【沈殿──輻輳する大海原の外海に沈む】
EP10-01
聡明なサヨさんならば、それだけで全てを悟るはず。
私に与えられた
もしかすれば、私の思い違いかもしれない。そんな希望的観測に縋って、真実に目を伏せるのは容易い。
実際、とても良く似ていると思う。
事実、とても良く出来ているとも。
けれど、本能が感じ取った違和感を拭い去ることは出来ない。アリスやアゲハと触れ合った際には感じられる人肌のぬくもりを、あの感触に見つけることは難しかった。
そういえば海中レストランで、イマリと
そんなの馬鹿げてる。
しかし私はそこで、久しく忘れていた神奈木博士の二つ名の一つに思い至るのだった。
──
その二つ名は、言い得て妙である。
文字通り神奈木博士が人工生命を率いる存在とも、裏をかいて神奈木博士自身が人工生命だとも解釈出来るのだ。もちろんその呼び名が、巷間に渦巻く畏怖や賞賛が生み出した、ただの偶然の産物に過ぎないにしても。
青い葉を豊富に付けはじめた樹木の影に寝そべり、思慮の森に迷い込んだ私。その姿を上から見下ろすようにして、小さな人影がこの脚に落ちる。影の先を視線で辿れば、半目で私を観察するアリスの姿があった。
「ったく、また悩みごとか? 会うたび会うたび小難しい顔してんじゃねーよ」
相も変わらずの男勝りな口調で、アリスは唇の端を吊り上げる。「せっかくの可愛い顔が台無しだ」と教えたら、すかさず「それはホムラも一緒だろ」と返された。予想外のお世辞が、この胸を和ませる。
「なあアリス、一つ頼みがあるんだが──」
私がそう切り出すと、アリスはいちいち顔をしかめてみせた。「なんだよ」と訝しみながらも近寄ってくるその可愛らしさに、私は微笑みながら言う。
「ちょっとだけ、私をハグして欲しい」
「はっ? ホムラ、お前ほんと最近どうし──」
反射的に逃げようとするアリスの腕を掴み、軽い躰をぐいっと引き寄せる。暴れるアリスをとにかく私の横に寝かせて、無理矢理に私の上半身を包ませた。
その瞬間、確かなあたたかさが訪れる。更に神経を研ぎ澄ませば、アリスの拍動が、とくとくと私の躰に伝わってきた。鼻先には、陽の光を浴びた紛れもない生命の匂い。このまま眠りに落ちてしまいたくなるほどの、やわらかな安らぎ。
「いきなり何だよっ。誰かに見られたらどうすんだ」
見やれば、アリスの顔は真っ赤に染まっていた。紅潮した頬さえもが、私に安息を教えてくれる。
「悪い。ちょっと確認してみた」
「……何の確認だよ。もしかしてお前もロリコンか」
アリスの言葉に、私は思わず吹き出した。
「アリス、私はロリコンじゃないけれど、お前たちのことを大切に思ってる」
「うげっ、ホムラがいよいよ気持ち悪い。
「うん。そうかもしれないな」
ヒュムへの愛情を躊躇いなく言葉に出来る場所にまで、私はやってきた。許されざる加害者の立場に居ながら、被害者たちの屍の上に立ちながら──何かを変えたいと叫ぶ勇気を、ようやくとして手に入れた。
それは自己満足の贖罪で──。
それは一方通行の弔いで──。
道を誤れば、政府によって即座に裁かれるだろう。この世界で、私の想いは紛れもなく過ちなのだ。その
それでも私は──最後のその瞬間まで、声高に訴えるはずだ。たとえば本当に、ゲントク老師に
「自分の愚かさを棚に上げて言う。アリスたちに知って欲しいんだ。自分たちを愛する愚かな死神が、この偽りの楽園に存在するということを」
そしてそれは、私だけじゃない。少なくともサヨさんの根底にも、同じ想いが燃えているはずなのだから。今はそれを伝えられないことが、酷くもどかしい。
複雑な面持ちで押し黙ったまま、私をじっと見つめるアリス。その心中には、決して少なくない私への憤りが滾っているだろう。無力な死神の愛の言葉は、不思議の国のアリスの耳には残酷にしか響かない。
だから──。
「アリス、今こそ教えてほしい。私がアリスを探し回っていたあの時──発電区の入り口で、テラに何を言われた?」
だから私は、行動を止めてはならない。辿れる糸の全てを辿り、道を誤る可能性の一つ一つを正していかなくてはならない。神奈木博士の言葉を鵜呑みにすれば、
アリスは、ほんの少しだけ逡巡する。私からの唐突な質問に、理解が追いつかなかったに違いない。ややあってからアリスは、唇を尖らせて言った。その仕草が、照れ隠しであって欲しいと私は願う。
「ああ、あれは大したことじゃねーよ。アゲハと似たようなもんさ」
「アゲハと?」
「うん。『結婚しよう』みたいな話」
「は?」
思わず私の声が裏返った。まさに手当たり次第のテラの軽薄さは、時々心臓に悪い。
「……嘘だよ」
「焦った、テラが本当にロリコンなのかと──」「──でも、似たようなことは言われたぜ」
私の言葉を遮って、含みを持たせながらアリスが言う。頭上の青葉を映し込んだエメラルドの瞳が、深緑の色に染まりながら揺れた。
「『何があっても、俺を信じろ』だってさ」
「え?」
「『俺がお前たちを救ってやるから、何があっても俺を信じろ』って。なんかプロポーズみたいだろ? 『お前に救われるほど悩んでねー』って言ってやったけど」
その言い方は、つまり──。
つまりテラには、自分が隔離される展開が読めていたということか。
神奈木博士がDUMを訪れたあの日のうちに──天才の生き写しであるテラは、自分が隔離される展開を
『テラが隔離されるまでに、全部で五日もあったのよ。それだけの準備期間があって、
私はサヨさんの言葉を思い返した。ならばテラは、その五日間をたっぷりと使って、一体何を仕込んだのだろう。
推測と憶測の渦の中で顔をしかめる私に、アリスは話し続けた。珍しく饒舌なアリスの言葉を、私は耳だけで追っていく。
「なあホムラ、あたしからも頼みがあるんだけど──」「というよりも、あたしがテラに頼まれてるんだけど」「あ、その……あたしが
アリスの告白が、私を思考の世界から呼び戻す。迷いを振り切るようにして、アリスがその続きを吐き出した。
「『もしも俺が姿を消して、ホムラが毎日陰鬱な顔を見せるようになったら──』」
「──なったら?」
言葉を反芻しながら上半身を起こした。アリスを見やればその表情は真剣そのものだ。
「『ホムラに見せてほしいものがある』って──だからあたしは、さっきからホムラを探してたんだ」
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