【創世──柔らかな明日を繋ぎ止める楽園。あるいは煉獄】

EP02-01






 だだっ広いメインガーデンの入り口で、室内型太陽イン・ザ・サンの優しくて紳士的な陽射しを味わう私。朝に目覚めたばかりであっても、こんな環境の中に居たらすぐ睡魔に襲われてしまいそうだ。

 お昼休みになったら、このバレルバッグを枕に昼寝でもしよう──などと考えている呑気な私に向かって、一人の少女が駆け寄ってくる姿。彼女の動作に同調して揺れる、ふわふわした輪郭の赤いワンピースが眩しい。


 小型走行ポッドを使っても良いくらいの距離を、一度も休むことなく走り切った彼女は、私の目の前まで来て急停止する。そして、ぜえはあと息を切らしながらも屈託のない笑顔を咲かせた。


「ホムラちゃん、おはようございます」

「おはよう、アゲハ。アリスは? 一緒じゃないのか?」


 私に向かってぺこりと頭を下げる、この可愛らしい少女の名前をアゲハという。首丈までの亜麻色の髪。その頭のてっぺんに、室内型太陽イン・ザ・サンの陽射しが天使の輪キューティクルリングを描き出していた。私の頭上にもその輪っかがあるだろうか。今度誰かに見てもらおう。


「アリスも居るよ? ほら、あそこ! 『走るのとかキャラじゃないし──』って言ってた!」


 アゲハの指差す方向を見やると、アリスの姿が確認出来た。とぼとぼと、だらだらと──極めてやる気の感じられない動きでこちらに向かって歩いている。


「今日の講義はホムラちゃんなの? ホムラちゃんだったら、アゲハ嬉しいな」


 アゲハはエメラルド色の大きな瞳をぱちくりとさせながら、背伸びをして私の顔をまじまじと見上げた。アゲハの瞳の中に、前髪を掻き上げる私が映る。


「すまん。たった今ここに着いたばかりで、データをアップしてないんだ。分かり次第、伝える」


 今日の私には二つの講義をする義務が与えられているわけだけれど、その受講者が誰であるのかはまだ知らされていない。それを知るためには、このメインガーデンを抜けた先にある『中央管理室コア・ルーム』の固定端末ターミナルにコネクトして、最新の情報をアップデートしなくてはならないのだ。

 この施設の中において──というよりもこの現代において、情報とは常に流動的、かつ閉塞的なものである。


「えーっ。ホムラちゃんが、いいよぅ。男の先生とか、嫌だなぁ……。あ、女の先生でも、サヨちゃんだったら、怖いし……」


 アゲハは後ろ手を組み、その体全体をもじもじとくねらせながら、思いつくままに喋っている。彼女の評価をどれだけ真に受けて良いものか分からないけれど、私の講義の方が良いと言われてもちろん悪い気はしない。

 彼女の言った"サヨちゃん"というのは、コンダクターとしての私の先輩であり、直属の上司でもある『天語あまことサヨ』のことだ。

 サヨさんは、温厚で心優しい私(半分くらい冗談)と違って、冷血で冷徹な女性である。"氷の国の魔女フロズンテンペスト"だとか、"冥界を滅ぼした死神ハデス・リーパ"だとか──それはそれは大層恐ろしい二つ名を獲得しているサヨさん(これは的確な解説なのであって、決して悪口ではない)は、アゲハや私の天敵でもある。


「ホムラの講義は穴だらけで、退屈しないもんな。アゲハ」


 やや遠くから聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。少々男まさりの口調で意地悪を言ったのはアリスだ。どうやら私とアゲハの会話が聞き取れていたらしく、アリスはアゲハに向けてにんまりとした笑みを送る。


「うん、確かに穴だらけかもー」


 アリスに同調したアゲハがケラケラと笑った。室内型太陽イン・ザ・サンよりもずっとあたたかい、無邪気なアゲハの笑顔。


「穴だらけってどういう意味よ。アリス、おはよう」


 アリスは返事をするでもなく、ましてや私に視線を向けるわけでもなく、気怠そうに右手を上げて応じる。素っ気ない彼女の態度はいつものことで、むしろ右手を上げてくれただけでも機嫌は上々なのだと判断するべきだろう。

 アリスの亜麻色の髪にも、室内型太陽イン・ザ・サンによる天使の輪キューティクルリングが浮かんでいた。赤色のワンピースのアゲハに対して、青色のワンピースを着ているアリス。私の目の前に二つの天使の輪キューティクルリングが並ぶ。

 私の頭上にも、三つ目の天使の輪キューティクルリングがあると思いたい。亜麻色の髪をしたキューティクル天使が二人、願わくば三人。


「ホムラの講義は、結構ひどいよ。突っ込む所が多すぎて、説明するのも面倒。それにホムラは批判的意見テロリズムが目立つ」


 アリスが「やれやれ」といった表情で左右に首を振り、それを見たアゲハがまたケラケラと笑った。アリスは両手を口にあてて、いかにもわざとらしい大仰な欠伸を見せつけてから、今度はアゲハに向けて言い放つ。


「そのホムラになついているアゲハも、これまた面倒。理解不能」


 口を開けて固まるアゲハ。天使と天使のケンカでも始まるのか。


「……アリスってほんとに意地悪だよね? ね? ね? ホムラちゃん」


 エメラルド色の瞳に大粒の涙を滲ませたアゲハが、私の同意を求めてきた。返答に困った私は、その潤んだ瞳から逃げるように目を逸らす。


 ──何だか、少し前にも同じような展開の朝があった気がする。その時はどうなったんだっけ。えっと……。


「はい、おしまい。解散。あなたたち、ホムラの邪魔をしないの」


 両手をパンッパンッと叩きながら、私の後方から氷の国の魔女フロズンテンペスト──もといサヨさんが現れた。

 凛とした歩調で私たちの間に割って入り、勢い良く私の方を振り返るサヨさん。肩先まで伸ばしたストレートの黒髪が揺れて、ふんわりとした香りがそこらじゅうに広がった。けれどもふんわりしているのは香りだけで、いつも通りの鋭い目付きが不機嫌そのものだ。端麗な顔立ちも、剣呑な表情によって台無しである。


 ようやく私は思い至る。そうだ、この前もこんな展開だった。


「ホムラ、あなたもあなたよ。ヒュムなんかとじゃれ合う時間があるのなら、講義のシミュレーションでもしてコンダクターとしての質を高めなさい」


 凍てついた棘だらけの声は、氷で出来た薔薇を連想させる。サヨさんの苛立ちの矛先は今日も私のようだ。

 アゲハが素早く私の後ろに回り込み、ブレザー制服の裾をぎゅっと握りしめた。『サヨちゃんだったら、怖いし……』の部分を聞かれていたかどうかは微妙にしても、氷の国の魔女フロズンテンペストが恐ろしい存在だという事実に変わりはないだろう。そしてアリスまでもが、素早い動作で私の背後に隠れてしまった。さてどうしたものか。


「サヨさん、いつもご指導ありがとうございます。そういえば、サヨさんの永久就職リブイン公式化ロックされましたね。尊敬する先輩のご活躍を心から嬉しく思います」


 わずかな逡巡の末に、先輩への祝辞を精一杯の作り笑顔で述べた私。


 永久就職リブインというのは、私たちに与えられた勤務形態の一つだ。DUMの内部に住み込みで働くことにより、更なる社会的評価と高収入を得ることが出来る。

 けれど滅菌処理バリアフリーの施された楽園に長期間滞在するということは、基礎免疫機能を失って外界に出られなくなるという危険性デメリットも孕んでいる。だから永久就職リブインというその勤務形態は、皆に敬遠されているのが実情だ。


「舌先三寸のお世辞をどうもありがとう。小娘の社交辞令が心に染み入るわ」


 顔色一つ変えず──要するに鋭い眼光を放って私を睨みつけながら、ふんっと鼻を鳴らすサヨさん。そのあまりの迫力に怯みかけたけれど、ブレザーの裾を掴む天使二人分の力が私の背中を押した。


「しかしながらサヨさん、永久就職リブインされるからといって、啓発的な人間ストイックマンになられては困ります。私は今、ここに居るアゲハとアリスと、爽やかな朝の挨拶を交わしていたところです」


 ああ、なんて生意気な台詞だろう。蛇に睨まれながらも、持たざる牙を向けてしまった蛙──早くも猛烈な後悔に苛まれた。

 サヨさんの小言なんて、いつも通りにさらりと躱せば良かったのだ。朝食抜きの精神メンタルは、自覚のない空腹感に苛々していたのかもしれない。世間知らずな小娘は、空腹と低血圧に心のコンディションを左右されやすいのだ。


「分かりました、ホムラ。ではこれからの私が、愚かで啓発的な人間ディア・ストイックマンとならずに済むよう、今後も模範的に振る舞って下さい。誰よりも・・・・


 そう告げたサヨさんは、冷淡な口調には似つかわしくない満面の笑みを浮かべて、私の左肩をゆっくり二回叩いた。その瞬間、私の背筋に冷たいものが走り、メインガーデンが氷河期アイスエイジを迎えたかのような錯覚が襲う。死神の釜を首元に添え当てられたら、きっとこんな感じなのだろう。


 サヨさんは静かに青褪める私に一瞥をくれてから、先ほどと同じく勢い良く振り返る。ふんわりとした芳香を残して、颯爽と去っていくその後ろ姿を、私たち三人はただ黙って目送するしかなかった。


 嵐が去ってからも、死神の微笑みが思い返されて額に嫌な汗が滲んだ。こういった心労の積み重ねによって、私の髪は天使の輪キューティクルリングからまた一歩遠ざかってしまうのだろう。


「ホムラちゃん、すごーい! かっこいい!」

「ホムラ、どうした? すげーじゃん、今日」


 サヨさんが充分過ぎるほどの距離まで離れたのを確認してから、アゲハとアリスが私の前に飛び出てきた。まったく、ちっちゃいくせにちゃっかりしている。アゲハは目をキラキラさせて尊敬の眼差しで、アリスは驚きの色を露わにして私を見つめている。


「……何も凄くない。むしろ馬鹿者だ」


 私は真面目半分の冗談半分で、大袈裟に頭を抱えてみせた。その様子を見たアゲハがケラケラと笑い声を上げる。


「ホムラちゃんおもしろーい。先生じゃないみたい」


 アゲハの無邪気な発言は、どれだけポジティブに考えても褒め言葉に変換出来なかったけれど、その笑顔に救われた気持ちになる。


「アゲハ、ホムラが傷付くだろ? ホムラは先生だ。出来損ないの先生だ」

「……うぐ。悔しいけれど否定は出来ない」


 そう言いながらも、私はアリスに小さく舌を出す。悪意を丸出しにしたフォローへのささやかな抵抗だ。しかしそんな私のリアクションを無視して、アリスが興奮気味に続ける。


「でもさ、ホムラ。あたしもさ、今のはカチンときたよ。だってほらあの魔女、あたしらのことを『ヒュムなんか』って言っただろ? そんなの馬鹿にしてるよ」


 普段はクールなアリスの言葉に、めずらしく感情がこもっていた。小さな拳を握りしめて、憤りに躰を震わせる彼女。


 『ヒュムなんか』──確かにそうだ。冷静に振り返れば、私もその言葉にカチンときたのだと思う。未熟な教員コンダクターとしてではなく、一人の人間として──。






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