博士の胸元をあっさりと捉えた。無言で構える彼女の胸元を、造作もなく確かに突き刺したはずだった。


 しかし、老師の手首はぐにゃりと折れ曲がり──からんころんと刃物ナイフの転がる乾いた音が響く。


 痛々しく変形した右手首を押さえながら、「やはりそうなのか」と納得の表情を浮かべるゲントク老師。しかし瑣末なものは視界に入らないとばかりに、神奈木博士は遠い目をして独りごちる。


「もしも私に魂などと云うものがあれば──013や042も救えたのだろうか」


 もちろんその言葉は、だ。

 理解不能アンノウンの域を出ない呟きのはずだ。


 そんな博士の言葉が、私の胸を深く抉った。


 もしもが、この世界が造り物だと最初からっていたのなら──もっと違う選択肢が幾つもあったのではないか。惰性のように連続する傍観と観測に甘んじることなく──救えたはずの生命いのちが幾つもあったのではないか。


 たとえば、行動に魂を伴って──。

 雪白ミツキ母さんのように声高に叫ぶことが、には出来たはずなのだ。

 

 観測者ザ・ワンである神奈木コトハは、世界の上澄みから零れ落ちてしまったものをずっと見てきた。たった一人で──たった独りきりで。


 、何も感じられなかった彼女は。

 、果たして何を想うのだろう。


 ただ漠然とした悲しみに駆られて、私の頬を一滴の涙が伝う。

 ふと見やれば、テラも同じ様子だった。

 未だかつて見たことのない、沈痛な面持ちで神奈木博士を見ている。


 次の瞬間──。


 神奈木博士は、ゲントク老師の右腕を折った。

 次に左腕を、続いて左脚を、折って、砕いて、潰していった。

 何の理屈トリックも要らない、純粋な打突。

 繰り返される度に、関節が損壊する小気味よい音が上がる。

 効率的に、どこまでも効率的に──神奈木博士は、ゲントク老師の戦闘力を殺していく。あるいは、生命力を──。


 眼前で繰り広げられる破壊行為に、私とサヨさんは言葉を失っていた。あまりの光景に私たちが唖然とする中──唐突にテラが叫ぶ。


「神奈木コトハ! 殺しちゃダメだ! それは違う。そのやり方をしてしまったら、俺たちはもう戻れない」

「──何故だ? ホムラやお前を救うにあたって、これが最良の手段だろう」

「違うよ。殺してしまったら、俺たちは死の匂いを知らない子供イノセントではいられない。一度奪ってしまったら、んだ」


 テラは、らしからぬ必死の形相で神奈木博士を説得する。遥かな高みに生きる神奈木コトハには、同じ次元を生きるテラの言葉だけが届くのかもしれない。

 本当に残念だけれど、私にはテラの言葉の真意が理解出来なかった。おそらくはこの先も、理解してあげることは叶わないだろう。成長因子を残したままの私のカラダは、今この瞬間にも勝手に滅びていくのだから──。


 だけど。

 ただ──ただ少しだけ。


 烏滸おこがましくも少しだけ、分かったような気がしたのだ。

 テラが人類の可能性Human Materiaの国を作りたがった意味が──DUMの中だけでヒュムたちを循環させようとした理由が。


 テラが自分たちの世界を閉ざそうとしているのは、他ならぬ私たち無能な命のためだったのだ。


「神奈木博士、俺たちに加勢してくれてありがとう。だけど身勝手を承知で、1つだけわがままを言わせてほしい。ここは──ここはどうか、身を引いてくれないか? これからの生き方を議論する時間なら、後から幾らでも作るから──」


 私とサヨさんは、神奈木博士の判断リアクションを息を呑んで見守る。縋るような面持ちをしたテラが、とても印象的だった。


 ややあってから、神奈木博士は小さく嘆息した。満身創痍となったゲントク老師を、丁寧な動作で床に横たわらせてから答える。

 

「──分かった。魂という概念は処理能力を鈍らせ、判断を誤らせるのかもしれない」

「悲観しないで神奈木博士ディア・ジニアス──俺たちはきっと、まだ黎明期生まれたてなだけだよ」

黎明期れいめいきか──沓琉トーマもそう思ってくれていると良いな。私はココロからそう願うよ」


 どこか悲しげな影を落としながら、それでも微笑み合う二人の穎才ジニアス。やがてこちらを振り返った神奈木博士は、サヨさんを介抱する私の傍に歩み寄って問いかけた。


「ホムラ──下界のことは私に任せてくれないか? ヒュムたちにも混乱が広がっているようだ。もちろん天語サヨも、それに九流ゲントクの治療も、私がさせてもらう」

「神奈木博士になら、安心して任せられます。ですが──」


 その続きを口にするには、大きな覚悟を必要とした。


「神奈木博士、もう良いのですか? その──私を観測しなくても、構わないのですか?」


 残酷な質問を投げている自覚は充分にあった。それでも私は、知っておきたかったのだ。神奈木コトハの選択を──その魂が下した決断を。


「ああ、もう良いんだ。その代わり──いつかお前の決断を聞かせてくれ。観測者ザ・ワンとしてではなく、ただの神奈木コトハとして──雪白ホムラの選んだ道を見てみたいんだ」


 やわらかな笑みと、やわらかな声に、私は首肯する。


「約束します。新世界の片脚ワールドトリガとしてではなく、私自身雪白ホムラの選択を──必ずあなたに報告すると」


 私は恐る恐る、神奈木博士の胸元へと手を伸ばす──ゲントク老師が辛うじて刻んだ、その胸元の亀裂へと。

 そっと指先で触れると、微細な電流パルスが流れ込んで私の腕を痺れさせた。それは私が、初めて感じ取ることの出来た神奈木博士の体温だった。

 お互いにもう一度微笑みを交わしながら、私は彼女の亀裂から指を離す。


 照れくさそうな表情を垣間見せてから、神奈木博士はサヨさんを抱き抱えた。きっと関節を粉砕されたゲントク老師よりも、失血の著しいサヨさんの方が重傷だと判断したのだろう。


「サヨさん、あの──」


 苦しそうに息をするサヨさんへ、私は躊躇いがちに声を掛ける。するとサヨさんは、血の滴る腕を上げて続きを遮った。当然、激痛が走ったのだろう──その表情は固く強張っている。


「ホムラ、ごめんなさい。こんな形であなたを巻き込んでしまったことを、心苦しく思います」

「いいえ、ここは私の職場ですから──それにサヨさんは、私の理想の上司です」


 私は努めて明るい声音を心掛けた。その裏側に、暗澹たる気持ちを抱えながら。


 サヨさんに謝らなくちゃいけないのは、本当は私の方なのだ。サヨさんがDUMを解体し、ヒュムたちの解放を望んでいるとテラから聞かされていながらも──


「ホムラ、私はね、愚かで啓発的な人間ディア・ストイックマンなの」

「──え?」


 唐突な切り出しに目を見開く私。


「だから偉そうに語らせてもらいます。ホムラ、覚えておきなさい。天語サヨは、信頼する部下の選択に後からケチを付けるようなつまらない人間ではありません」


 そう言ってサヨさんは、無理矢理に笑顔を作ろうとした。

 私は目の前の女性を、心から尊敬している。

 その気高さも、その美しさも、その優しさまでも──。


「サヨさん、行ってきます。倫理の迷宮クノッソスの元へ」

「ええ、いってらっしゃい。大丈夫、あなたには美しい心を持った騎士ナイトがついていますから」


 その軽口が、何だかむず痒かった。

 少し離れた場所では、テラが照れたように頭を掻いている。


 私は後ろを振り返らない。


 抱えきれないほどの想いを託された私たちは、倫理の迷宮クノッソスが鎮座する最後の扉を開け放つ。





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