EP02-02





 『ヒュム』とは、『ヒューマンマテリア』の略称である。


 『人類の可能性Human Materia』は、再生医学の第一人者である『沓琉くつるトーマ』を中心に開発された、『永久複製医療術Unlimited Medical』を用いて創られた人工生命体だ。

 永久複製医療術Unlimited Medicalによって創られたヒュムたちは、『人体を補完する臓器ボディ・サーキュレイション』として現代医学に深く貢献している。

 人体を補完する臓器ボディ・サーキュレイション──その役割は、読んで字の如く。


 現代医学をもってしても治癒の難しい内蔵疾患や、再生分野が遠く及ばない重篤な外的損傷──『献体される為の生命ドナーズヒューマン』として創られたヒュムたちは、そんな人間たちに献体され、明日を与える存在。


 そのヒュムたちを生成し育成する場所──それがここ"DOMEドーム がた Unlimitedアンリミテッド Medicalメディカル"であり──DUMに生きるヒュムたちを管理し、総合的に育成するのが私たち『循環を促す者コンダクター』の職務である。


 アゲハとアリスは双子のヒュムだ。性格こそ正反対みたいに違うけれど、外見はほとんど同じ。赤いワンピースのアゲハに、青いワンピースのアリス。色も輝きも瓜二つの、大きなエメラルド色の瞳。

 彼女たちは、この楽園で生まれこの楽園で死んでいく。ヒュムがDUMの外に出ることは、政府によって"禁忌行為タブー"の一つに公式化ロックされているからだ。


 つまりアゲハもアリスも、外の世界に出られるのは誰かの体に献体された後ということになる。果たしてそれを、"外に出られる"と表現して良いものかどうかは分からないけれど、私たちはその行為を『昇華サブリメイション』と呼び称えている。

 そう名付けて、教えているのだ。誰かに献体されることこそが、使と……。


 自分たちの生命を維持するために、保険ストックとなる生命を創り出して管理する──このエゴイズム丸出しの新技術、及び新たな医療方針に、今までも数々のディスカッションが交わされてきた。

 これは人類全体に課された、考えれば考えるほどに憂鬱で複雑な問題なのだ。


 永久複製医療術Unlimited Medicalが開発された当初、このディスカッションは特に熾烈を極めたと云う。


 政府によって飼い慣らされた人間たち(失礼、決して批判的意見テロリズムではない)の判断力も、流石にそこまで耄碌もうろくしていなかったということだろう。倫理学などをかじるまでもなく、多くの人々が世界各地で明確な嫌悪感と拒絶反応を示した。

 人間の根本に摺り込まれた倫理的な価値観と道徳観を覆すには、さすがの政府も一筋縄ではいかなかったようだ。大小様々な職務放棄スト反政府行為テロ(国家という概念の破綻した現代において、この呼び名はやはり疑問が残るけれど)が頻発し、その対応に随分と手を焼いたという。


 そんな中で私の母さん──雪白ゆきしろミツキは、くだん永久複製医療術Unlimited Medicalに陶酔し、DUMの設立を強く望んだ一人だった。

 道徳調和機関ロースクールの教員職を務める傍らで、生体学者としての活動も並行していた母さんにとって、永久複製医療術Unlimited Medicalは科学者の目線から見ても本当に夢の技術だったのであろう。


 DUMの設立に理解を求めた母さんは、世界各地で精力的に講演を開き、反対派の意見を一つ一つ説き伏せていった。母さんは、いずれ誰もが病死と無縁になる理想の世界ユートピアを思い描いていたようだったけれど、皮肉なことに大衆の大部分は、「今のところ反道徳的医療技術Unlimited Medicalの恩恵を受けられるのは、権力者や富裕層の中でも更に極々一部のみ」といった部分を理解して反論を弱めたようだ。


 私個人としては、そういった人々の反応が、母さんによって齎された恣意的な拡大解釈だった可能性は充分にあると考えている。「私には関係が無い」「私は蚊帳の外だから大丈夫」──といった傍観者に近い立ち位置スタンスを選び取らせたことで、人々の判断力を鈍らせ、拒絶反応を和らげていくという狙いがあったのだろう。


 職務放棄スト反政府行為テロがすっかり収まりかけた頃には、母さんはあの何もない部屋の白いベッドに、やつれた躰を預けていた。元々、母さん自身が心臓に重い病を患っていたにも関わらず、昼夜を問わない過酷な講演活動を続けたせいで、体調を悪化させるのを早めたわけだ。

 けれど、母さんが病床で浮かべるその表情には、悲しみや後悔の色など微塵もなかった。むしろ、母さんの柔らかな微笑みや言葉の端々からは、満足感や誇らしさのようなものが滲み出ていたように思う。


「いい? ホムラ。人間を救うのは、存在するはずのない神様や信仰のたぐいじゃないのよ。人間を救うのは、人間が培った確かな技術だけ──」


 現在の私は、母さんの微笑みを思い返す度に、強烈な嫌悪感に晒される。




 ──どんっ。


 物思いに耽る私の背に、勢い良く何かがぶつかって来た。視界に揺れる赤いワンピース。私の背中に衝撃を与えたのはアゲハだった。


「あいたっ。ごめんねーホムラちゃん。チョウチョ追いかけてたのー」

「いや、アゲハの方こそ、大丈夫か?」


 メインガーデンのあちこちには、ひらひらとモンシロチョウが舞っている。それは園内の季節が、プログラム通り正常に保たれている証拠だ。

 外界とは完全に隔離されているものの、メインガーデンの季節は外部の季節と見事に調和リンクしている。夏にはアブラセミがわんわんと鳴くし、秋には赤トンボが対になって飛ぶ。冬には凍った人工池を使ってアイススケートだって出来るし、時には雪が降り積もったりもする。

 モンシロチョウが飛ぶだけでこんなにも興奮してくれるなら、今度ホタルの導入でもリクエストしてみようか。


 私の心配を他所よそに、アゲハはまたすぐにモンシロチョウを追って駆け出していった。駆けながらも片手で額を擦る姿は、どこか滑稽で愛らしい。これだけ元気なら、さきほどのサヨさんの言葉など気にも止めていないのだろう。


「あーあ、アゲハは気楽でいいよなー」


 その様子を見ていたアリスが、不機嫌そうに足元の小石を蹴り飛ばした。薄桃色の唇の先がつんと尖っている。


「やっぱりあたしら、双子とは思えないよ。ほんとにアゲハは理解不能」


 落ち込んだ低いトーンでそう呟くアリス。こちらはサヨさんの言葉をかなり気にしているようだった。普段はやたらとクールなアリスだけれど、これでいて結構繊細なのだ。実際私も、アリスのこういった姿を何度か目にしたことがある。


「すまないアリス。気分の悪い朝にしてしまった」


 アリスは何も言わずに、私の眼を真っ直ぐに見据えた。その物言わぬエメラルドの瞳は、何を思っているのだろう。

 「どうせ私たちは」だろうか。それとも「ホムラには分からないよ」だろうか。少なくとも、「ホムラのせいじゃないよ」という眼差しでないのだけは確かだ。


 肌寒い風がふいに頬に刺さる。周囲を見渡すと、中空に立ち込めたいくつかの粘性の水蒸気ハンドメイドクラウドが、室内型太陽イン・ザ・サンの光をまだらに遮っていた。訪れた薄暗さによって、アリスの頭上にあった天使の輪キューティクルリングも消えかけている。


 どうやら自動天候循環ウェザーローテーションの時間が近付いているようだ。この様子だと、三十分もしないうちに予定調和の雨ハーモニアス・レインが降ることだろう。


 口元を尖らせたままのアリスと、モンシロチョウに夢中で駆け回るアゲハに、なるべく早く部屋に戻るように告げてから中央管理室コア・ルームへと向かった。





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