EP02-03





 サヨさんが立ち去った方向にメインガーデンを抜ければ、やがて中央管理室コア・ルームへと辿り着ける。


 いつもならDUM内を周遊する小型走行ポッドに頼る自堕落な私も、今ばかりは自分の足で向かっていた。凛とした歩調のサヨさんを見習ったわけでも、広大なメインガーデンを駆け回るアゲハの元気に触発されたというわけでもない。気怠さアンニュイ喪失感センスレスに感情を支配された私は、歩くという行為によって気を紛らわせようとしたのだ。


 しかし空模様はたちまちにぐずつき、粘性の水蒸気ハンドメイドクラウドの数が目に見えて増えていく。自動天候循環ウェザーローテーションと銘打つくらいなら、せめて皆が寝静まった真夜中を狙い澄まして、予定調和の雨ハーモニアス・レインを降らせてくれれば良いのに。


 私は自らが選択した徒歩という手段に、早くも後悔を覚えて走り出す。


 コンダクターになるためには勉学はもちろんのこと、基礎体力や護身術の試験なども通過パスしなくてはならない。だから、自分の体力に自信がないわけではなかったけれど、日頃の便利な生活に慣れ親しんだ都会暮らしのスペシャリスト──かつ朝食抜きの私の躰は、自分が考えている以上になまっていたみたいだ。


 中央管理室コア・ルームゲートに刻まれた、陰陽マークに似たあのエンブレムを肉眼で確認出来る頃になると、私の心臓はドクドクと好き放題に暴れ回る始末だった。


「ホムラ、どうしたの? もしかして何かの病気?」


 左胸のあたりを押さえながら、すっかりいつも以下の速度で歩く私に、陽気な声をかけてくるヒュムが一人。少しだけ青味のかかった白髪はくはつ。刃物の切っ先を思わせる切れ長の目。細い顎のラインが支える中性的な顔立ちに、不敵な笑みを携えて現れた青年の名を、テラという。


 テラは後ろ手を組みながら、私の進路を遮るように躍り出た。興味を隠さない眼差しを爛々らんらんと輝かせながら、大きくかがみ込んで私の顔を覗き込む。私とテラの間に、屈み込まなくてはならないほどの身長差はないのにも関わらずだ。

 まるで初対面の幼子おさなごに「ぼく、お名前は?」とでも問いかけるように、大袈裟に柔らかい声音を使ってテラは言う。


「あげるよ。俺の心臓」


 テラは右手で自分の左胸を掴む仕草をしてから、戯けた様子で「ぐえっ」と仰け反ってみせた。そうした小芝居を挟んでから、その手を私の前に突き出してひざまずく。

 今度のそれは、屈み込むなどといった動作ではない。主人にかしずく従者のような振る舞いと、彼の口ずさむ上機嫌な鼻歌が、何かの音楽劇ミュージカルの一場面を連想させた。


 私は目を凝らしてイメージする。

 鷲掴みで取り出された哀れで不衛生な心臓ブリキックハートを、テラが差し出した大きな手のひらの上に。


「ほら、どうぞ、どうぞ」

「なんだ、今日はやたらとご機嫌だな」


 跪いたままのテラの右手を軽く跳ね除けると、テラは「ちぇっ」と舌打ちをして立ち上がった。私のイメージの中でかろうじて生成された鷲掴みで取り出された哀れで不衛生な心臓ブリキックハートが、地面に落ちてクチャリと生々しい音を立てる。

 テラの個体年齢ヒュム・エイジは、私の年齢とほとんど変わらないはず。しかし時折見せる悪戯っ子のような笑みと、突拍子もない子供じみた行動が、彼をいつも幼く見せている。


「なんかさ、今月も無いっぽいんだよ、昇華サブリメイション。ここのところ、ずっとご無沙汰だね。失われた昇華サブリメイション・ミッシングを探せ──なんちゃって。あ、今のは内緒のテラさん情報」


 そう言いながらテラは、口元に人差し指を立ててみせた。テラの口元にではなく、私の口元に。


「気安く触るな。お前は一体どこのプレイボーイだ。そもそも目の前の扉の先でアップデートすれば、そんなことはすぐに分かる」


 先ほどよりも勢い良くテラの手を跳ね除け、顎先で中央管理室コア・ルームの方を促す私。


 テラのこの軽薄さは、ヒュムの中では天然記念物クラスだ。そんな彼は、もしかしたら口先から創られたのかもしれない。もしくはこの整った顔立ちが、後天的な悪影響を及ぼしているのだろう。ヒュムであれど人間であれど、美少年や美青年は軽薄な性格をしている傾向が強いように思う。


「うんうん、やっぱりホムラは面白いな。小難しい顔をしたところで、大方しょうもないことを考えているんでしょ」


 挑発以外の何物でもないその台詞に、私の眉が吊り上がる。険しい顔をした私を前にしても、テラは構わずに意気揚々と話し続けた。


「普通のコンダクターならさ、今の場面は『どうしてそんな情報を知っている?』が正解マニュアル。それがマトモなコンダクター様の切り返しでしょ」


 そう言われてみれば、テラの言うことはもっともだ。しかしそれが正論なのは確かにしても、私を呼び止めたテラの意図が見えない。まさか、こうして私をからかうためだけにわざわざ声を掛けたのか?


 心臓の苦しさも相俟あいまって、私は益々ますます苛立ちを募らせる。


「でも、そうゆう所が好きなんだけどね。顔も美人だし、スタイルもまぁまぁ。だってほら、こんなに天気が悪いのにさ、俺はホムラのこと、雨具バリケードも持たずに待ってたんだよ?」


 ぐずついた空を指差しながら、テラは早口でそう告げた。「スタイルがまぁまぁ」の"まぁまぁ"の部分が気に入らないが、ここは大人の対応で聞き流すことに──する私ではない。


「おい、まぁまぁって何だ。まぁまぁって」


 テラに詰め寄り、私より少しだけ高いその胸ぐらを掴む。今のはどれだけ易しめに採点しても、「スタイルもなかなか」くらいは言うべきところだ。


「うん。やっぱり面白い。ホムラを待っていて良かった」


 そう言ってテラは、急にしおらしい表情を見せる。諸手を上げて「降参」の意思表示を現した後で、胸ぐらを掴んだ私の手を力なくほどいた。豹変した弱々しい彼を前に、私は身構える。これが世に伝え聞く"ギャップ作戦"かもしれないと踏んだからだ。


「──ホムラ、おちょくってごめん。ありがとう。元気出た」


 しぼんだ声音に、含みのある冷笑を添えるテラ。腑に落ちない不自然な態度に、私は眉間にシワを寄せながら問う。


「私はお前から礼を言われるようなことなど何もしていないが──どうした。何か嫌なことでもあったのか?」


 月並みな台詞を敬遠するように、テラは一歩後退あとずさって私との距離を広げた。


「ううん、逆だって、その逆。言ったじゃん、何も


 何も無かった。何も無かった。何も無かった──。

 私は、頭の中でその言葉をたっぷりと三回反芻し、ようやくとしてテラの言葉の真意を理解した。そして気付いたのだ。テラが最初から上機嫌などではなかったことに。むしろ、最低にすら近い気分だったということに。


 相も変わらず鈍すぎる私は、救えない大馬鹿者だった。


「ぱんぱかぱーん! テラさん、またまた生き残っちゃいました!」


 目を見開く私から、遅すぎる理解を読み取ったのだろう。テラは急に大声を出して戯けてみせた。貼り付けられた痛々しい笑顔が、彼のやるせなさを尚のこと際立たせている。


 この躰の中を、数え切れない複雑な感情が駆け巡った。愚かな私は、この感情をどう表現して良いものか分からない。哀れみでありながら、同情でもある。同情でありながら、蔑みでもある。そして悲しく、寂しく、どうしようもなく──避けては通れない憤りの中に、愛おしいという感情も、確かにある。


 私は一歩進み、それから更にもう半歩詰めて、テラとの距離を縮めた。そして言う。テラの躰と私の躰が、ほとんど一つに重なる距離で。


「今度そんなふうに自分を茶化したら、私がお前を非公式化アンロックするぞ」


 テラの耳元で呟いた私の言葉は、私の知らない声をしていた。まるでこの空模様のように淀んでいて、雹のように冷たくて──だけどそれでいて確かな熱を帯びた、私の知らない冷徹な声。


 間近に近付いたテラの瞳に、薄っすらと涙が溜まっていく。それは"ギャップ作戦"でも何でもない、信じるに値する純粋な涙だ。

 『ありがとう』──声も出さず、テラは唇でそう言った。片手で顔を覆い隠して、必死に泣き声を殺している。


「生きていて何が悪い」


 吐く資格もない言葉を、私はテラに捧げた。果たして今の私は、どんなに醜い顔をしているのだろう。

 人格者を気取ったところで、私自身は奪う側の人間の一人にすぎない。愚かさには定評のある私も、DUMが背負った現実を最初の一年間で嫌というほどに思い知った。


 唇を噛みしめて無言のままのテラは、私の言葉をどんなふうに受け止めたのだろう。そしてどんなふうに噛み砕き、どんなふうに消化していくのだろう。

 やがてテラの頬に、堪え切れなかった涙の雫が伝った。


 ──まったく、今すぐに降ればいいのに。


 予定調和の雨ハーモニアス・レインは空気が読めない。まるで私みたいだ。


 もっと泣いてしまいたいであろうテラに背を向けて、先を急ぐ。 




 √───────────────────√




 ヒュムたちには、『遺伝子提供者ホルダー』と呼ばれるDNAの提供者が存在する。つまり全てのヒュムは、誰かの複製体コピーということ。実在する人間オリジナルなくして、架空の模造品レプリカを創り出すことは未だ叶わない。


 遺伝子提供者ホルダーを選ぶのも、やはり政府である。

 政府が公式化ロックした極々限られた人物だけが、遺伝子提供者ホルダーになる資格を得ることが出来るのだ。


 人類の未来を塗り替えるほどの革命的な発明。難病を根本から治癒する新薬の開発。一時代スターダムを築き上げる超一流の競技功績──等々、政府のお眼鏡に適う理由は人それぞれだ。しかしそのいずれにしても、遺伝子提供者ホルダー公式化ロックされるということは、何ものにも代え難い最高の名誉だと大多数の民衆は認識している。


 テラの遺伝子提供者ホルダーの名は『沓琉くつるトーマ』。

 その功績の一部を先述したと思うが、永久複製医療技術Unlimited Medicalの生みの親であると同時に、DUMの創始者の一人だ。


 トーマ博士の功績は他分野に渡り、穎才ジニアスという言葉だけでは語り尽くせないけれど、医療用生体学と電離応用工学の道を極めた彼が、その両分野に与えた功績は取り分けて偉大だとされている。


 最果て生体学最果て工学の融合の果てに、永久複製医療技術Unlimited Medicalは生み出された。生命の倫理そのものを揺るがす諸刃の剣を、歴史上初めて人類の掌に握らせた人物──それが沓琉トーマである。


 が、しかし──そのトーマ博士を遺伝子提供者ホルダーにして創り出されたことが、テラにとってはそもそもの不幸の始まりだった。


 天才の胸の内は、凡人には分からない。

 『隣人の裏切りネオクレーター』と銘打めいうたれた大規模な反政府テロの首謀者──それもまた、沓琉トーマだったからだ。


 DUMの運営が始まった数年ののちに、その事件は起こった。

 

 まさに青天の霹靂。世界中の広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンの半数近くが一斉に爆破され、時同じくして輻輳する大海原ワールドウェブの潮の流れが一斉に停止する。大多数の携帯端末ワールドリンク通信障害アクセスエラーを起こす中で、予測される更なる大混乱に全媒体一斉警報メディアアラートが発動した。


 しかし、大禍ヴォルテクスの再来かと恐怖に身を震わせる人々を嘲笑うかのように──トーマ博士はあっけなく投降したのだ。

 生き残った広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンをも利用し、全世界へと犯行声明を放っておきながら、即座に投降の意志を告げた沓琉トーマ。


 そう、天才の胸の内は、凡人には分からない。

 誰にも理解されないままに、大規模ワイルドにして紳士的スマート反政府テロ行為は最速の自己完結を見せたのだった。


 輻輳する大海原ワールドウェブへの干渉が取り払われたのちに、トーマ博士の存在は政府によって直ちに非公式化アンロックされた。

 自由を取り戻したばかりの広報用球体型全面液晶イクリプスビジョンが、大々的に彼を犯罪者としてアナウンスしたのは間もなくのこと。


 つまりその瞬間、トーマ博士の複製体コピーであるテラは、『非公式化アンロックされた犯罪者の複製体ヒュム』という、人類史上初の特異的ポジションに立たされてしまったのだ。


 そしてこの一件イレギュラーにより、『犯罪者の生体を移植してまで生きることは是か非か』という、新たなディスカッションの火種が人々に齎されたのだった。


 もちろんテラ自身が犯罪を起こしたわけではないので、彼までもが非公式化アンロックされることはなかったのだが、反政府テロを起こした人間と同じDNAを持っている彼は、『永遠の非献体者エターナルチャイルド』としてここDUMの中で生き続けているのである。


 ──他のどのヒュムよりも長く。


 永く。




 √───────────────────√




 先ほどのテラの様子を見る限り、"生き続けている自分"が彼自身を苦しめ続けているのは最早疑いようもなかった。多くの仲間が創り出され、そして献体され昇華サブリメイションされていく中で、自分一人だけが生き延び続けてしまっている苦しみは、私などの想像に及ばない。


 テラは、献体に選ばれる日を待ち望んでいるに違いない。

 他のヒュムと同じように昇華サブリメイションされ、このDUMの外へと出られる日を──。


 生温い雨粒が、ぽつりぽつりと私の頬を濡らす。

 予定調和の雨ハーモニアス・レインの身勝手さも、ここまでくると憎らしい。せめてあと五分早く降ってくれれば、テラは思いっきり泣けたというのに。


 外界と何も変わらない雨の匂いの中を振り返っても、テラの姿はもう見えなかった。途端に、胸を締めつけるような想いがじっとりと心臓に絡み付く。


 この躰が重いのは雨粒のせいじゃない。

 何だか今日は、憂鬱なことが重なってしまう。


 ──本当は。本当は。本当は。


 本当は、DUMの中で起きていることの全てが憂鬱なのだ。


 目を逸らすことで、あるいは捉え方を変えることで──自分にとって受け入れがたい事柄を、当たり障りのない色に塗り替えていく。幾つもの道徳的フィルターを通して、自分が受け入れられる理由で濾過して飲み下していく。


 それが大人になるという行為であり、それがきっと人類の歴史の全てだ。アリスの刺さるような眼差しも、テラが隠そうとした大粒の涙も、本当であればここには存在しない。


 存在しては、いけない。


 生への欲求エゴを肥大させた人類が辿り着いた場所、DUM。

 その中央管理室コア・ルームの扉の生体認証を手早く済ませた私は、暗澹あんたんたる想いで暗闇の部屋へと足を踏み入れるのだった。




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