【有限──安寧が笑う不変の世界。虚空を照らす倫理の鎖】

EP03-01





 暗黒の中に、無数の明かりが浮かんでいる。『天球儀』という名の原始的発明の終着点『プラネタリウム』。様々な技術が進歩して改変されていく中で、ここ半世紀強の間に劇的な変化を伴わなかった、ある意味ではとてもレアな技術。


 大地に寝そべり、遥かな高みに想いを馳せる──人々のロマンは太古から普遍なれど、この現代において星空を見上げる機会にはそうそう恵まれない。ネオンの乱反射する都市部で寝転んでみたところで、星屑一つ見つけることの出来ない現実を思い知るだけだ。


 そんなことを考えていたら、私の口元から嘲るような笑みが漏れた。私は虚無主義に取り憑かれた人ニヒリストでもなければ、形而上学に取り憑かれた人ロマンチストでもないというのに。


 偽りの夜空を見上げ、無数の光の粒たちに目を細める。所狭しと散りばめられたその光たちがそれぞれの個性を放ち、暗闇の中で自己主張を続けている。

 赤く激しく光るもの。静かにぼんやりと明滅するもの。目を凝らさないと確認出来ないもの。無数に寄り添い合って塊に見えるもの。端の方でぽつんと孤独に光るもの。

 もしも私が星だったならばどの星かなどと、かつて延々と考えたことがある。すぐに思考が脱線してしまう癖は、兼ねてよりずっと変わっていないのだ。


 今だってこうして益体もない考えを巡らせることで、本来考えるべき事柄から無理矢理に思考を遮断している。だからこれは思考癖というよりも、逃避癖なのかもしれない。


 ともかく中央管理室コア・ルームの天井は、プラネタリウムと呼ばれる擬似天体になっていて、そのために実際どれくらいの高さがあるのか把握出来ない。虚空とも呼べる彼方を見るたびに、自身の足元が揺らぐような錯覚に襲われる場所だ。


 目線を下に戻すと、沢山のモニターや端末たちが重く低い音で唸っている。無数の唸り声の主から、私たち一般コンダクター用の固定端末ターミナルを選んで、携帯端末ワールドリンクをアップデートする私。


 DUMの運営元である政府の、厳しい検閲を終えた私のためだけの情報。要するに、"私のような下っ端にも知ることの許されている大して中身のない情報"が、電子の海から私の携帯端末ワールドリンクに泳いでくる。着岸クロールしたそれは、いわゆる公式化された情報ロックメディアと呼ばれるものだ。


 アップデート完了の告知音の後、すぐに連絡トピックを開く。確かにテラの言うとおり、今日今現在も昇華サブリメイションの予定は立っていないようだ。テラの情報源はいささか謎ではあるけれど、あのトーマ博士の複製体なのだから、まあ何とか出来てしまうのだろう。


 そもそもヒュムたちは、誰も彼もが偉大な功績者の複製体である。だからその誰もが大きな潜在能力を秘めているわけで、きっとテラは私などには思いも寄らない方法で、公式化された情報ロックメディアを盗み見る手段を有しているに違いない。


 仮に、少々恣意的な私の推測が事実だったとしても、テラの行為を咎める感情が私からは湧き出てこない。そして情けないことに、テラやアリスにはそんな私の感性を見抜かれてしまっているのだ。


「あら、まだ旧式の携帯端末ワールドリンクを使っているの? 先日、生体認証型フルオートマ携帯端末ワールドリンクへの切り替えを推奨したはずだけれど……」


 斜め上方から降り注いだ声の主は、サヨさんだ。その表情など見えなくても、蔑むような目をして私を見下す様子が容易に想像出来た。


 中央管理室コア・ルームの造りは、幾段かの階層に分かれている。サヨさんはその上段から、私に向かって話しかけている形だ。

 個人的な見解では、強い上昇思想ヒエラルキーを持ったコンダクターほど、なぜだかいつも高い所に居たがる傾向があると思っている。そんなに天体観測が好きなら、いっそのこと人の住み着かない未来永劫の汚染区域アフターマスにでも出向いて星空を堪能するべきだ。


「この携帯端末ワールドリンクには愛着があるものですから」


 "フニャフニャのオリジナルフォントたち"が詰まった携帯端末ワールドリンクを、指先で軽く撫でながらサヨさんを見上げた。


生体認証型フルオートマ端末モバイルはよりセキュリティ性が高く、更に高機能です。実際に使用してみればあなたのモバイルが玩具だということが理解出来ると思うわ。近いうちに持ち替えなさい」

「上司命令でないのなら、考慮する時間を頂きたいと思います」

「同じ職場に務める者からの適切な助言です。コンダクターならば、もっとセキュリティを重んじるべきよ」

「どうもありがとうございます。考えておきます」


 上司同僚からの適切な助言余計なお世話を、素直に了承出来ない困った私だったけれど、そんな自分を誇らしくも思う。それにもしかしたら、サヨさんはどこかのモバイルメーカーの回し者なのかもしれない。もしくは最先端の流行り物が大好きな買い物依存症クリックホリックとか──。


 そんな冗談はさておき、今日はやたらとサヨさんに縁がある一日のようだ。他のコンダクターに助け舟を出そうにも、あいにく今この空間に他のコンダクターの居る気配はない。


「それと、こちらは忠告よ。今後、ヒュムと戯れ合うのはやめなさい」


 「さぁ本題よ」と言わんばかりに、いかにも啓発的な人間ストイック・マンじみた声色が放たれた。同じ方向からは、カタカタとアナログボードを叩く音も聞こえてくる。自身の業務をこなしながらも、不出来な部下への指導を忘れない──理想の上司そのものだ、うんざりする。


「戯れ合った覚えはありませんが」


 否定の台詞を、努めて明るい口調で返した。それになるべくの笑顔を添える。暗闇の中とはいえ、上段からは私の表情が見えているかもしれない。


「私の忠告を聞き入れれば、今朝の反抗的な態度は忘れてあげましょう。それに──先ほどの行為は明らかに行き過ぎです」

「何のことでしょう」


 さすが氷の国の魔女フロズンテンペスト。朝のことをやはり根に持っている。それに魔女は、”先ほどの行為”とやらを咎めてきた。思い当たることは一つしかない。私の表情が一瞬で強張る。


「ここ最近のテラには、情緒不安定な言動や反抗的な態度が観測されています」


 どうやら見られていたようだ。悪趣味な行動を隠そうともしない魔女を、眉をひそめて睨みつける。


監視モニターされていたのですか? 仕事熱心ですね」


 精一杯の皮肉で不快感を露わにする私。こうして私の天使の輪キューティクルリングは、ますます遠ざかっていくのだろう。


 DUMの至る所には広角撮像管フィッシュアイレコーダが設置されていて、常時施設内の様子を記録している。半分は防犯のため、もう半分はヒュムの観測のため──どこまでが建前でどこからが本音なのかは、実のところ分からない。まだまだ下っ端の私にはモニターを見る権限アドミンなど与えられていないけれど、その権限アドミンが与えられたところで、私には無用である。


「今後もそういった動向が続くようであれば、投薬や隔離も視野に入れています」


 私の皮肉を受け流しつつ、耳を疑うような台詞をさらりと述べるサヨさん。


 ──投薬や隔離。


 サヨさんの言葉を頭の中で反芻してみる。似たような言葉も他に思い浮かばない。概ね聞き間違いではないだろう。怒りにも似た感情が私を滾らせる。


 アナログボードを打鍵タイプする音も、いつの間にか聞こえなくなっていた。サヨさんの仕事に一段落がついたのか、それともサヨさん自身も真剣に話し始めたからなのか──。

 私の立ち位置からサヨさんの表情が確認出来ないことをもどかしく思う。


「投薬も隔離も、懸命な判断とは思えません。それにその行為は、母の唱えた『複製体保護法』を大きく外れています」


 感情的になっているせいか、無意識の内に母さんの話が出てしまった。咄嗟のこととはいえ、さも味方であるかのように母さんの功績を切り出す自分に憤りを覚える。


 複製体保護法。それは母さんの提唱した倫理的主張を元に作られた誓約だ。ヒュムたちの基本的人権と日々の充足を尊重しながら、この楽園DUMを運営していくという上辺だけの盾フェザーシールド


「いいえ、むしろ複製体保護法を遵守するからこその判断です。云わば治療行為の一環。テラを今のまま放置すれば、いずれ自傷行為に発展し、果てには自殺行為に繋がる可能性もあります。実際、幾つかの前例がありますから」


 サヨさんの口調にも、若干の熱が帯びてきたように思う。魔女から滲み出た静かな怒気に、これ以上張り合うのはさすがに私の立場が危ないという保身的な気持ちも湧き起こる。けれど、投薬も隔離もやり過ぎなのは明白で、この気持ちを収めることは難しい。


 『ホムラは批判的意見テロリズムが目立つ』──確かにアリスの言う通りだ。彼女の繊細な感受性は私の本質を見抜いている。


 私は感情を剥き出しにして、一息に言い放った。


「サヨさん、私には納得出来ません。今朝の発言もそうですが、ヒュムたちのことをまるで動物か何かと勘違いされていませんか? もしもそうであるならば、今すぐに考えを改めて下さい」


 サヨさんと私の間に、拭い去れない確執が生まれることを覚悟したその時、暗がりの高みから、威厳に満ちた重々しい声が響いた。





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