EP12-04





 理解というものは、感情よりも少しだけ遅れてやってくる。衝動に任せてサヨさんの元へ駆け寄ろうとした私の腕を、テラが強引に掴んで引き戻した。


「手を離せ! サヨさんが!」


 みっともなく喚き散らす私の頬を、テラがぴしゃりと張る。

 ひりつく痛みが、私をどうにか我に返らせた。


「とりあえず落ち着け。おそらく致命傷じゃない」


 これほどまでに真剣な眼差しのテラを初めて見る。恐る恐るサヨさんの様子を窺うと、負傷しているのは腕や脚が中心のようだった。けれどその顔面は蒼白だ。複数の銃創からは、今も朱みが溢れ続けている。


「私を前にして仲間割れかね? 交渉の余地など、どの道多くは残されていないが」


 私の髪を乾かす駒鳥型送風機ロビンタイプにも似た四機の小型銃器ビットが、ゲントク老師の周囲を不規則的に飛び交う。テラに促されて、悪趣味に飾られた作品群アートワークの陰に身を潜めた。すぐさまテラも私の後ろに続く。神奈木博士は、何事もなかったかのようにその場から動かない。


「テラもどきテクス性能の低さ読みの甘さが、我ながら悲しくなるね」


 私のすぐ隣で自身を嘲るテラの独り言を、ゲントク老師が拾い上げる。齢八十を越えた躰にしては、随分と聴覚が鋭い。


「しとしとと長雨が降れば、誰に倣わずとも穴ぐらに潜って身構えたものだよ。それは生き長らえるための絶対の掟ルールだった。若い者たちにこの感覚を理解してもらえないことは、年寄りが抱える苦しみの一つでもある」


 深淵を覗き込むような黒い瞳が、私たちの姿を順に観察する。このDUMを取り纏める循環を導く者コンダクター・クラウンもまた、大禍ヴォルテクスの傷痕に侵された一人の人間なのだと知った。九流ゲントクの瞳にも、私たちとはまた違った理想の世界が映っているのだと──。


「しかし年寄りの悪い予感が杞憂で済まされなかったことに、心から胸を痛めるよ。まさか天語あまことサヨが戦争狂のたぐいだったとは──私も耄碌もうろくしたものだ」

「老師、発言を撤回してください」


 私は思わず身を乗り出して言う。

 サヨさんは他の誰よりも、このエリア004で繰り返される不毛な循環サーキュレイションの終わりを望んでいるのだ。それを戦争狂などという言葉で侮辱する行為は、とても看過出来ることではない。


「雪白ホムラよ、深く学びなさい。絶妙なバランスの上に成り立つ安寧の時代を壊そうとする者は、たとえ誰であろうとも戦争狂だ」


 老師のおごそかな声。その表情には、わずかな迷いの色さえも見られない。

 更に大きく身を乗り出しかけた私の肩を、テラがぐいと引き寄せて制する。それでも私の余勢は止まらず、雄弁に言い放った。


「この世界を支えているのは、じゃなくてです。それにサヨさんは、この世界をとしている──とは明確に異なります」

「爺さん、ホムラの言うとおりだよ。盲目な老人たちビューティフル・ドリーマーには難しい話だろうけどね」


 痛快な皮肉を零しながら、テラは作品群アートワークの陰を出た。それを挑発行為だと受け取ったのか、ゲントク老師が少しだけ目を細めて返す。


「いつの時代も、若者とは詭弁に溺れるもの。してや、死の匂いすら知らない子供たちなんぞに、残酷な正しい世界は易々と屈しない」


 四機の小型銃器ビットが、ぐるりとテラを取り囲んだ。私は迷わず熱照射銃ブラスタを構え、その照準を老師の胴体に合わせる。奇しくも、いつか神奈木博士に啖呵を切った通りの状況が実現されてしまった。


 不条理な世界の仕組みインビシブルウォールを打ち砕くために、無力な私が出来ること──。たとえこの手を汚しても、私は神奈木博士に生き方スタンスを示し続けるのだ。彼女が観測者ザ・ワンである限り、その幾許いくばくかは沓琉トーマに届くはずなのだから。


 沓琉トーマ創造主に示そう。

 Human Materia人類の可能性を。

 迷子の迷子ロスト&ロストの気高さを。


「テラ、やめなさい。ホムラも……どうか引き返して──」


 血に染まった腕を必死に伸ばして、呻くようにサヨさんが言う。青白い顔のサヨさんに向けて、私は精一杯の笑顔を返した。それは酷くぎこちなくて、不格好な微笑みだろう。


 再び前を向いて、じりじりと距離を詰める。中空の小型銃器ビットが軌道を変え、私とテラの両方を捉えるように弧を描いた。

 私たちの行動を一笑に付しながら、ゲントク老師はやれやれと肩を落としてみせる。


「銃を構えたところで撃てはしない。現に天語サヨも、私を撃てなかった。自らの理想を貫く価値と、他人の生命いのちを奪う重さとを天秤に掛けて、彼女が躊躇したからだ。今から死にゆく中で、自分たちの理想の軽さを恥じるが良い」

「躊躇したのは爺さんも同じだろ? ほらその証拠に、サヨはまだ息をしてるよ?」


 生殺与奪の権を握る老師に、臆することもなくテラは続ける。


偽りの循環社会メリーゴーラウンドから降りたいのは、爺さんも同じなんじゃないのか? 永久複製医療術Unlimited Medicalという大義名分がなければ、あんただって容易く人の生命を奪ったりはしない」

「それも詭弁だ。私の心は──世界のことわりに則って君らの行動を裁くだけだよ」

「本当にそうなのかな。沓琉トーマが、あなたのような偉人のまでも書き換えられたとは到底思えないんだよ」


 久しく響いた魂という言葉に、私たちの誰もが目をみはった。悠々と無反応を貫いていた神奈木博士までもが──驚愕の表情を浮かべている。


 魂。

 

 それは長い時間、この世界から抜け落ちていた概念だ。

 もしかするとそれは、大海の潜在意識アーカーシャから故意に削ぎ落とされた──信仰や宗教神々よりもずっとずっと遠い概念。


 心よりも深く、躰とはまた違う場所に在るとされる──解明不能の偉大なる粗大塵グレートラビッシュ


を語るいずれかの人工生命シュレーディンガーか。残念ながらその発想は無かった」


 独りごちるように口を開いた神奈木博士に、テラが言う。


「だから言っただろ。あなたが臨界点ニアの向こう側に居るなんて、俺は思ってないんだって」


 テラの発言を受けて、神奈木博士は哀しそうに俯いた。

 しかしすぐに──心底嬉しそうに微笑む。


 それはきっと、人型の最終形態スタンドアローンから湧き上がる笑みだった。


「やはり私は、人工生命の先導者ニア・シンギュラリティなのだな。読んで字の如く、いずれかの人工生命お前たちを導く者。本当に呆れるよ──トーマはどこまで性格が悪いんだ。観測者ザ・ワンに与えられた役割を、私は今の今まで取り違えていたのだ」


 それはきっと。

 それはきっと──。


 私たちの不器用なやり方リベラルが、観測者神奈木コトハジレンマを書き換えた瞬間だった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る