EP01-04





 どっしりと大地に根を張った建造物は、自動走行ポッドの強化ガラスとは比べ物にならない厚さの、完全防御壁とでも呼ぶべき特殊強化ガラスを張り巡らせている。半球状の鏡面が深緑を反射し、カメレオンのように風景の中に溶け込もうとしているけれど、場違いとしか思えない重量感を纏った人工物は、少しも擬態に成功していない。


 その姿は、まるで要塞。


 広大な敷地面積の分だけ、先駆的な深緑たちは強欲に掻き分けられたのであろう。開拓者のエゴイズムによって、古来より眠り呆けた原色の緑ドウジング・グリーンが悲鳴を上げる姿を想像してしまう。


 私の正面には、陰陽マークにも似たエンブレムが琥珀色アンバーイエローの壁面に掲げられている。決してセンスが悪いとまでは言わない。しかし、月と太陽の満ち欠けをモチーフにしたエンブレムは、少なからずの宗教色を感じさせるデザインである。

 こんなものは受け手の解釈でしかないし、批判的意見テロリズムとして裁かれかねないので誰も口にはしないけれど、お世辞にもイメージアップに繋がるとは言えない紋様だ。もう少し前衛的スタイリッシュにするか、いっそのこと可愛いクマさんやハートマークにしてしまえば、世間からの印象も良くなるに違いないのに。


 つまらない冗談はさておき、この屈強な巨大建造物こそが私の勤務先である。大地に張り付いた場違いな要塞──その正式名称を、『Dome 型ドームがたUnlimited Medicalアンリミテッドメディカル』。


 文節の頭文字を取って、通称『DUMドゥム』だ。


 "空"だとか"海"だとかの固有名詞が誰しもに通じるように、"DUM"という固有名詞が通じない人間は、この世界に存在しないだろう。何しろDUMは、この世界の支配者である政府が直々に管理している施設なのだから。


 琥珀色アンバーイエローの壁に埋め込まれた悪趣味なエンブレムを目印に、私はその真正面に立った。軽く両手を払ってから、エンブレムの真下に左の手のひらを押し付ける。こうすることで、表立った出入り口のない不親切な施設への入館意思を告げるのだ。


 そういえば大昔には、身を触れることで大木や岩壁と会話出来る人間が存在したらしい。伝導者シャーマンとか呼ばれていたその人たちの資料を、輻輳する大海原ワールドウェブの片隅に見かけたこともある。もちろん、私にそんな神憑り的な能力などあるわけもなく(この時代にそんな能力を持っていたら、それこそ大問題だ)、これはDUMの内部へ入るための手続きである。


照合完了コンプリート


 発信源の特定しづらい無機質な3Dアナウンスが鳴り、壁の一部が音も立てず奥手に押し下がった。

 数メートルに渡って後退する壁を見やるのは毎朝のことだけれど、何度見ても狐につままれたような感覚を覚えてしまう。ゴゴゴゴゴッと原始的な音でも立ててくれれば、少しはしっくり来るのに。


 ──その仕組みは、私には専門外ということで。


 人類の科学がどれだけ進歩しても、人類そのものが進化したわけではない。技術にあやかる人の数がごまんと増えても、製作者になれるのは極々一部ということ。

 そもそも、入館の度に行われている生体照合ボデパスのプロトコルやメカニズムについても、私は充分な知識を持ち合わせていない。私だけではなく、この世界に生きる人々の一体何パーセントが、それら革新的技術の根本的な仕組みを解説出来るというのだろう。


 小さな溜め息を吐き出し、意図的に思考を遮断する。深みにはまるだけで益体もない思考──この繰り返しリフレインが私の悪癖の一つだ。


 壁が押し下がって開けたスペースを進むと、薄闇が徐々に深まってくる。やがて闇の中に現れる直線的な赤い光が、仮想現実テーマパークにありがちな何かのアトラクションを思わせた。

 幾筋も飛び交う光は、人体照射ガンスコープと呼ばれる医療技術の一種だ。私の瞳孔の認証はもちろんのこと、簡易的な健康診断の役割までも兼ね備えている。


照合完了コンプリート


 やはり無機質なアナウンスが、生体照合ボデパスのクリアを告げた。

 反政府行為テロを警戒してなのか、はたまた情報漏洩スパイを警戒してなのか──。外壁こそ剥き出しのDUMだけれど、その内部へ進むには複数の認証が必要なのだ。DNAの複製が容易になったこの現代において、生体認証を複数段階に分けて行う必要性は、決して低くはないのだろう。


 一番最初に受けた説明によれば、この段階までですでに、私の指紋、心音、網膜、体躯、骨格、の五つが照合されているらしい。総計で3パーセントの誤差までしか許されなかったはずと記憶している。

 もしも乙女デリケートな私が、仕事やら失恋やらのストレスで、ジャンクフードをやけ食いして急激に肥えてしまったらどうなるのだろう。偽物扱いされた挙句、レーザーメスでも出てきてサイコロステーキのように切断されてしまうのだろうか。またその場合でも、勤務中の事故ということになるのだろうか。今後の生活の保障は、きちんとしてもらえるのだろうか。


【最後に声紋を照合します。あなたのお名前を教えてください】


 実にくだらないことを考えていた私を、実に無機質なアナウンスが丁寧に現実に引き戻してくれた。頭の中で"実に"を三回も繰り返してから、私は答える。


雪白ゆきしろホムラ」


 私が名乗り終わるのとほぼ同時に、フロア奥には昼白色の明かりが一斉に灯り、薄闇の全てを追い払った。殺菌灯の清潔な光に満たされた空間は、不自然なまでに青白い。


 【全項目照合完了オールコンプリート。雪白ホムラ様を認識しました】


 恒例のアナウンスが鳴り終えるのも待たず、足早に歩を進める。照合完了と連動して突きあたりで待機駆動アイドリングを始めるメインエレベータへと乗り込んだ。


 大型自動走行ポッド"フジヤマ"が、楽に三台は入るサイズのメインエレベータ。

 何しろ、この建物自体がすこぶる巨大なのだ。エレベータだって、当然のように巨大化している。

 その大きなスペースを気兼ねなく独り占めして、メインガーデンのあるフロアへと昇っていく。足元から噴出する滅菌スモークが、私を黙々もくもくと覆い隠していった。まるで玉手箱から飛び出す煙に、もくもくと包み込まれる私。


 私は祈る。自らの迷いを茶化すように。マニュアル通りに深呼吸を繰り返して、肺の隅々までも滅菌スモークで満たしながら。

 メインガーデンへ辿り着くまでに、シワシワのおばあちゃんになっていたりしませんようにと。あるいは、私自身も巨大化してしまったりしませんようにと──。




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