Absolute02

【不断──空を知らずに死んでいく。罪悪の箱に残るものは】

EP06-01





 目まぐるしくという言葉が、この場合適切であるのかどうかは定かでないにしても、少なくとも私にとって、心中穏やかではいられない出来事が立て続けに起こった。


 まず一つ目は、テラの隔離である。


 神奈木博士と出会ったその二日後、テラは隔離及び監視対象として電子牢へ収監された。先日のサヨさんの言葉をに受けるならば、今後は投薬についても検討されているに違いない。私は暗澹たる憂鬱に身を沈めながらも、何かを知らしめようとする小さな違和感の正体に思いを巡らせていた。


 テラの罪状は、DUMの心臓部コアコンピュータへの不正接続ハッキング、及び妨害工作ジャミングだ。


 その罪状までもが、公式化された情報ロックメディアとして私たちに提供されたことにも驚きを禁じ得ないが、これはどうやら、神奈木博士の自由奔放な行動から派生したものらしい。


 神奈木博士が、政府からの要望通り隠者のように身を潜めていれば──要するに、秘密裏に心臓部コアコンピュータ修復リカバリを終えていれば、このような重大情報が公式化ロックされることはなかったと予測する。


 その神奈木博士は、非常勤ながらも暫くの間このDUM内に留まるつもりのようだ。おそらくは、それさえもが彼女の独断なのだろう。政府にとっての神奈木博士は、扱いづらい駒のような存在なのだと推測する。

 生きる治外法権パブリックアウトローとは、よく言ったものである。


 ともかく、神奈木博士が私へとちらつかせた真実の片鱗と、あの時のサヨさんの発言を繋ぎ合わせて推測すれば、テラが昇華サブリメイションを邪魔立てしていたのではないかという結論を導くのは容易かった。不正接続ハッキング妨害工作ジャミングも、全ては心臓部コアコンピュータを麻痺させ、永久複製医療術Unlimited Medical封印バインドするのが目的だろう。

 しかしこの推論が真実であるならば、どうしても腑に落ちないこと一つがある。


 ──永遠の非献体者エターナルチャイルドは、自らの手によって自らを延命していた?


 その一点において、どうしても理屈をつけることが出来なかった。昇華サブリメイションを誰よりも望み続けたテラが、わざわざ一縷いちるの望みを遠ざけるような行動を起こすだろうか。私には、その絵面がぼんやりとさえ浮かばない。


 例えば、興味本位フォーカス自己顕示欲ダジリングの一環として、テラが不正接続ハッキングを行っていたというのなら分かる。そこまでならば、私もどうにか納得出来る。事実、テラは私との会話の中で、ヒュム個人が知るはずのない情報を開示していた。"内緒のテラさん情報"などというふざけた言葉と、戯けた態度で私に示していたのだ。

 もしもテラに、昇華サブリメイションを阻害するという本当の目的があったのならば、不正接続ハッキングを匂わせる発言は彼にとってリスクでしかないはず。


 そして何より──テラは死にたがっていたはずなのだ。


 予定調和の雨ハーモニアス・レインにさえも見放され、声を殺して泣いていたテラの姿を思い出す。もしかするとこの世界で唯一、本心から昇華サブリメイションを待ち望んでいたヒュムが、一体何を理由に阻害行為に手を染めようか。


 私は迷わず、テラとの面会をサヨさんに申し出た。しかし当然ながら、サヨさんは首を縦に振ることはなかった。聞き分けのない子供のように食い下がろうとする私をいなすこともなく、真正面から私を咎めるサヨさん。


「老師に確認を取るまでもなく、面会の許される状況ではないと判断します。彼の個室コテージ固定端末ターミナルからは、不正接続ハッキングの痕跡も複数発見されています」

「──不正探査スイープしたのですか?」

「……神奈木博士ディア・ジニアスがね」


 まるで汚れ役だ。生きる治外法権パブリックアウトローならば、「善悪の認識など瑣末な問題だ」などと笑い飛ばすだろうけれど。


「サヨさんは聞いていましたよね。粘性の水蒸気ハンドメイドクラウドの下の、私とテラの会話を。あの会話をモニターされていたのならば、不正接続ハッキングの存在にサヨさんだって思い至ったはずです」

「思い至ることと、証明出来ることは違います」

「誤魔化さないでください。妨害工作ジャミングがテラにとって、一体何のメリットがあるのかという話です」


 感情的に訴える私に、サヨさんは憐れむような視線を送った。


「裁かれたいがために罪を犯す心理は、決して破綻してはいないでしょう?」


 私はそれ以上、何も言う気になれなかった。失望にも似た感情が、私の胸の内を浸していく。客観的な目で見れば、サヨさんの捉え方は正論なのかもしれない。そもそもという事実さえも、私の主観による思い込みかもしれないのだ。


 自分自身を客観視することも出来ない未熟な私は、それ以上の言葉を持たなかった。ただ黙ってその場を立ち去る私の背中は、サヨさんの瞳にどのように映っていただろうか。






 そんな私に追い打ちをかけるように、二つ目の事件が起こる。


 テラの隔離から更にその二日後──およそ四ヶ月ぶりとなる昇華サブリメイションの実施が発表されたのだ。早速と言わんばかりの采配が、テラの妨害工作ジャミングがやはり永久複製医療術Unlimited Medical封印バインドしていたのだと確信を持たせた。


 献体予定日は二十六日後──対象への告知猶予は二週間。

 昇華サブリメイションの対象者はアリスであり、その告知者アナライズに任命されたのはサヨさんだった。


 始業前のアップデートの後で、携帯端末ワールドリンクが示した公式化された情報ロックメディアが、陰鬱な苛立ちを突きつける。プラネタリウムの星明かりの元に、私の大きな舌打ちが響く。


 ──ああ、どうして。どうしてよりにもよって、アリスなんだ。


 ヒュム個人に対して特別な思い入れを持つことは、もちろん禁忌行為タブーだ。じゃあアリス以外のヒュムならば良かったのかと問われれば、私に正義はない。

 けれど、けれどそれでも──。私は、口腔を満たす鉄の味で我に返った。どうやら無意識の内に、唇を強く噛みしめていたらしい。


 告知者アナライズの欄に表記された"天語サヨ"の文字を、形容しがたい薄暗い想いで眺める。サヨさんならば、「来るべき時が来たに過ぎない」と一笑に付すだろうか。


 倒錯した感情が、私を支配する。


 ──告知者アナライズが私でなくて良かった。

 ──否、せめて献体告知アナンシエイションをするのは、私で在りたかった。


 死神の鎌デスサイズをアリスの首筋に宛てがうサヨさんの姿を頭に描く。その剣呑な眼差しに、優しさは皆無だ。それが私なら、どうだ。何かが変わるのか? いや、同じ──少なくともアリスにとって、優しい献体告知アナンシエイションなど存在しない。


 DUMの約款やっかんは、就業後二年間はコンダクターを告知者アナライズに任命しないと定めている。だから私もイマリも、サヨさんの言葉通りの"半人前"で、まだこの楽園の中の悲しみの一部分しか知らない。


 今さらながらに恐怖する私は愚かだ。

 献体告知アナンシエイションとは何だ?

 私やイマリにも、いつかその役目が訪れるというのに。


 私なんかの憶測も及ばない深淵に、サヨさんは居る。他のコンダクターも、そしてゲントク老師も──今まで一体、どれだけの数の"献体死"サブリメイションに立ち会ってきたのか。

 綺麗事オブラートに包めば、ヒュムの死の価値が、人間の生の価値と釣り合うとでも本気で思っているのか。


 こんな私でも、いつかは慣れる?

 当然の摂理だと、いつかは受け入れてしまえる?

 サヨさんを思い返す。いつも冷静沈着な彼女の様子を。氷の国の魔女フロズンテンペストと恐れられた、天語サヨの振る舞いを。


 そうだ、もしかすると、私よりも情報の権限を持っているサヨさんならば、もっと前からこの事実を知っていたのではないか。たとえば、イマリが神奈木博士を目撃したあの日には、大筋の流れとしてここまでのシナリオを知っていた──カウンセリングルームで私が感じたサヨさんの苛立ちや焦燥は、それに起因するものではないか。少なくとも、その一因だったのではないか。


 そう思いたかった。暗闇に射し込む一条の光のように、サヨさんの中に拭えない戸惑いを見出したかった。せめてそうであってくれなければ、アリスにとっては余りにも報われない事実じゃないか。

 サヨさんの情緒不安定を願う最低な私。止め処なく暴走する思考の波が、目眩となって私を襲う。


 携帯端末ワールドリンクを立ち上げ、無策のままにサヨさんへとコネクトする。とにかく、サヨさんと話がしたい。私が何を口走ろうとも、どんなに冷徹な態度で跳ね除けられようとも。


『サヨさん、私に少しお時間を頂けませんか』


 飛ばした電書鳩クルックに対して、サヨさんからは何の反応も無かった。その返事リコールを待つ間にも、私の思考は推測と憶測の海に沈んでいく。





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