EP04-04





「──やっと見つけた」


 テラが私の視界から消えるのを待たず、テラの今来た道を行く。

 曲がり角を折れて、『NO ENTRY』と書かれたプラカードがぶら下がる封鎖チェーンの向こう──『KEEP OUT』と書かれた鋼鉄製の扉の前に、アリスは居た。


 床に直接お尻を付けて、扉にもたれて座り込んでいたアリス。私の姿に気付いた彼女は、心底驚いた様子を見せながら、青いワンピースの裾を直している。そのままでは下着が丸見えだからだ。


「や、やあ。ホムラ、何やってんの」


 封鎖チェーンを片足ずつ越えて、身構えるアリスに近付く私。こんな鎖などあってもなくても同じで、それこそ時代の進化に置き去りにされている装飾品アイテムだ。

 悪戯が見つかった子供みたいに、背筋を正すように上体を伸ばすアリス。それでもあくまで座ったままだというのが、いかにも彼女らしいと感じた。


「アリスを探していた。長い旅だった」


 私はそう言って額の汗を拭う。何だか無性に清々しい気分だった。アリスが目の前に居る安堵感に、底の知れないテラが私に与えた嫌な予感が払拭されていく。


「こんなところまで、あたしを探しに来たのか?」

「そう、探しに来たの。こんな立ち入り禁止区域の手前まで」


 距離を詰めて、アリスの目の前に立つ私。軽い皮肉を込めた台詞は、目の前のちびっ子へのささやかな嫌がらせだった。私も私で、相当にひねくているのだ。アリスをどれだけ心配したのかを、こんな言葉でしか表現出来ない。


 アリスに勘付かれないように、そっと外観をチェックする。外傷はおろか、着衣の乱れもなさそうだ。そもそも私の発想が馬鹿げていた──良かった。


「……悪かったよ。まだ怒ってるのなら謝る、ごめん」

「ん、どうして謝る? 私が勝手に暴走しただけなのに」

 

 アリスは首だけで頭を下げた。その動作が柳を連想させる。

 私には、アリスが何を謝っているのか分からなかった。彼女と同じく扉を背にして、その右隣に座り込む。背中から伝わる金属の冷たさが心地良い。


「いやだから、悪かったってば。もう二度と講義中にあんな悪態つかない」


 アリスの口から出た思わぬ言葉に、私は微笑んだ。そうか、アリスはアリスなりに、気にしてくれていたのだ。その事実が、ただ嬉しかった。


「あれは私の力不足だ。全面的に私が悪い」


 そう言いながら、アリスの頭を撫でる。暫くはされるままのアリスだったけれど、ふと我に返ったのか、恥ずかしそうに私の手を振り払う。


「──たしかに、ホムラのせいだからな。サヨさんの講義だったら、誰もあんな態度とらない。っていうかとれない。絶対に大人しくしてる」


 アリスは目を伏せたまま、口を尖らせて呟く。やっぱりサヨさんは、氷の国の魔女フロズンテンペストなのだ。あるいは冥界を滅ぼした死神ハデス・リーパ。その物騒な二つ名にたがわず、サヨさんの講義には学級崩壊カタストロフの"カ"の字もないに違いない。


「はは、サヨさんは死神だからな」


 特に深い意味を込めるでもなく、ほんの軽い冗談のつもりで返した。けれど私の軽口は、思いも寄らずアリスの強い感受性に触れる。


「あたしにとっては、ホムラだって同じだよ」


 私の冗談は、冗談として作用しなかったようだ。場の空気が一変して張り詰め、緊張感にも似た静けさが走る。まるで感情の導火線に火がついたような、火花散る強い眼差しを私へと向けるアリス。


 それは嫌悪の視線であり、軽蔑の視線だ。澄み渡ったエメラルド色の瞳が真っ直ぐに私を射抜き、微動だにせず私を見据える。

 もしかせずともそれは、「今から酷いことを言うよ」という言外の宣告だった。流れ続ける沈黙に覚悟を固める私。その沈黙こそが、アリスがくれたせめてもの優しさのように思えた。


 私の眼前にあるのは美しい顔立ち。色白の肌にエメラルドが映える。今はまだ、あどけなさに隠れているけれど──アリスはきっと、誰よりも綺麗になる。アゲハもきっと、誰よりも綺麗になる。大人に成ったら、きっと──。

 憂う資格もない私は、哀しみに眉をひそめて想う。彼女たちの未来を──それは叶わない願い、永遠の虚構フィクション


 やがて覚悟がついた。小さく頷く私。それが合図。


「あたしらヒュムにとって、ヒュム以外の大人たちは全員が死神だ」


 沈黙を破るアリスの言葉はとても鋭く、冷淡で、少しの迷いも感じさせなかった。けれどその表情は、悲痛に歪み──。


「アリスの言う通りかもしれない──いや、その通りだ。続けて」


 アリスは、自分の中で抱えきれない感情を、溜まりに溜まった猛毒を、絞り出すようにして私にぶつけるのだろう。何も出来ない私は、せめて彼女を真正面から受け止めることしか出来ない。少なくとも私は、その毒が弾ける絶好のタイミングでここに居られたのだから──それが幸運でなくてなんだというのか。


 思い上がりにも似た強がりで、私は自分を鼓舞する。エメラルド色のアリスの瞳を見つめ返して、先を促す。

 私は私のお節介で、彼女を身勝手に追いかけてここまで来たのだ。そして辿り着いた袋小路。今更逃げ出す道理などない。


「なぁホムラ。ホムラのママはさ、立派な人だと思うんだ。ホムラのママが居なければ、きっとあたしたちはもっと酷い扱いを受けてた。およそ人間とは呼べない、ただの使い捨ての道具……ただの使い捨てのカラダ。想像するだけでゾッとするよ。想像するだけで吐き気がする。それに比べればきっとあたしは……あたしたちは恵まれてる。少なくとも最悪の結果じゃない。だけど──」


 その先に続こうとする言葉の大半を、予測出来てしまうことがつらい。それはDUMで過ごす誰しもが感じている矛盾──世界に生きる誰しもが目を伏せる真実の非公式情報アンロックメディア


「だけど、なぁ、全部無駄だろ? どれだけこの中が恵まれていたって、何不自由なく生活出来たって、全部無意味だろ?  ホムラに歴史を教えてもらったって、アゲハみたいにお嫁さんになる夢を持ったって、それが一体何なんだよ。──複製体保護法? 最大限の人権を尊重する? 何だよそれ、そんなのキレイごとだ。 時が来ればあたしたちは死ぬ。それは明日かもしれないし、もしかしたら今すぐかもしれない。普通の人間から──あんたら死神から、お呼びがかかる日を笑って待つなんて、無理だ。そんなの……あたしには無理だよ。ホムラ、あたしは……恐い」


 アリスの声が、その小さな躰が、小刻みに震える。私はそんなアリスの方に居直って、覆い被さるように抱きしめた。迷いながら、躊躇いながら、それでも抱きしめた。そうすることしか、出来ないからだ。


「……うん。アリスは、ひとつも間違ったことを言ってないよ。いいよ……聞く。私はそれを聞かなくちゃいけない。続けて」


 アリスの痛切な訴えに、私の視界が滲んだ。その涙を必死で堪える。唇を噛んで、痛みで、それを堪える。ここは、私が泣いていい場面じゃない。


「ねぇホムラ──ツムギや、カリンの言ってることが、あの感覚が、正しいのかなぁ? あたしは本当はゼロで、本当はここには居なくて──だから生まれてこれたことを、ほんの少しの時間でも命を得られたことを、周りに感謝して、皆に感謝して、生きていかなくちゃいけないのかなぁ? あたしは──あたしの知らない誰かのために、知らない誰かのカラダになるために、自分を磨いていかなくちゃ、いけないのかなぁ?」


 生温かい感情に塗れたアリスの言葉は、幾つもの絶望に満ち溢れたその表情は、躰を震わせて絞り出される涙声は、私の心をズタズタにする。私たち大人が──当たり前の"人間たち"が、日常の中で目を伏せている真実を、剥き出しにして心臓へと突き立てる。


 現実を直視出来ていないのは、決してアリスだけじゃない。私だって、誰だって、そして他のヒュムたちだって、きっと──。


 私は、私が逃げ出さないように、そして、アリスがひとりぼっちにならないように、もっと力強く抱きしめた。アリスの小さな躰を、愛おしい存在を、目一杯、折れるくらいに。


「あたしはあたしの目で、あたしのカラダで、見てみたいよ、外の世界を、本物の世界を。公式化された情報ロックメディアからじゃない、ホムラの口からでもない、あたしはあたしのカラダで、外の世界を感じてみたい。……あたしは、良い子じゃないから、そんなことを、毎日考えるんだ。毎日、毎日、毎日──夢見てる。それこそアゲハみたいに、馬鹿みたいに」


 講義室でのアリスの苛立ちの意味を、その本当の理由を──今更ながらに知る。きっとどうしようもなく、苛立ってしまったのだ。同じ講義室の中で、未来への憧憬を募らせるアゲハたちが、重なって──自分の許せない自分と重なってしまって。


「羨ましい、羨ましいんだよホムラ。普通の人間たちが、羨ましくて仕方がないんだ。あたしは認めるよ、この気持ちは、真実で、疑いようもなくて、日に日に大きくなってる」


 アリスの独白にはみるみると力が篭もり、やがて大粒の涙が彼女の頬を伝った。エメラルド色の瞳から生まれ落ちたその雫は、どんな宝石よりも美しくて儚い。


「あたしは妬んでる、外の世界の奴らを、普通の人間たちを──ホムラのことだって、あたしは妬んでる。そんな自分が大嫌いで、気持ち悪いよ」


 アリスはそこまでを吐き出してから、下崩したくずるように泣き崩れた。もうそれ以上は言葉にならない。嗚咽混じりの慟哭が、私を咎めるように耳に響く。



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