EP08-03





 眠れずに懊悩する。暗闇の中で何度も溺れそうになる私は、母さんが遺した不明瞭な意志の中を彷徨さまよっている。正しさを掴みかけては、またすぐに見失い、過ちを憎みながら、裏側に潜む正しさを見つける。その繰り返し──。


 何度目かの寝返りを打つと、緊張感に欠けたネコ型目覚まし時計と目が合った。呑気を通り越して、間抜けで愛らしいその表情。


 ──場合によっては、コイツともお別れなのか。


 そう思うと、愛着にも似た名残惜しさが生まれた。秒針の立てる無機質な音が哀愁を放つ。確実さデジタルに染まることのない不確かさアナログは、こうして遥か昔から私たちの生活を見守ってきたのだろう。


 何を選ぶかなんて、そんなものはせいぜい主観の問題でしかない。この世界に溢れる山積みの問題は、全てが自我エゴのすれ違いの先にあるものに過ぎないはずだ。

 価値観の延長線を伸ばせば伸ばすほどに、人間とヒュムはすれ違っていく。そして自身の価値観を声高に叫べば、私とイマリでさえもすれ違っていく。


 ──交わりを嫌う平行線プリンセス・スプリット


 生き方を問う知恵に恵まれている代償。私たちの間には、想像を絶する高さの理解の壁が立ちはだかる。それは真理であり、揺るがない事実。


 もっと話がしたい。政府の管理や検閲を恐れることなく、心からの本音で。そんな欲求が、私の内側からふつふつと湧き上がる。ゲントク老師や神奈木博士。テラやアリスたち。サヨさんやイマリ。それに母さんを知る人──叶うならば、母さんと。


 もしも母さんが生きていたら、私に何か道標を与えてくれただろうか。それとも疑う余地もない出来過ぎた答えライフプランニングを、予め用意してくれていただろうか。


 私の部屋の片隅には、印刷スクラップされた非公式の情報アンロックメディアが転がっている。以前に輻輳する大海原ワールドウェブの片隅で見つけた、『雪白ミツキの死の真相を探っている』という見出しの覗き魔の投稿フォーカスクラスタだ。話題トレンドになると同時に削除チョップされてしまったから、迷わず印刷スクラップしておいて良かったと思う。しかしその一方で、劣悪な覗き魔の投稿フォーカスクラスタをいつまでも手元に置いている自分を情けないと恥じる。


 雪白ミツキ母さんの死は、永久複製医療術Unlimited Medicalの施術例の中で唯一の失敗例だ。しかしそこに医療事故があったのかどうか、政府は未だに公式発表アナウンスしていない。事故を認めれば不手際を認めるということだし、不手際が無いなら無いで永久複製医療術Unlimited Medical神話性アトリエが崩れてしまうからだろう。


 母さんの最後を知りたい──そう考える気持ちがゼロだと言ったら嘘になる。私がコンダクターを志した動機の根底には、少なからずその欲求があったはずなのだ。


 けれど今は、知ったところで覆すことの出来ない母さんの"死"の真相なんかよりも、ただ母さんの気持ちが知りたかった。そう願ったところで、二度と母さんの思考を知ることは出来ないというのもまた、覆ることのない事実だけれど──。


 母さんが夢見ていた世界を、母さんがその目に映していた景色を──私は私の未来のために知りたいと願う。

 

 闇雲に母さんの存在を毛嫌いしていた私の中で、何かが変わりつつあった。急速に訪れたその変容が、私の精神を不安定にしている一因であることは間違いない。


 老師の言葉が、神奈木博士の言葉が、イマリの言葉が、母さんの記憶が──私の感情を激しく揺さぶり、安寧の世界の地盤を突き崩そうとする。あの夢の中で私を脅かす旋風つむじかぜのように、私を深い奈落の底へと墜落させたがる。


 ゲントク老師に、迷いはないのか。DUMの最高責任者である彼は、悪意ある表現をすれば処刑執行人の代表者とも言える。そこに葛藤はないのか。そこに後悔はないのか。

 違う、ないわけがない。拭えぬ葛藤や深い後悔は、今も老師の胸を抉り続けているはずだ。それでも──。


 大禍ヴォルテクスを生き抜いた老師には、もっと忌むべき──最大限に忌避すべき過ちの形が、脳裏にまざまざと焼き付いているのではないか。


 私は記憶の糸を紐解き、かつて学んだ歴史の資料を思い起こした。未来永劫の汚染区域アフターマスに代表される大禍ヴォルテクスの傷痕。死の独り歩く地デスウォーカロンを呆然と眺める無力な人間の姿。絶望のどん底からの復興に至る人々の労力と軌跡を思えば、今のこの世界は理想郷に等しい。


 次に神奈木博士。彼女に、憂いはないのか。"人工生命の先導者ニア・シンギュラリティ"。"生きる治外法権パブリックアウトロー"。"天才の上位互換エジソンジェネレート"。幾つもの二つ名を持ちながら、そのどれもを遥か高みから見下ろす彼女。達観と卓見のその先から世界を観察する穎才ジニアスは、私に政府解体リベラルを仄めかした。


 神の不在を嘲笑いながら、彼女は何を求めているのだろう。それこそ私は、──DUMを崩壊させたとして、その先の世界を思い描けるのだろうか。

 "献体される為の生命ドナーズヒューマン"の宿命から、ヒュムたちを解き放つことが出来たとしても、この世界にヒュムたちを受け入れる準備と覚悟があるのか? 水槽の鯨とヒュムたちが同じだなんて、私にはどうしても思えない。


 そしてイマリ。イマリは受け入れているのか。共存という言葉に包み隠された、矛盾と理不尽の奔流を。DUMの深い場所に流れる、汚泥にも似た血と哀しみの激流を。


 聡明怜悧ニア・ジニアスな彼女が、この世界の矛盾に気付いていないわけがない。でもだからこそ──だからこそ私には疑問が残る。


 イマリが、自身の掲げる享楽主義ヘドニズムの実現を何よりも重視するとしても、彼女の持っているスペックを考慮すれば、コンダクターという選択は茨の道でしかないはずだ。彼女の享楽主義ヘドニズムを叶える道ならば、他に幾らでもあるはずなのだ。


 そんなイマリは、私に失望したに違いない。世界を嫌悪する姿勢ディファレントセンスを持った友人の姿を、さぞかし哀れに思ったはずだ。全てを受け入れた上で前を向いて生きるイマリは、失われていく生命に対して最も真摯な姿勢を貫いているのではないか。そう考えると、また正しさが分からなくなる。


 どうして私は、イマリと向かい合う時間を作ってしまったのだろう。なぜあの瞬間に、自分の感情をほんの少し偽ることが出来なかったのだろう。

 負の感情が積み重なり、私の肋骨を押し潰す。止め処ない憂鬱が、心臓を軋ませて息苦しさを連れてくる。


 足場を失くした正義感ジキル目的を見失った高揚感ハイド


 そんなものたちに流されるまま、夜の静寂に閉じ込められる私。その脳内で、何度目かのイマリの涙を再生する。私は一体、何をしているのだ。


 強烈な自己嫌悪に襲われながら、また一つ寝返りを打つと、揺れ動く感情の糸を束ねるように、サヨさんの言葉が降ってきた。氷の国の魔女フロズンテンペストが垂らす蜘蛛の糸は、今も私の眼前でゆらゆらと揺れている。


 私はあの夜を思い返す。私の役割を復習するように。

 戦場の指揮官のように冷淡な瞳を宿した、サヨさんの誘い水ドロップアウトを──。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る