EP07-04





 突然の退職勧告に唖然とする。それは青天の霹靂。いや、意表を突かれたとかそういう次元を超えていた。完全に思考を停止フリーズした私に、サヨさんは続ける──まるで罪悪の介錯人セラピストのような口調で。


「ホムラ、あなたは自分の母親である雪白ミツキのしたことに、義憤にも似た感情を抱いている」

「それは……否定しません。否定することが出来ません」


 今一度、母さんの名前が話題に上る。けれど私は先ほどよりも冷静に、雪白ミツキ母さんの話をすることが出来た。サヨさんが選んだ"義憤"という言葉も、とても適切であるように思う。そう考えられるようになっただけでも前進なのかもしれない。


「良いですか? 先ほど述べた私の見解とは、矛盾があることを承知の上で話します。よく聞いてください。

「え?」

「遅かれ早かれ、人はDUMのような忌まわしい施設の建造に辿り着いたはずです」


 抑揚がたっぷりとつけられたサヨさんの言葉は、容赦なく私に向けられている。柔らかく、硬く、暖かく、冷たく──幾つもの感情を内包しながら、私を貫くように放たれている。


「私は、『雪白ミツキのせいで人類は人の道を踏み外した』と考えるその一方で、『雪白ミツキが居なくても人類はこの地獄に辿り着いた』と、そう考えています。トーマ博士が永久複製医療術Unlimited Medicalを完成させた時点で、今日こんにちに至るまでの道筋はうに出来ていた。あなたの母親がしたことは、せいぜいこの地獄をオブラートに包んだだけに過ぎません」

「サヨさん、私はまだDUMを地獄だと見限ったわけでは──」

「──私の言いたいこと、伝わらないかしら?」


 サヨさんは私へ両手を伸ばすと、その白い指先で私の頬に触れた。ゆっくりと慈しむように、この頬を撫でるサヨさんの手のひら。周囲の人目を憚らない私たちの姿は、愛を誓い合う恋人エタニティ・ラバーのように映ることだろう。サヨさんの唇が紡ぐ次の言葉を、私はじっと待ち焦がれる。


「ねぇ? あなたにこの地獄を見守る責任なんてないのよ。雪白ホムラがコンダクターである必要なんて、この世界のどこにもないの」


 サヨさんは言った──まるで母さんのように。

 あの日の母さんのように、穏やかな波を思わせる優しさで。

 その優しさに、思わず流されてしまいたくなる。

 けれど、けれど私は──。


「私は私の意志でここに居ます。母さんのことは少しも関係ありません」


 嘘を言ったつもりはなかった。けれど言葉にした瞬間、全てが嘘であるとわかってしまった。私は認めていたじゃないか。今までも、ついさっきも──母さんの呪いを、雪白ミツキの呪縛を。


「ホムラ、染まる前に引き返しなさい。私たちのしていることは人殺しです」


 そう言ってサヨさんは目を瞑った。彼女の長い睫毛の隙間で、僅かな水滴が光を反射している。人殺しという言葉が、頭の中で何度も繰り返された。慣れ親しんだメロディーのリフレインのように、何度も何度も繰り返された。濁流となった虚無感が私を掻き混ぜる。"人殺し"という言葉は、沢山の汚泥となって私を濁らせていく。


 サヨさんは、ただ真実を告げただけだ。その真実に誰よりも目を背けたくなかったのは、他ならぬ私だったのではないか。それなのにどうして、こんなにも動揺を覚えるのか。一体何の冗談だ。私はどこまで偽善者なのだ。


 物事の根本を覆そうとする暴力的な認識カタストロフィ

 一切合切を洗い流す破壊的な衝動ディストラクト

 胸が苦しい。呼吸の仕方が分からない。


 長い沈黙の後で、やがて目蓋を開きサヨさんは言う。涙に濡れた瞳に、安らかな笑みを添えて。


「ホムラ、安穏あんのんな暮らしに帰りなさい。アリスやテラのことを、あなたが気に病む必要はありません」


 アリスの名前に、そしてテラの名前に──頭を殴られたような衝撃を受ける。純白の心が、天才の生き写しが──私の在り方を今一度問う。

 微笑みを崩さないサヨさんの腕に手を添えて、私はどうにか微笑み返してみせた。そして、ありったけの強い意志を込めて告げる。


「いいえ、帰りません。私は虚無主義者ニヒリストではありませんから」


 サヨさんは少しだけ困ったような表情を浮かべてから、「そう言うと思っていました」と、遠い目をして独りごちた。結局のところサヨさんは、私の全てをお見通しなのだろうか。私が言わんとしていたことも、私がこれからやろうとしていることも。


「サヨさん、私は……」


 逡巡してしまうのは私の弱さか、それとも狡さか。それでもサヨさんを信じる他に、道はないように思える。アルコールの勢いに任せて、続きを吐き出した。


「私は探しています。アリスの昇華サブリメイションを止める手段を。どうかそのために、サヨさんの知恵を貸してください」


 サヨさんは、値踏みするかのような目線を私に浴びせた。感じたこともない緊張感が全身に走る。もう戻れはしない。なるようにしかならない。これは私の意志だ。決して自暴自棄などではない。


「あなたが本気でそう口にしているのならば、私はあなたを告発しなくてはなりませんね」

無作為情報収集網ヒアリングスポットは、この場所では機能しません。だから──サヨさんが他言しなければ問題ありません」


 サヨさんの言葉を借りて、そう切り返した。はったりの域を出ない弱々しい虚勢で、彼女を牽制しにかかったのだ。

 サヨさんの言葉こそ、虚勢ポーズであってほしいと願う。この駆け引き自体が、悪い冗談であってほしいと願う。サヨさんは、私を咎めるような思想を保持してはいない。彼女こそ、私以上に危険思想テロリズムに蝕まれているのだから。


 ──思い違いなら一巻の終わりね。


 自分を嘲るようにそう思った。そう思うことで、自分を奮い立たせるしかなかった。言葉が足りないのならば、もっと痛切に訴えなくてはならない。せめて神奈木博士の居場所を、サヨさんから聞き出さなくてはならない。


 未だかつてない喉の渇き。

 殺気すら感じるサヨさんの視線が、容赦なく私に刺さり続ける。ダンスフロアの轟音が、今更ながらに耳に意識された。それは逃避願望の表れなのかもしれない。

 後悔は先に立たないし、過ぎた時間は戻らない。聞き飽きた標語ライフガイドたちが、頭の片隅を次々にぎっていく。


 これ見よがしに溜め息を吐いてから、サヨさんはグラスに残っていたカクテルを飲み干した。それから更にたっぷりと沈黙を挟んで、もう一度小さな溜め息が挿入インサートされる。芝居がかっているとさえ思えるその一連の動作の後で、サヨさんの唇はようやく沈黙を破った。


「ホムラ、あなたの覚悟が本物ならば、私たちに力を貸して頂けませんか」


 冷淡な口調に冗談の色はない。全てが真剣そのもので、刃の切っ先のような鋭さを纏っている。突飛もない台詞に、私の理解が追いつかない。


「──私、たち?」


 間の抜けた声で反問する私。重低音に満ちたこの場所において、私の呟きはたちまちに掻き消されたであろう。それでも尚、サヨさんの言葉は頭の中で延々と回り続けた。間もなくしてその言葉は、アゲハがうっかり漏らしたテラの台詞と結び付いた。


 ──『


 痛いくらいの理解が、永遠の暗闇を切り裂くように訪れた。


 サヨさんの申し出ドロップアウトに、幾許いくばくかの希望を感じながらも、暗渠あんきょな深淵の向こうから、この腕を力強く引かれているかのような恐怖が、私の躰をいつまでも震わせるのだった。





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