EP08-02





「そうね、大方は複製体じゃない? たとえ遊泳生物ネクトンだろうと底生生物ベントスだろうと、作り方は室内飼育用の犬や猫カジュアルペットと何ら変わらないはずよ。逆に純正の生命ピュアアニマルの方が、郊外に散り散りになった天然記念物コストブレイカーだもの」


 さも当たり前のように分析するイマリを見て、自分たちの感覚がいつの間にか麻痺してしまっていることに気付かされる。私がDUMへの通勤時に目にしている純正の生命ピュアアニマル純正の緑ピュアプラントは、都市部に暮らす大多数の人にとっては希少な存在なのだ。不衛生かつ不均一だからという理由で、大自然ピュアプラネットの根絶を望む声も珍しくはない。


 技術革新の末恐ろしさは、倫理学会アカデミー道徳調和機関ロースクールで頻繁に取り上げられる題材の一つではあるけれど──。それは決して未来の話ではないのだ。

 未来への警鐘を鳴らすまでもなく、私たちはもうすでにどうしようもなく壊れていて、大禍ヴォルテクスの傷跡を執拗に掻き混ぜている。倫理観も道徳観も、複製術ゲイボルグ創造術ロンギヌスの毒牙によって深く穿たれているのだ。


 永久複製医療術Unlimited Medicalの運用方法を論議する必要などない。ヒュムの人権がどうだとかそういった次元の話ではなく、室内飼育用の人間カジュアルヒューマンを誕生させてしまったこと自体が、人間本来が持っていたはずの絶対の倫理観アカシックレコードから外れているのではないか。


「陸か海かだけの違い。そして、人間か人間じゃないかだけの違い?」


 低い声で問いかける私に、イマリは細かく首肯した。しかしその途中で何かを思いついたらしく、付け加えるように発言する。


「それかあれかもね。遅延を括られた人工生命ファー・シンギュラリティ

自立型の機械ロボティクスってこと? それは間違いなく料理の値段に響いてくるわね」


 私は出来る限り皮肉な態度を意識して答えた。たかがレストランの演出のために、遅延を括られた人工生命ファー・シンギュラリティまで投入するだなんて馬鹿げている。けれどイマリが言ったように、本物の海洋環境を再現するよりは安上がりなのかもしれない。純正の生命ピュアアニマル天然記念物コストブレイカーならば、効率部分だけを追求すれば遅延を括られた人工生命ファー・シンギュラリティに頼るのは"正"のはずだ。


「そういえばホムラ、ヒュムも同じね」

「ん、どういう意味? もしかして話飛んだ?」


 直感的に話を進めるイマリに、念のため確認を取る。イマリはゆっくりと首を振って否定した。


「ううん、続いてる。ヒュムも同じというか、DUMも同じって言うべきかな。要するに──」


 そこまでを聞いて私は、イマリの話が行き着く先をぼんやりと予見する。


「人間とヒュムの見分けがつかなくなるのを懸念して、永久複製医療術Unlimited Medicalは、DUMの中だけで公式化ロックされている」


 改めて言葉にすれば、とてつもない説得力を持った仮説だった。もしかするとそこには、聡明怜悧ニア・ジニアスなイマリが言うからこその説得力も加わっていたかもしれない。


 倫理の面からではなく、純血を保全するための規制。水槽の中の鯨のように、いずれかの人工生命シュレーディンガーが日常的に蔓延する現代において、その規制の重要性は想像に難くない。

 僅かな逡巡を挟み、私は問いかける。


「なぁイマリ。ヒュムから成長因子を奪うのも、そのためだったりするのかな」

「そうかもね。もちろん一番の理由は、移植献体ドナーとしての価値が最も高い状態で成長を止めるためだと思う。その次の理由としてなら──充分に考えられるわね」


 私はこの上なく陰鬱な気持ちで、結論を絞り出す。


「万が一にもヒュムがDUMの外へ出てしまった場合の保険。成長しない個体ならば、いずれ実社会に擬態メタモルフォーゼ出来なくなる」


 さすがのイマリも、導き出された答えに辛辣な表情を浮かべた。


 私は思う。もしもヒュムたちが、本当にそこまでを計算し尽くされて生まれてきた生命なのだとしたら、それは救いようのない話ではないか。空を知らずに生き、空を知らずに死に──たとえ空を知れたとしても、時を止められた生命体は、いずれ異質な生命として純正の人間ピュアヒューマンに排除されるのだ。


 私たちは、自らの過ちにどこまで鈍感になれるのだろう。母さんの微笑みが

ふいに頭の中で再生される。雪白ミツキ私の母さんは、一体どこまでを理解してDUM設立の必要性を訴え続けたのか。


「まぁ免疫系の問題もあるし、ヒュムの氾濫を心配するのは杞憂だと思うけどね」


 漂う重たい空気を払拭しようと、イマリが努めて明るい声色で言った。未熟な私は、それが分かっていながらも友人の軽口を聞き流すことが出来ない。


「イマリ、心配ってどういう意味だ? ヒュムが外界に出ることは、懸念しなくてはいけないような事案なのか?」


 私の剣幕にイマリが狼狽する。だがそれも無理はなかった。自分の声に含まれた凄みに、自分でも驚いたところだ。私の深い場所で煮えくり返った行き場のない怒りが、目の前の友人を理不尽に責め立てている。


「ちょっと、ホムラどうしたの? 顔、こわいよ……」


 悲痛な面持ちで臆するイマリ。そのメンタルがことのほか脆いのは知っている。それでも私は、湧き上がる感情を止められない。せめて深く傷付けないように、どうにか言葉を選びながら訥々と語る。


「──この世界は、狂ってる。皆、おかしいよ。老師も、イマリも、そして母さんも。どうしてDUMなんか必要なんだ? 生まれるべき生命が生まれ、死ぬべき時が来れば死んでいく。そんな当たり前の道理を、自然の摂理を、私たちが無理矢理捻じ曲げる必要があるのか?」

「……ホムラ、あなたは地獄を知らないから」


 消え入りそうな声でイマリが返した。私は神奈木博士の鋭い眼光を思い返す。そして彼女ジニアスの言葉を、強く噛みしめる。


 ──『雪白ホムラ、だろう?』


 地獄を知らないのは、イマリも同じだ。私たちの誰もが、かつて世界を満たした死の匂いを知らない。神が死ぬ前の不毛な世界を、歴史の残滓から伝え聞いただけだ。少なくともゲントク老師以外は──母さんだってサヨさんだって、直截的ちょくせつてきにはその地獄を知らないのだ。


「イマリ、私は思うよ。私とイマリが生きるこの世界だって、救いようのない地獄なんじゃないかって。母さんが救ったのは、世界の上澄みだけだ。そしてその上澄みを守るために、私たちは地獄の管理人コンダクターとして生きてる」


 感情を吐露しながら、恐る恐るイマリの瞳を覗く。細かく震える彼女の瞳の奥には、軽蔑と拒絶の入り混じった複雑な感情が見て取れた。


 イマリが、言う。

 聞き分けのない子供に言い聞かせるように。

 まるで「これが最後よ」と、言外の願いを託すように。


「ねぇホムラ──よく聞いて? あなたのママは……雪白ミツキ博士は、その上澄みの世界を救いたかったんじゃないよ。きっと上澄みの世界を、存続させたかったんだ。この世界が、二度と大禍ヴォルテクスなんて繰り返さないように。ほんの一握りの権力者たちが、争う理由なんて永遠に見つけられないように」


 イマリの頬を涙が伝う。それはとても美しいものだ。何の理屈も説明も必要としない、ただただ美しい涙の雫。何の正しさも過ちも伴わない、ただただ美しい感情の痕跡。


 盲目なのは誰だ。

 間違っているのは世界か。

 それとも私か。


「イマリに何が分かる」


 険しい口調で吐き捨てた私に、イマリは寂しそうに呟いた。


「あなたのママはね──きっとホムラに、その綺麗な世界で生きて欲しかったんだよ」





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