EP10-02





「あっ、ホムラちゃん! 遊びに来てくれたの?」


 喜びの声を上げながら突進してくるアゲハの体重を、両腕で受け止める。アリスに連れられて辿り着いたのは、二人に割り当てられたダブルサイズのコテージだった。今日も変わらず、アゲハのスケッチブックがテーブルの上に広げられている。

 状況が飲み込めないままの私に、アリスが言う。


「あのロリコンが水面下で何してるか知らないけどさ、あいつが真剣なのは分かるよ」

「──だからと言って、どうしてここに? さっぱり話が見えないんだが」


 「なになに? テラくんのお話?」と会話に加わるアゲハに、アリスが首肯する。すっかりロリコンという呼称が浸透してしまっているテラを、少しだけ不憫に思った。


「テラが言うにはさ、このコテージは少し特別らしいんだ」

「うんうん、なんかね、ここにある固定端末ターミナルは、みんなの使ってるものよりも性能が良いんだって。二人で一個だから!」


 アゲハが得意げな笑みで、リビングの奥を指差した。私が首を傾げてみせると、なぜかアリスも困った顔を浮かべる。


「細かい説明はあたしたちにも無理だぜ。あたしとアゲハがしたことは、テラに固定端末ターミナル乗船権利チケットを貸しただけだからな」

「モニターと向かい合ってるテラくんはね、とってもカッコいいんだよ! 椅子が小さくて窮屈そうだったけどね」


 乗船権利チケットを貸す──その言葉に、ようやく話が見えてきた。アリスが頼まれごとを引き受けたのは、神奈木博士がDUMに来訪したのよりも後。それならば、まず間違いない。


「テラはさ、『とにかくお前たちの固定端末ターミナルをホムラに見せてくれ』って」

「いや、見せてくれと言われても──」

「テラくんはね、ホムラちゃんのおめめで生体認証ボデパス出来るからって言ってたよ?」


 アゲハが、親指と人差し指で輪っかを作る。それはつまり、どういうことだ。あのロリコン──じゃなくてテラは、いつの間に私の網膜データを採取したんだ。


「しかしなんだろな。交際誓約書ラブレターでも入ってんのかね?」

 

 交際誓約書ラブレターという単語に反応したアゲハが、途端に青褪めた顔をする。「そんなことあるわけないだろ」と、アリスの失言を全力でフォローする私。小さな天使に焼かれる嫉妬ジェラシーなんて、心苦しいだけだ。


「じゃあホムラ、また後でな」

「お、おい──」


 揚々と手を振ってコテージを去ろうとするアリスを、慌てて引き止める。


「ホムラちゃん、わたしたちは講義の時間だよ?」


 そう言いながらアゲハも、テーブルの上のスケッチブックを片付け始めた。その脇に転がっていたクレヨンも、そそくさと箱に戻していく。


「それなら講義の後にしよう。私一人がここに残るわけにはいかない」


 私がそう提案すると、アリスとアゲハが全く同じ角度で首を傾げた。そして寸分違わぬタイミングで言う。


「「なんで?」」


 なぜかと問われれば、返答に困ってしまう。倫理的に問題があると言えば大袈裟だし、気不味いからと答えれば一体何が気不味いのだという話だ。


「どうしてもこうしてもないよ。ここはお前たちのコテージだから」

「そのあたしたちが、二人揃って良いって言ってるんだから、良いんだよ」






 結果として二人のコテージに取り残された私は、おずおずとリビングの奥へ移動する。分かってはいたけれど、そこは二人の寝室だった。壁の右側と左側にそれぞれ寄せるようにして、二つのベッドが配置されている。私の向かって右側──ブタさんのぬいぐるみが枕元に置いてある方が、きっとアゲハのベッドなのだろう。


 真向かいには、少し大きめの固定端末ターミナル。端末の処理能力を示す型式の数字が、一般深度3万デプスを軽く越えている。確かにアゲハの言ったとおり、他のコテージに割り当てられているものよりもずっと上等なものだ。


 二人の寝室に長居は無用と先を急ぐ気持ちと、テラが私に伝えようとしているものを知る覚悟とが、相反してせめぎ合う。とにもかくにも電源を入れて、まずは生体認証ボデパスを済ませてしまおう。


 自分の網膜データが知らぬ間に採取されていた薄気味悪さを、決して感じないわけでもなかったけれど、ここまで手の込んだ細工をするテラの決意を、それ以上に感じていた。まさにアリスの言うとおり、テラが水面下で何をしているにしても、その真剣さは伝わってくる。


 電源が立ち上がった大型のモニターに、顔無しフェイスレスの頭部が現れた。流れるように眼窩のくぼみがカッティングされると、そこに一対の目玉が浮かび上がる。長めのまつ毛に、色素の薄い黒目。眼球の運動ストレッチでもするようにぐるりぐるりと視線の先を変えるそれを、私は私の瞳で追う。すると五秒もしないうちに、【照合完了コンプリート】という無機質なアナウンスが発声された。


「──まさか、本当に開くとはな」


 難なく生体認証ボデパスをクリア出来てしまったことに、思わず独り言が漏れる。オペレーションシステムの起動を告げるポップなロゴが流れた後で、固定端末ターミナル利用者名アカウントネームが表示された。


【麗しの雪白姫スノウホワイトは今日もご機嫌ななめアングリー


 私を挑発するような利用者名アカウントネームに絶句する。永遠の非献体者エターナルチャイルドがいつも浮かべていた、掴みどころのない不敵な笑みが、ありありと再生されるようだった。


「まったくアイツは──」


 溜め息を吐き出す間に、夥しい数の光の粒子が流星群のように流れはじめた。そのうちの幾つかが空白クラスタに付着して、うっすらと人体の形ホワイトモデルを形成していく。

 幾何学模様テクスチャのようなそれを、頼りない椅子に腰掛けて眺める。集塵しゅうじんする光の粒子は、誘蛾灯キルライトに群がる無数の羽虫のようだと思った。つい瞬きを忘れそうになる。


 そして──。

 モニターの中に構築モデリングされたは、テラそのものだった。


 人目を引く青味がかった白髪はくはつ。私を試すような切れ長の目。細い顎がまとめる中性的な顔立ち。そしてやはり──不敵な笑み。

 まるで電子牢の中の彼と、実際に画面越しで対面コネクトしているという錯覚を起こすくらいに精巧な再現リアルな出来栄え。


 モニターの中のテラと目線が合う。すると彼は、上機嫌にも鼻歌を口ずさんでから告げた。鼻につくその仕草が、いかにも彼らしい。


「ホムラ、ずっと会いたかったよ」

「──元気そうで何よりだ。私は疑り深い先輩たちのせいでヘトヘトだけどな」

「そっか、随分と遠回りしたんだね。ホムラはいつだって、要領が悪いから」


 その声に話し方──表情や仕草に至るまでのあまりの再現性に、私は思わず軽口を垂れた。その軽口を、涼しい顔をして受け流す彼。

 そもそも、リアルタイムで会話が成立したことに驚くべきなのに、あまりにもの作りが精巧過ぎて驚きどころが分からない。


 困惑する私に、テラのかたちをしたが芝居がかった仕草で告げた。


「ようこそ、輻輳する大海原ワールドウェブ外海アンダーグラウンドへ──迷える雪白姫スノウホワイトを、俺が案内してあげるよ」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る