EP07-02
さらりと
「あの、サヨさん。
「先に言ったはずよ。『あなたとプライベートで顔を合わせるのは、これが最初で最後です』と」
確かに
不思議そうに首を傾げるサヨさんのグラスには、既に半分もカクテルが残っていなかった。酸味の効きすぎたカクテルに手こずる私を、サヨさんは妙に熱の籠もった眼差しで観察している。もしかするとサヨさんは、私を子供扱いしたくて堪らないのではないか。
「あの、そこではなく──これは
「まさか。私と上層部以外は知らないはずよ」
私の質問自体が、まるで的外れだと言わんばかりにサヨさんが退けた。言いたいことの伝わらないもどかしさに、私は露骨に顔をしかめて言う。
「私たちに知らされているのは、サヨさんの
「大丈夫ですよ、あなたが他言しない限りは──まるで
今度こそ本当に、辟易することしか出来なかった。
「心配しなくても、
サヨさんは先ほどカクテルを運んでくれた女性を手招くと、私のためにメニューを貰ってくれた。この点については、独裁者イマリよりも気遣いが行き届いている。
手渡されたメニューを眺めてみるも、どうにも頭に入ってこない。そんな私の様子を見ていたサヨさんが、急にお硬い口調になって切り出した。
「ホムラ、真面目一辺倒のあなたに質問です」
「私が真面目だなんて、何かの間違いですよ」
「そうね、じゃあ不真面目でも良いわ。さて質問。私が
「それは……確かにそうかもしれませんが」
サヨさんが何を言いたいのかさっぱり分からない。真面目に話しているのかふざけているのかさえも、判別が付かなかった。
「規則を守ることに意味はないの。規則を機能させることにこそ意味がある。規則を機能させ続けたその結果として、政府は今、この世界を牛耳っている」
対面で熱弁するサヨさんへ手を伸ばして、慌ててその口を塞いだ。彼女の話の内容が、あまりにも
「サヨさん、酔ってますね。堂々と言うようなことじゃありません」
「いいえ、酔っていません。ホムラ、よく聞きなさい、そして見なさい」
サヨさんは防音フェンスの向こうを目線で促し、少しだけ声のトーンを落とした。
「政府が世界を牛耳っていても、どれだけ徹底的に管理していたとしても、それは決して完璧ではありません。その証拠に、巷間の人々は
熱狂的に踊り狂う人々の群れが、初めて物悲しく映った。
「ホムラ、たまには羽目を外しても良いのよ。どうせあなたのことだから、考えても仕方のないことばかりを考えて、ああでもないこうでもないと頭を抱えていたのではなくて?」
そう言ってサヨさんは、微笑みながら私の頭を撫でた。予想外の出来事に、自分の頬が紅潮していくのが分かる。
「だから子供扱いしないでください。それと、見てきたようなことを言わないでください。あっ、まさかサヨさんのことだから、本当にモニターされていたのですか?」
「あら、やっぱり頭を抱えていたのですね」
してやったりと、お腹に手をあててけらけらと笑うサヨさん。その様子に、私はじんわりとあたたかな気持ちを覚える。
「……こんなサヨさんでは、調子が狂います」
「あら、調子が狂うのはあなたの勝手ですよ」
カクテルを飲み干したサヨさんは、すぐに次の飲み物を頼んでいた。楽しげなサヨさんにつられて、私も軽食をいくつかオーダーする。注文の品がテーブルに出揃ったところで、私たちはもう一度乾杯を交わして仕切り直した。
「サヨさん、
「ありがとうホムラ。実際はおめでたくないですけどね」
柘榴色をした新しいカクテルに口を付けながら、皮肉めいた口調でサヨさんが言った。彼女は私の三倍くらいのペースでアルコールを消化していく。
「私を困らせないでください。大変な名誉ですよ」
「ねぇホムラ。今日はオフなのよ?」
「──はい?」
言葉の真意を汲み取れない私が頓狂な声を上げると、「やれやれ」と大きな溜め息を吐き出しながらも、茶目っ気のある表情でサヨさんが窘める。
「
「……はい」
サヨさんの瞳の奥に隠された鋭さが、静かに私を射抜いた。
「やっぱりサヨさん、酔ってますね」
「そうね、酔いたくもなります」
今度は私が溜め息を吐き出す番だった。僅かに覚悟を決めてから、正直な考えをサヨさんへ吐露する。
「正直言って私には、
「瞬間ではなく、ずっとでしょう」
端的な言葉で私を見透かすサヨさん。私は大きく息を吸って、続ける。
「……ですが、
「──ふふ、分かったようなことを言ってくれますね」
「オフですから」
「本音のあなたに感謝します」
私とサヨさんの視線が真正面から交わり、互いに笑みを零した。密やかな打ち明け話を包み隠すように、終わりのない重低音がフロア中に鳴り響いている。
「しかし、老師も見る目がありませんね。私は
そう言ってサヨさんは、嘲笑と共に自らの首を刎ねる仕草を見せた。私はどこかいたたまれない気持ちで、サヨさんへと投げかける。
「サヨさん、イマリは
そこまで言ってから、友人のプライバシーを安易に晒してしまったと反省する。
「どうかしらね。けれどあなたがそう思うのならば、必要ないのかもしれないわね。少なくともあなたは、私よりも幸せそうですから」
ぽんぽんと私の頭を叩きながらサヨさんが言った。やっぱりこの人は、私のことを子供扱いしなければ気が済まないようだ。実際のところ、サヨさんから見れば私は本当に子供なのだけれど。
「宗教の陥落とは、つまり哲学の繁栄。そもそも哲学の原点は、宗教からの脱却にあるのよ。それなのに可笑しいわね、あなたはその範疇の外側に居る」
「サヨさん、私に難しい話をしても無駄ですよ」
これは失言だった。神奈木博士の居場所を知るための
「そういえばホムラ。どう思いました?」
「質問を省略しすぎです」
わざとなのか、それとも本当に酔っているのか。サヨさんは独特の調子で会話を進めていく。
「老師の台詞を聞いて、どう思いました? 『雪白ミツキの唱えた複製体保護法によって、人類は人の道を踏み外さずに済んだ』――そう言われた気分はどう?」
唐突に飛び出した母さんの名前に、私の心臓がとくんと音を上げる。
「母さんの話は、やっぱり戸惑うだけです。たとえ心の底から褒め称えられていたとしても」
戸惑う──それが私の正直な感想だった。まさに今この瞬間だって、母さんの名前を耳にした途端に酔いが醒めそうになる。失言ばかりの私には、それくらいが丁度良いのかもしれないけれど。
母さんの名前は、呪いの言葉みたいに私を縛り付ける。
雪白ミツキの足跡が、私を逃れられない現実へと縛り付けるのだ。
「戸惑い以外には、何も?」
「はい」
「そう……気を悪くしないで聞いて。率直な私の見解を述べさせてほしいの」
私を責めるような、剣呑な眼差しがサヨさんに宿る。鋭利な氷刃の切っ先のように、温もりを許さない絶対零度の視線。
ああそうだ、この眼差しこそが、私のよく知るサヨさんだ。私の覚悟を測るような瞳の煌めきに、私は無言のまま首肯を返した。
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