【沈殿──輻輳する大海原の外海に沈む】

EP10-01





 室内型太陽イン・ザ・サンが放つ人畜無害な光の下、サヨさんへ端的な文言の電書鳩クルックを放つ。伝書鳩クルックに握らせたのは、神奈木博士の特別研修エキシビジョンが非常に有意義な時間であったという報告と、簡素テンプレートなお礼の言葉だ。


 聡明なサヨさんならば、それだけで全てを悟るはず。


 私に与えられた役目ミッションを、ある意味では無事に終えられた安堵感に一息入れたいところだったけれど、神奈木博士の不可解メタリックな肌の感触が、頭から離れずに私を悩ませた。


 もしかすれば、私の思い違いかもしれない。そんな希望的観測に縋って、真実に目を伏せるのは容易い。

 実際、と思う。

 事実、とも。


 けれど、本能が感じ取った違和感を拭い去ることは出来ない。アリスやアゲハと触れ合った際には感じられる人肌のぬくもりを、あの感触に見つけることは難しかった。


 そういえば海中レストランで、イマリと生態系再生学アーステクノロジイについて語り合ったっけ。


 遅延を括られた人工生命ファー・シンギュラリティや、縄張りに縛られない自立型の機械ロボティクス。それら技術革新の産物と、あの神奈木コトハが同じ括りだとでも? あの賢人の上位互換ワイズマンジェネレートが、いずれかの人工生命シュレーディンガーの一つだとでもいうのか?


 そんなの馬鹿げてる。

 しかし私はそこで、久しく忘れていた神奈木博士の二つ名の一つに思い至るのだった。


 ──人工生命の先導者ニア・シンギュラリティ


 その二つ名は、言い得て妙である。 

 文字通り神奈木博士が人工生命を率いる存在とも、裏をかいて神奈木博士自身が人工生命だとも解釈出来るのだ。もちろんその呼び名が、巷間に渦巻く畏怖や賞賛が生み出した、ただの偶然の産物に過ぎないにしても。


 永久電源機関エターナルバッテリイを発明した彼女自身が、永久電源機関エターナルバッテリイを必要としていたという推測は荒唐無稽だろうか。それは一見とても滑稽な発想にも思えるけれど、実は何よりも合理的で的を射た発想ではないだろうか。


 青い葉を豊富に付けはじめた樹木の影に寝そべり、思慮の森に迷い込んだ私。その姿を上から見下ろすようにして、小さな人影がこの脚に落ちる。影の先を視線で辿れば、半目で私を観察するアリスの姿があった。


「ったく、また悩みごとか? 会うたび会うたび小難しい顔してんじゃねーよ」


 相も変わらずの男勝りな口調で、アリスは唇の端を吊り上げる。「せっかくの可愛い顔が台無しだ」と教えたら、すかさず「それはホムラも一緒だろ」と返された。予想外のお世辞が、この胸を和ませる。


「なあアリス、一つ頼みがあるんだが──」


 私がそう切り出すと、アリスはいちいち顔をしかめてみせた。「なんだよ」と訝しみながらも近寄ってくるその可愛らしさに、私は微笑みながら言う。


「ちょっとだけ、私をハグして欲しい」

「はっ? ホムラ、お前ほんと最近どうし──」


 反射的に逃げようとするアリスの腕を掴み、軽い躰をぐいっと引き寄せる。暴れるアリスをとにかく私の横に寝かせて、無理矢理に私の上半身を包ませた。


 その瞬間、確かなあたたかさが訪れる。更に神経を研ぎ澄ませば、アリスの拍動が、とくとくと私の躰に伝わってきた。鼻先には、陽の光を浴びた紛れもない生命の匂い。このまま眠りに落ちてしまいたくなるほどの、やわらかな安らぎ。


「いきなり何だよっ。誰かに見られたらどうすんだ」


 見やれば、アリスの顔は真っ赤に染まっていた。紅潮した頬さえもが、私に安息を教えてくれる。


「悪い。ちょっと確認してみた」

「……何の確認だよ。もしかしてお前もロリコンか」


 アリスの言葉に、私は思わず吹き出した。姫君プリンセスに心臓を捧げたい騎士ナイトが、本当にロリコンだったら──私の配役は姫君プリンセスじゃなくて老婆ということになる。


「アリス、私はロリコンじゃないけれど、お前たちのことを大切に思ってる」

「うげっ、ホムラがいよいよ気持ち悪い。精神病質サイコパシーでも発症したのか?」

「うん。そうかもしれないな」


 ヒュムへの愛情を躊躇いなく言葉に出来る場所にまで、私はやってきた。許されざる加害者の立場に居ながら、被害者たちの屍の上に立ちながら──何かを変えたいと叫ぶ勇気を、ようやくとして手に入れた。


 それは自己満足の贖罪で──。

 それは一方通行の弔いで──。


 道を誤れば、政府によって即座に裁かれるだろう。この世界で、私の想いは紛れもなく過ちなのだ。その代償リスクは重々承知している。

 それでも私は──最後のその瞬間まで、声高に訴えるはずだ。たとえば本当に、ゲントク老師に熱照射銃ブラスタを突きつけることになっても。


「自分の愚かさを棚に上げて言う。アリスたちに知って欲しいんだ。自分たちを愛する愚かな死神が、この偽りの楽園に存在するということを」


 そしてそれは、私だけじゃない。少なくともサヨさんの根底にも、同じ想いが燃えているはずなのだから。今はそれを伝えられないことが、酷くもどかしい。


 複雑な面持ちで押し黙ったまま、私をじっと見つめるアリス。その心中には、決して少なくない私への憤りが滾っているだろう。無力な死神の愛の言葉は、不思議の国のアリスの耳には残酷にしか響かない。


 だから──。


「アリス、今こそ教えてほしい。私がアリスを探し回っていたあの時──発電区の入り口で、テラに何を言われた?」


 だから私は、行動を止めてはならない。辿れる糸の全てを辿り、道を誤る可能性の一つ一つを正していかなくてはならない。神奈木博士の言葉を鵜呑みにすれば、神の啓示ダウンフォールのように私に伝えたい何かを、テラが握っているはずなのだから。


 アリスは、ほんの少しだけ逡巡する。私からの唐突な質問に、理解が追いつかなかったに違いない。ややあってからアリスは、唇を尖らせて言った。その仕草が、照れ隠しであって欲しいと私は願う。


「ああ、あれは大したことじゃねーよ。アゲハと似たようなもんさ」

「アゲハと?」

「うん。『結婚しよう』みたいな話」

「は?」


 思わず私の声が裏返った。まさに手当たり次第のテラの軽薄さは、時々心臓に悪い。


「……嘘だよ」

「焦った、テラが本当にロリコンなのかと──」「──でも、似たようなことは言われたぜ」


 私の言葉を遮って、含みを持たせながらアリスが言う。頭上の青葉を映し込んだエメラルドの瞳が、深緑の色に染まりながら揺れた。


「『何があっても、俺を信じろ』だってさ」

「え?」

「『俺がお前たちを救ってやるから、何があっても俺を信じろ』って。なんかプロポーズみたいだろ? 『お前に救われるほど悩んでねー』って言ってやったけど」


 その言い方は、つまり──。

 つまりテラには、自分が隔離される展開が読めていたということか。

 神奈木博士がDUMを訪れたあの日のうちに──天才の生き写しであるテラは、自分が隔離される展開を予測シミュレートしていた。


『テラが隔離されるまでに、全部で五日もあったのよ。それだけの準備期間があって、鏡合わせの穎才アンチジニアスが何もせずにいたと思う?』


 私はサヨさんの言葉を思い返した。ならばテラは、その五日間をたっぷりと使って、一体何を仕込んだのだろう。


 推測と憶測の渦の中で顔をしかめる私に、アリスは話し続けた。珍しく饒舌なアリスの言葉を、私は耳だけで追っていく。


「なあホムラ、あたしからも頼みがあるんだけど──」「というよりも、あたしがテラに頼まれてるんだけど」「あ、その……あたしが学級崩壊カタストロフさせちまった日とは別だぜ」「それより後に、頼まれたんだ」


 アリスの告白が、私を思考の世界から呼び戻す。迷いを振り切るようにして、アリスがその続きを吐き出した。


「『もしも俺が姿を消して、ホムラが毎日陰鬱な顔を見せるようになったら──』」

「──なったら?」


 言葉を反芻しながら上半身を起こした。アリスを見やればその表情は真剣そのものだ。


「『ホムラに見せてほしいものがある』って──だからあたしは、さっきからホムラを探してたんだ」





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る