EP07-03





「あなたの母親──雪白ミツキの取った愚行のせいで、人類は人の道を踏み外した。私はそう考えています」


 淀みないサヨさんの言葉が、私の深層へと染み渡っていく。このフロア中の全ての喧騒を遮り、私の心臓の時間の流れさえも止めて──心の鍵穴が開かれるような感覚があった。絡まった糸がほどけるように、在るべき場所に在るべき言葉として──私がずっと欲しがっていた思想が染み渡っていく。気を悪くするどころか、歓びにも似た不思議な感情が込み上げる。


「DUMなど建造しなければ、DUMさえ存在しなければ、ヒュムたちは数奇な宿命など背負わなくても良かった。理不尽な生を与えられることなく、理不尽な死に怯えることもなく、永遠の虚無の中で眠り続けることが出来た」


 滔々と語られる言葉が、耳に心地よい。私の全ては、サヨさんの唇の動きに吸い込まれていく。


「十数年前、まだ多くの人々が未知の技術への拒否反応を露わにしていた頃──雪白ミツキが自分が目指す理想郷ユートピアの姿を都合良く人々に説かなければ、このような最悪の妥協案さえ打たなければ、永久複製医療術Unlimited Medicalは、人々の倫理の元に封印することが出来た。違いますか?」

「いえ、その可能性はありました──その可能性の多くを、私の母が奪った」

「私の虚無主義ニヒリズムは、雪白ミツキの取り返しのつかない過ちから生まれました。人体を補完する臓器ボディ・サーキュレイションには、個体の尊厳どころか人格さえも必要ありません」


 いつの間にか私の瞳からは、大粒の涙が溢れている。この声色はくぐもってしまい、サヨさんへ届いたのかどうかも怪しい。彼女が口にした数々の言葉は、まるで私の深層心理を代弁するかのように、この感情を震わせた。自浄の涙が、止め処なく溢れてくる。


 ──私は誰かに、母さんを責めてほしかった。お前の母親さえ居なければと、口汚く罵ってほしかった。そして私は、私の母親こそが諸悪の根源なのだと──本当は、本当は自分の口で語って回りたかった。他ならぬヒュムたちの一人一人に。


 私に舞い降りたのは単純な答。私はこんな簡単な答えに目を伏せたままで、無意識のうちに延々と遠回りを繰り返していたのか。


「すみませんホムラ、口が過ぎました。アルコールはもう控えておきます」


 泣き止まない私を見て、さして取り乱すこともなくサヨさんが言う。しかしその目元は柔らかく緩み、私を慮る気持ちに満ちていた。


「違うんです。サヨさんが、まるで私の代弁者みたいで──」


 その続きがうまく言葉に出来ない私に、サヨさんはゆっくりと首肯する。


「そうね。ホムラ、あなたに会えて良かった」

「何ですか、それ」


 涙を拭いながらサヨさんを見やる。唐突に何の冗談を言われたのかと思ったけれど、その表情は真剣そのものだった。


「あなたが悩み苦しむ姿は、いつだって私を救っていたの。悪趣味でしょう? もしも雪白ミツキの娘が、同じ思想ニア・ユートピアに染まっていたらと思うと、ぞっとしないもの」


 つまり私が、母さんの名誉を主張する七光りフェイクスターであったなら、サヨさんは本当の意味で氷の国の魔女フロズンテンペストだったというのか。それは──私にとってもぞっとしない。


「今だってそう、あなたが私の考えを否定しないでいてくれたから、私はこの先へ進むことが出来るの。誰かに背中を押して欲しかった──私にも、迷いはあります」

「……サヨさんなら大丈夫です。この永久就職リブインを、私が心から祝福します」


 永久就職リブイン──外界との決別。退廃的デカダンスなサウンドホールから、無機質アンチエーテルなエリア004から、そしてこの世界の全てから──サヨさんは離別し、DUMと共に生きる。循環を促す者コンダクターの鏡として──。

 その姿を心に思い描くと、誇らしさと寂しさが同時に巻き起こった。


「ありがとう。ねぇホムラ、あなたは一つだけ勘違いしているわ」


 私に聞き返す間も与えず、サヨさんは続けた。


「私はあなたを評価している。きっと、他の誰よりも」


 私の頬が熱を帯びていく。面映おもはゆさを隠して、「お世辞でも嬉しいです」とひねくれた返答をする私。


「安いお世辞は言いません。ホムラ、あなたは刷り込まれた先入観イドラのサーカスに惑わされることなく、真っ直ぐに世界を捉えることが出来る」


 私を褒め称えるサヨさんの言葉に、何とも言えないむず痒さを感じながら、根本的な疑問にぶち当たる。そこまで考えているサヨさんなのに、コンダクターを続けているのは何故だろう。それどころか、どうして永久就職リブインという生き方を選んだのか。


 ──でもそれは私も同じ? 私こそ危険思想テロリズムに塗れながら、今もこの生き方を変えられてはいない。


 そう、その危険思想テロリズムを、そろそろ切り出さなくては。

 テラの隔離のこと、アリスの昇華サブリメイションのこと、そして私が、その昇華サブリメイションを阻止したいと考えていること──。


 すでに私は確信していた。サヨさんなら大丈夫だ。この人は決して、私の意志を頭ごなしに否定したり、吹聴したりはしないだろう。


 私は当初の目的に回帰する。


「あの、サヨさん──」「ホムラ、だから向いてないのよ。あなたは今すぐにでも、コンダクターを辞めるべきなの」




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