【決断──此処は小夜。夜話の終わりを求める唄】
EP07-01
スバルから降り立った場所は、高層ビルの立ち並ぶ都市部の一角だった。そもそもエリア004には、
四方をビルに囲まれたその場所には、風という風が存在しなかった。深い峡谷の底のようで、煌々と輝くネオンの乱反射も届かない。しかし
──まるで吹き溜まりのような場所だ。
顔をしかめる私の前には、地下へと続く階段が伸びている。
サヨさんの
周囲を見渡せば、壁や天井のあちらこちらにひび割れが目立った。途轍もない年季を感じさせる地下通路に、大袈裟に反響する自分の靴音を聞く。その合間を縫って流れる風が、ひゅうひゅうと不気味な音を立てた。私は自然と怪訝な表情になっていく。
長い階段を下り終えると、更に通路が続いていた。薄闇の中を道なりに進み、やがて重厚な鉄製の扉にぶち当たる。そのところどころが腐食した鋼鉄製の扉は、その佇まいだけで
入場要請を出すための
出会い頭に私を襲う光の槍に、反射的に目を伏せる。
目線を戻せば、やはり華々しい閃光が中空を飛び回っている。そして見渡す限りの人、人、人。鋼鉄の扉を開けた私の目の前には、人々が踊り狂う
「嘘でしょ」
思わず呟いた私の言葉を、重低音の効いたトランスミュージックの爆音が浚っていく。常識の範囲を遥かに超えた大音量の電子音楽が、この鼓膜を突き破らんとばかりにフロア全体を打ち鳴らしていた。
私の立ち位置よりも掘り下げられた一面が、ダンスフロアとなっていた。そこで
彼らは、性別も格好も百人百様だった。少なくとも、都市部に住む人たちにありがちな、
不規則で無秩序な、毛並みの違う人たちの集まり──もみくちゃになりながら踊る彼らの動きも、決して規則的ではなかった。それぞれがそれぞれの思うままに、
単調なビートが刻まれるたびに、みぞおちの辺りを押されたような苦しさがあった。自らの拍動と勘違いしてしまいそうなほどの音圧に、
立ち昇る熱気が充満した中空には、七色のレーザー光線を撒き散らす回転体が輝いている。プラネタリウムの神秘的な輝きとは真逆の、どこか淫らで安っぽい輝き。
──サヨさんを探さなきゃ。
明らかに場違いな場所に来てしまったと、心細さにも似た焦りを覚える。この不親切さは、ドレスコードを教えてくれないイマリとまったく変わらないではないか。
なるべく人混みを避けるようにして、ダンスフロアを迂回しながら進んだ。それでも、人を掻き分けて進むというのは一苦労だ。大した広さもないはずなのに、いつの間にか私の肌はじっとりと汗ばんでいる。
しかしその労力も虚しく、サヨさんと巡り合うことは出来ないままだった。やがてレストスペースと
無色透明の防音フェンスが、トランスミュージックの重低音に共振している。人混みとは無縁のレストスペースに佇めば、実は存分な空調が効いていることが分かった。身を包んでいた不快感も次第に和らぎ、熱狂的な人の渦をぼんやりと眺める。すると聞き覚えのある涼しい声が、背後から私の名前を読んだ。
「まるで
「サヨさん、恨みますよ」
そんな台詞を吐きながらも、不覚にも安堵感を覚えてしまった。私をこんな状況に追いやったのはサヨさんなのだということを、
何食わぬ顔で同じテーブルへ着座するサヨさんを、出来る限りの疎ましい表情を意識して睨んでみる。サヨさんは惚けたように目を丸くすると、芝居がかった様子で首を傾げた。「どうかしました?」という言外の言葉が、賑やかな喧騒の中でも確かに聞こえた気がする。
開襟シャツに細身のパンツというラフな格好のサヨさんは、いつもより若々しく見えた。細い首に巻き付けられた複数のチョーカーと、ヒールの高いレザーブーツも普段のイメージからは程遠い。
「これが
思いついたままの冗談を私が呟くと、サヨさんは物柔らかな笑みを浮かべた。なぜだか満足気な様子が、私に疑問符をプレゼントする。
「好きなものを頼みなさい。棺型のイヤリングを付けているのがここのスタッフよ」
そう促すサヨさんをよく観察すると、その頬がほんのりと上気している。
サヨさんは近くの男性を手招きで呼び寄せ、聞き慣れない名前の飲み物を頼んだ。私は仕草だけで、サヨさんと同じ飲み物をオーダーする。味の想像すら出来ないけれど、まさかソフトドリンクではないだろう。
無愛想に去っていく男性の左耳には、棺型のピアスがぶら下がっていた。店員であることを示すには、少々悪趣味が過ぎる目印だ。
そういえばその昔、興味本位でコネクトした
人々の信仰がいかに無意味であるのかを説く好例として、政府が
「サヨさん、このお店にはよく来られるのですか?」
率直な疑問を投げかけてみたものの、"店"という表現がしっくりこなかった。何よりもしっくりとこないのは、サヨさんのような堅物がこうした場所に居るという事実だけれど。
「ええ、気分転換に時々ね。似合わないと言いたいのでしょう? 自分でもそう思うのですが、気が付くと足を運んでしまいます」
丁寧な発音で答えるサヨさんは、この上なく上機嫌に見えた。こんなに柔らかな物腰のサヨさんは、DUMの中では一度も見たことがない。
「なんだかご機嫌ですね」
「そうかしら? まぁ、今日はオフですからね」
暑そうにシャツの胸元を引っ張りながら、当然のようにサヨさんが言う。言葉遣いこそ丁寧そのものでも、気取らない態度が親しみやすさを感じさせた。もちろんそれは、普段のサヨさんが冷酷無比を地で行くような人物であるからこそだ。
「こっちのサヨさんの方が魅力的です」
「こっちの私では生きていけないのよ。DUMの中ではね」
一瞬だけその瞳に悲しみの色を浮かべて、サヨさんが微笑む。お酒のせいか、艶っぽさの宿った微笑みだ。しかしそれを差し引いても、充分に重たい発言だった。私は返答に困ってしまう。
「ホムラ、あなたとプライベートで顔を合わせるのは、これが最初で最後です」
閉口する私へと向けてサヨさんが言った。その表情は、悪戯に成功した子供のように輝いている。私は目を丸くして答える。
「その嫌味って今必要ですか? サヨさんが私のことを良く思っていないのは、重々承知していますけど」
「自覚があるのですね。意外です」
「帰りますよ」
そんなやり取りをしていると、細身の女性がオーダーを運んできた。カジュアルドレスに身を包んでいても、不似合いな棺型のピアスを耳元に揺らしている。彼女は先ほどの無愛想な男性とは違い、華やかな笑顔で「ごゆっくり」と頭を下げていった。
緩やかな傾斜を持ったグラスに、淡いサンライトグリーンの液体が注がれている。氷の下に沈められた無数の果実と、飲み口に添えられたカットライムが小洒落ていた。甘酸っぱい柑橘系の香りの奥から、ほのかなアルコールの匂いが顔を覗かせている。私の予想通り、何かのカクテルのようだ。
「ホムラ、乾杯の仕方は分かりますか?」
サヨさんが、私を誂うように問いかけてきた。軽口の尽きない彼女へ、私は不愉快さを包み隠さずに反問する。
「もう、子供扱いはやめてください。何のお祝いですか?」
「私の
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