EP05-05





「──はは、何だか笑えてきました」

「何が可笑しい?」

「まさか、あの神奈木博士が哲学者マゴットだったなんて。あるいは、危険思想家テロリストのようです」


 声を上げて笑う私に、神奈木博士はその目を丸くした。彼女の様子を見る限り、私の反応は予測の範疇シミュレーションから大きく外れていたようだ。


「そうだな──たまにはこんな私も悪くない」


 そう言って賢人の上位互換ワイズマンジェネレートは、白い歯を覗かせて微笑む。それでもそこはかとなく漂う憂いが、神奈木博士の思慮の深さを映しているようだった。


 頭の片隅で、神奈木博士の年齢を推測する。永久電源機関エターナルバッテリィを発明した当時、彼女はまだ十代の半ばだったと聞く。それから十五年余り、若き穎才ジニアスは、何を思いながら大人に成ったのだろうか。


「ふふ、私が危険思想の保持者テロリストだったなら、うに世の中は変わっていただろうな。まあ退屈していたところだ──今から政府解体リベラルの具現者として、歴史に名を刻むのも悪くない」

「軽口が過ぎます。たとえ偽りだとしても、安寧は安寧です」


 度の過ぎた未来図ビジョンほのめかす神奈木博士は、恍惚の表情を虚空へと浮かべた。私はざわつく胸の内を隠しながら、正しさの見えない正論で彼女をいさめる。しかし神奈木博士は、私の詭弁など歯牙にも掛けず、むしろ嬉々とした態度で私に告げるのだった。


「案外、お前なのではないか? 政府解体リベラルの具現者に相応しいのは、私よりもお前のはずだ。その際には、不在の神オクトーバに代わって祝福してやろう」


 神奈木博士の思考が加速したのか、あるいは脱線したのか──私は再び彼女の真意を見失う。まさか、危険思想テロリズムを伝播しにきたというわけでもないだろう。私は直截的ちょくせつてきに反問する。彼女の返答に恐れ半分で──残り半分を好奇心で満たしながら。


「──神奈木博士。貴女は私の何を知っているのですか」

──私は全知全能オールマイティであると同時に、粗悪品オルタナティヴなのだよ」


 と、そこで──神奈木博士の話を遮るように、荒々しいノックが響いた。

 在室者私たちの了承も得ず、電子扉を開けて颯爽と現れたのは、サヨさんだ。


 サヨさんは足早に私たちの間へ割って入ると、惜しみない剣呑な眼差しでめつけた。もちろん私を──ではなく、まさかの神奈木博士を。


神奈木博士ディア・ジニアス、少々お時間が過ぎております。それと、私の可愛い部下に戯れ言を吹き込むのは、金輪際やめて頂きたい」


 サヨさんはその不機嫌さを隠そうともせず、雄弁に言い放った。サヨさんの入室から少し遅れて、ふんわりとした芳香が室内を満たす。サヨさんの甘やかな香りが、緊迫した状況に不似合いで少しだけ可笑しかった。

 神奈木博士は、何の感情も滲ませずに言う。


天語あまことサヨ、盗み聞きとは上品でないね」

「いいえ、私の憶測で申し上げました。私は啓発的な人間ストイックマンであると同時に、病的な心配性ロジカルマミーですから」


 先ほどの神奈木博士の言い回しを、抜け抜けと真似るサヨさんが心底恐ろしい。神奈木博士の過激な発言の数々は、批判的意見テロリズムとして即座に裁かれるレベルだ。だからこそサヨさんは、その言外で盗み聞きを肯定し、お互いが犯した罪の黙認を強要しているのだ。

 啓発的な人間ストイックマンかつ病的な心配性ロジカルマミー──その意味を考えれば、サヨさんの発言はもはや脅迫に近い。


 一瞬にして場を牽制した頭の回転の速さに、ある種の頼もしささえも感じた。けれどそれは私の楽観的な勘違いポジティブシンキングに過ぎず、サヨさんはその鋭い視線を私へと移して言う。


「ホムラ、世界的権威は随分と変わり者なの。興味深い話も山ほどにあるでしょうが、あまり真に受けてはいけません。そもそも半人前のあなたには、意見など必要ありませんから」


 辛辣を飛び越えて、私の人権さえも無視したサヨさんの毒舌に閉口する。心密かに、神奈木博士からの助け舟を期待したけれど、彼女は無表情に私たちを眺めているだけだった。


「さぁ神奈木博士。ご退室を」


 口撃とも云えるほど強い口調に、私は確かな違和感を覚えた。


 サヨさんは、別に苛立っているわけじゃない。サヨさんは──焦っているのだ。神奈木博士の身勝手な行動に。穎才ジニアスが撒き散らす思想の流出パンデミックに。


 だとしたら、それは私のため? 自分で思い至った答えに、腑に落ちない気持ち悪さが残った。濁流に流される船のような心細さを、ダウンライトが照らしている。


「心配は無用だ。天語サヨ、私はお前の出世を邪魔するつもりはない」


 神奈木博士が言い放ち、サヨさんは無言のままでその目を見据える。出世というのは、おそらく永久就職リブインのことだろう。生きる治外法権パブリックアウトローが口にする"出世"という言葉は、酷く俗物的チープな響きを孕んでいた。サヨさんが焦っているのは、自らの将来のためなのだろうか。


「トーマの遺した箱庭を、私が踏み躙るのも一興ではあるが──」


 神奈木博士は、唐突にもう一人の穎才ジニアスの名を口にする。彼女はそのまま、矢継ぎ早に言葉を繋いだ。


「もう暫くは、夢見る老人たちビューティフル・ドリーマーの砂遊びを観測するよ。人間ヒューマンは自由を支払い、人間もどきヒューマンマテリアは臓器を支払い続ける」

「……ホムラ、すみませんが席を外して頂けますか?」


 サヨさんは私の顔も見ずにそう言った。冷淡な口調の中に、僅かな嘆願の色が見え隠れしている。


 その訴えに、私はゆっくりとかぶりを振った。神奈木博士が真実の輪郭を垂れ流すのなら、願わくば私も触れてみたかった。この世界の矛盾の片鱗を、知れるものなら知ってみたかったのだ。


 眉一つ動かさないサヨさんの視界に、私はさぞかし出来の悪い部下に映ったことだろう。しかし意外にもサヨさんは、それ以上私に何を求めることもなく、平然と話を続けたのだった。


「神奈木博士、貴女には感謝しています。貴女のおかげで、私たちは昇華サブリメイションという手段を取り戻すことが出来ました」


 昇華サブリメイションという言葉に、私の心臓が大きく脈打った。この胸を突き破るような苦しさの後で、テラやアリスたちの顔が次々に浮かぶ。


「しかし博士、身勝手を承知でお願い申し上げます。聡明な貴女には、どうかこのまま静観して頂きたい」

「心配には及ばん。今しがた話したように、私は観測するだけさ。寂しがり屋のトーマとは違う。彼がお前たちの失態を知れば、実体なき牢獄プリズンからでも気紛れに干渉してくるだろうが」


 実体なき牢獄プリズンとは、トーマ博士をはじめとする、大罪人ジャンヌダルクたちが幽閉されているとされる施設の名だ。非公式化アンロックするだけでは不十分な脅威──世界の不確定要素アンラベリングたちを収監している場所。しかしその存在は、尾ひれと背びれに寄生ステレオタイプされた都市伝説だとされている。

 だから私は、神奈木博士の言葉に耳を疑った。まさか実体なき牢獄プリズンが、事実として実在しているだなんて。


神奈木博士ディア・ジニアス──では貴女からお伝えください。DUMに勤める私たちは、永遠の静観を望んでいると。貴女ならば、実体なき牢獄プリズン防御壁システムにも干渉出来るはず」

? の間違いだろう?」


 サヨさんも、実体なき牢獄プリズンの存在を否定しなかった。

 切り捨てるような神奈木博士の言葉に、整った眉をひそめる。


「……ええ、ではそれでも構いません。この私、天語サヨがそう望んでいます」


 サヨさんの言葉を受けた神奈木博士は、口元だけで微笑んだ。まるで何かに満足したとばかりに。軽やかな動作で椅子から立ち上がった彼女は、子供を諭すような口調で言う。


「天語サヨ、もう一度言っておく。私はお前の出世の邪魔をするつもりはない。心配は無用だ。よく眠れ」


 そして神奈木博士は、私の方を見た。彼女はやはり子供を諭すように、私にも別れの言葉を告げる。


「雪白ホムラ、こんなに楽しい時間は久しぶりだった。また会おう。お前もよく眠れ」


 静かに退室する神奈木博士の背中を目送する。あとに残された疑問の数々に、重たい疲労感を覚えた。横目でサヨさんの表情を窺うと、サヨさんも同じようだ。


 しかし私は、サヨさんに話しかけることが出来ない。質問すべき事項には事欠かなかったし、今ならば"神奈木博士"という鉄板の話題トレンドワードを持っているにも関わらずだ。


 共有される沈黙は、「私を責めないのですか?」というサヨさんの言葉によって切り崩された。バツの悪い気持ちで、私は答える。


「意味不明です。私を叱るとしたらサヨさんですよね」

「いいえ。天才の上位互換エジソンジェネレートと対話するという貴重な時間を、あなたは私によって不当に奪われました」


 そう言って頭を下げるサヨさん。私が慌てて立ち上がると、サヨさんは条件反射のように更に深く頭を下げた。戸惑いながらも、サヨさんの上体を起こす。


「私を心配してくださったのですよね? ほら、私はサヨさんの『可愛い部下』ですから」


 この場の空気がいたたまれなくなり、精一杯におどけてみせる私。そんな私を、サヨさんは無遠慮に訝しんだ。目の前の女性が魔女テンペストと呼ばれていたことを、今さらながらに思い出す。


「──誰があなたのことを、『可愛い部下』などと言ったのです?」

「他ならぬサヨさんです。神奈木博士に向けて、確かにそう仰いました」

「そうでしたっけ?」


 サヨさんは、眉間に指をあてて考えこむ仕草を見せた。強く否定されると思っていただけに、思わず言葉に詰まる。


 ──なんだか調子が狂うなぁ。


 そんな想いと共に、天井を仰ぐ。清潔以外に取り柄のないこのカウンセリングルームは、あの夢の中の母さんの病室にどこか似ていると思った。


「ホムラ、あなたは──」


 思い詰めたような口調でサヨさんが切り出し、私は身構える。


「あなたはまだ、引き返せるのですよ」


 その言葉は、仄暗い悲壮感を持って私を貫いた。愚かな私は、サヨさんの言葉の重さの半分も理解していないに違いない。けれど、その意味はたがえないつもりだ。


「知らないことだらけで、引き返すには早過ぎます」

「……そうね」


 サヨさんは端的に呟いて、また黙りこくってしまった。沈黙を持て余す私たちの目線は、柔らかなダウンライトや、整い過ぎた観葉植物や、パイプ椅子の脚などを無意味に泳ぎ回ったあとで、再び交わる。


 サヨさんが、口元だけで薄っすらと微笑んだ。そして言う。物事の核心をあえて避けて通るように。それでも、私と確かに向き合いながら。


「ホムラ、あなたがもう少し優秀な人材であれば、私の出番はなかったと思います」

「サヨさん、私は助けを求めた覚えはありません。むしろ、あの神奈木博士ジニアスと互角に議論していたかと」

「もう一度言わせるのですか? 半人前のあなたに、意見など必要ないのですよ」

「可愛い部下の意見を聞くことも、優秀な上司の仕事の一つだと思います」


 時折笑いを交えながら、時折顔を引き攣らせながら、無意味な皮肉の応酬は続いた。軽い冗談のはずが、いつしか本当に険悪な空気になり、そもそも最初から聞き流しておけば良かったとさえ思えた。


 処世術という言葉は私には無縁で、サヨさんとうまくやっていくことはこの先も出来そうにない。そもそも相性が最悪なのだと悟りたくなるくらいだ。私とサヨさんは水と油のように──決して混ざり合わない感性で、この先もずっと啀み合っていくのだと思う。


 けれど少なくとも、この不毛なやり取りによって、私には一つの結論が与えられたのだ。私の目の前の上司──天語サヨは、魔女テンペストでも死神リーパでもなく、豊かな感情を持った一人の女性だった。それは今さらながらで、至極当たり前の結論に過ぎなかったけれど、今の私にとっては、せめてもの救いのように感じられる。


 ──私はもしかすると、上司に恵まれているのかもしれない。


 いつかイマリと食事でもしながら、そんな意見を口にする自分の姿が思い浮かんだ。けれど、「さすがにそれは遠い話か」と、すぐに思い直して前を向く私だった。




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