EP05-03





 神奈木かんなぎコトハは、かの沓琉くつるトーマと並ぶ、世界有数の頭脳の持ち主だ。人智を遥かに凌駕する穎才ジニアスを備えた彼女を解説するにあたっては、彼女をたたえ指し示す幾つもの二つ名を並べるのが手っ取り早いだろう。


人工生命の先導者ニア・シンギュラリティ

生きる治外法権パブリックアウトロー

天才の上位互換エジソンジェネレート


 等々。神奈木コトハという天才科学者を表現するこれらの二つ名は、決して大仰なものではない。彼女の前では"天才エジソン"という称号さえも、たちまちに陳腐な響きと化してしまうのだから。


 "天才の上位互換エジソンジェネレート"ならぬ、"賢人の上位互換ワイズマンジェネレート"──新しい二つ名を思い付いて、私は密かに得意気になる。


 ありふれた言葉では及びもつかない、優れた頭脳を宿した彼女を語るにおいて、人々は持てる比喩の全てを総動員しなくてはならない。それゆえに神奈木博士には、次々と新たな二つ名が生まれていくのだ。今、私がそうしたように。


 彼女が生み出した様々な発明は、世界中のあらゆる分野で役立てられている。

 神奈木博士の輝かしい功績の中でも、群を抜いて著名なもの──それが『永久電源機関エターナルバッテリィ』の完成だ。

 読んで字の如く、永久に電力を生み出し続ける動力機関。


 素人目に見れば、無から有を作り出すその動力機関は、この世の摂理を無視した荒唐無稽な発明品である。動力が無尽蔵に湧き出るだなんて、世界のことわりを塗り替えているにも等しい。


 しかし神奈木博士は済ました顔で、『永久エターナルとは名ばかりで、微を取り込んで有として出力するだけの装置だ』と語った。そして続けた。『お前たちは"電源機関バッテリィ"の意味を知っているのか?』と。


 広報機関インタビュアーへのその言葉は、ともすれば我々一般人を馬鹿にしているようにも受け取れる。けれど、実際に皮肉でも謙遜でさえもなく、神奈木博士にしてみれば至極当たり前の事柄を言葉にしたに過ぎないはずだ。


 そしてくだん永久電源機関エターナルバッテリィは、ここDUMの心臓部にも組み込まれている。この広大な楽園を運営するための電力は、永久電源機関エターナルバッテリィをなくしては捻出出来なかっただろうから、捉え方次第では神奈木博士も、このDUMの創始者の一人と言えなくもない。


 だから私は、イマリが神奈木博士を見かけたとの告白にも、別段驚かなかった。賢人ワイズマンの生み出した設備のメンテナンスは、賢人ワイズマンにしか出来ないのではないかと考えたからだ。


 イマリに私の考えを告げると、彼女は頭ごなしに否定することこそしなかったものの、どこか納得のいかない表情を浮かべて、「でもさ」と切り出した。


「やっぱり最近、おかしいと思うのよ。ほら、色々」

「色々?」

「そもそも昇華サブリメイションよ。ちょっと間隔が開きすぎでしょ? そりゃね、時にはそんな周期だってあるのかもしれないけどさ」


 そう、実は昇華サブリメイションは、もうかれこれ四ヶ月近く実施されていない。これは普段の倍近くもの期間、献体施術が行われていないということになる。

 永遠の非献体者エターナルチャイルドとしてのテラの絶望を別にして、全てのヒュムが昇華サブリメイションから遠ざかっている。イマリはどうやら、その事実を訝しがっているようだ。


「皆が皆、揃いも揃って健康体なんじゃないのか? それならそれで結構な話」

「ホムラ、皆が健康体って……世の中のお偉いさんたちはご老体ばかりなのよ? そんなことがあり得る?」


 少しずつ言葉に熱を含んでいくイマリが、途中ではっと気付いたように声のボリュームを絞り直した。


 都市部には、無作為情報収集網ヒアリングスポットというものが点在している。ざっくり言ってしまえば、大規模な盗聴設備だ。だから、下手な発言は宜しくない。まかり間違って政府へと知れてしまえば、危険思想の保持者テロリストとしての明日が待っている。

 無作為情報収集網ヒアリングスポットはその場所が特定出来ない分、作為的情報収集網リスニングスポットよりも厄介だ。


 ──ネーミングはどうであれ、どちらも盗聴であることには違いない。


 私たちは皆、心の中でそう嘆いているはずだ。受動的ヒアリングだろうと能動的リスニングだろうと、盗み聞きは盗み聞きでしかないのだから。


「ともかく、今の状況は税金の無駄遣いね」


 声を潜めたままで、そう分析するイマリはどこか滑稽だ。DUMの運営に回される税金の効率なんて、私は今まで一度たりとも考えたことはなかった。

 政治評論家のようなイマリは、運ばれてきたばかりのエスプレッソを啜りながら、苦味に顔をしかめる。それでも真剣な眼差しを崩さないイマリを眺めながら、私は思案する。


 神奈木博士がDUMを訪れるその理由がどうであれ、直線的思考のイマリがここまで懐疑的に物を言うからには、イマリが抱える"何かがおかしい"という疑念は、昨日今日に突然降って湧いたものではないということだ。

 イマリの勘繰りは、彼女がDUMの内部で神奈木博士を見掛けたことによって何らかの確信を得たのだろう。更に推測を重ねるならば、サヨさんがゲントク老師に言っていた"来客"というのは、神奈木博士のことだったのかもしれない。


 じゃあ仮にそうだとしよう。イマリの勘繰りや私の推測を全てひとまとめにして、その全てが的を得ていたとしよう。

 それでもやはり神奈木博士は、永久電源機関エターナルバッテリィの調子でも見に来たのではないのか。そのついでとばかりに、DUMの最高責任者であるゲントク老師と社交辞令を交わし、お茶でもしたのではないのか。

 私たちがこんなふうに声を潜めて、あれこれと憶測を飛ばし合うようなことなのか。


 そんな結論へ着地しようとする楽観的な私を察したのか、イマリが乾いた溜め息を一つ吐き出した。もしかすると呆れられたのかもしれない。


「ホムラ、肩透かしだった?」

「んー、少しだけ。もっと重大な話があるのかと思った」


 一瞬の逡巡を挟んでから、イマリが切り出す。


「ホムラ、私はさ」

「うん」

「貯金とかないわけよ。本当に、一銭も」

「はい?」


 未だかつてないほどに斜め上を行く友人の発言に、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。イマリは慌てて唇の前に人指し指を立てて、「静かに」と私をたしなめる。


「真剣な話よ。私はエピクロスを敬愛しているの。要するに私は、享楽主義者ヘドニストを否定しない。常に刹那的で、破滅的な生き方に憧れてる」

「う、うん?」


 矢継ぎ早に語られるイマリの台詞に、困惑の色を隠せない私だった。エピクロスというのは、紀元前に実在した哲学者マゴットの名前だ。彼が提唱したのが、まさに享楽主義ヘドニズムだったと記憶しているけれど、この話がどこに向かっているのかがさっぱり見えてこない。残念なことに私の頭は、イマリのように恵まれていないのだ。


「ホムラ、刹那的で破滅的って言うと聞こえは悪いけど、こう考えてみてよ。その瞬間瞬間を全力で生きる、余力を残さない生き方──どう? 何だか格好良い気がしない?」


 小休止したイマリが、意地悪な笑みを浮かべた。私の理解が追い付いていないことを知りながら、それでも易しい言い方を選ぼうとしない彼女を、間抜けな私はやっぱり小悪魔ティーザーチックだなんて思う。


「長距離移動型の自動走行ポッドみたいなものか? つまり速度重視ハリケーンモメント──すまん、話が見えてこない」


 私が正直にそう打ち明けると、イマリは「仕方がないなぁ」といった様子で、まるで子供に聞かせるように柔らかな口調でこう告げるのだった。


「コンダクターという仕事はね、私の理想ヘドニズムを叶えるのにぴったりなわけよ。私たちの若さで『この程度の店』なんて言えちゃう仕事、他にないもの。ここまでは良い?」

「確かにそうかもしれないが、私は『この程度の店』という部分には同意してない」


 肩を竦めて私が答える。結局のところ、イマリは何を言いたいのだろう。思い巡らす私を見透かすように、その答えをイマリが差し出した。


「つまり、将来への不安を愚痴ったわけよ。昇華サブリメイションがあんまりにも滞っていたら、『税金の無駄遣いだ』なんて騒ぎ出す危険思想の保持者テロリストが出てきて、一銭の貯金もない私は露頭に迷っちゃうの」

「なんだ、そんなことか。最初からそう言ってくれればいいのに──それにそう思うのなら、今からでも貯金すればいいじゃないか」


 「ランチを奢ってあげる」と言っていた人間に、「貯金が一銭もない」と告白されている私の不安を思うと、イマリの心配はおよそ今からすることではないように思えた。


 いささか真剣味に欠けた私の返答を、「それは私の主義に反するわ」と一笑に付してから、「今から貯金して間に合えば良いんだけどね」と微笑むイマリ。意味深長な彼女の言葉に、私は心の中で答える。


 ──昇華サブリメイションの予定さえ立たなければ、私たちは死神にならずに済むじゃないか。


 そう考えてしまう私は、自分の主義どころかコンダクターとしての道を外れていて、漠然とした将来への不安を口にするイマリよりも、よほど滑稽なのかもしれなかった。




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