EP04-02





「んー、ロリコンというのはだな……」


 私がその先を答えあぐねていると、カリンが颯爽と助け舟を出した。


「アゲハちゃんみたいに可愛い女の子を狙う成人男性のことよ。そんな人のお嫁さんになったら、毎日ふりふりの服で過ごさないといけないし、毎晩不潔なことを強要されるの。しかも最悪なことに、アゲハちゃんが大人に成ったら興味がなくなって捨てられる。そんな人と一緒になったら、人生終わりだからね」


 人差し指を立てて力説するカリンと、「うんうん」と一生懸命に頷いているアゲハ。まったく、二人とも何を何処まで理解しているんだか。その説明なら、別に助け舟を出してくれなくて良かったと恨めしく思う。


「アホくさ──アゲハ、あたしからも言っておく。結婚とか大人に成ったらとか、そんなのあたしたちにあるわけないだろ。あるのはテラがロリコンの可能性だけだ。その可能性なら、八割は下らない」


 押し黙っていたアリスが、これ以上は堪え切れないといったふうに口を挟んだ。彼女の発言には、自虐的な意味合いが含まれていたけれど、アゲハはそのニュアンスを汲み取れないだろう。テラが本当にロリコンである可能性については、私は三割程度だと踏んでいる。


「えー、なんでなんでなんで? テラくんは嘘つかないし、きっと本当にお嫁さんにしてくれるよ」

「嘘は言わなくても冗談だろう。是非とも冗談であってもらいたいと願うよ」


 テラの軽薄さを踏まえた上での、コンダクターとしての私の意見だった。というか本当に冗談であってくれないと、冗談抜きでテラが隔離されてしまう。


「わたしは……なれると思うけどなぁ……。お嫁さん……」


 萎れたアゲハが、ノートにデザインしたウエディングドレスを小さな手で撫でた。その姿は、ロリコンでない私が見ても愛おしい。


「あー、もう! めんどくせー。昔話の講義に未来の話、アホくさすぎる」


 突然の怒号を上げてアリスが立ち上がった。不愉快さを隠そうともせず講義室を去ろうとする背中に、カリンが呼びかける。


「ちびっ子ね、アリス。あなた、考え方がちびっ子だわ」

「あん? なんだよ巻き髪乙女」

「私たちは恵まれてるのよ。何の苦労もなく生活出来て、最後は苦痛なくぽっくり。その上、人様からは感謝される。それに何の問題があるわけ? あなたの悲観を私たちに押し付けないでくれる?」

「あちこち問題だらけじゃねーか。真っ当な人間様の感覚なんて、あたしには分からないね。一生分からない」

「だからあなたはちびっ子なのよ。もっと楽しく生きられないの? 例えばおしゃれするとか──ほらご覧なさい、今日の巻き髪はかなり上出来」


 剣呑なアリスの眼差しなど気にも留めず、自慢のカールに人差し指を入れてくるくると掻き回すカリン。


「カリン殿の言い分に疑問はない。自分も恵まれた生活だと感じているし、その巻き髪もいつも以上に美しいと思う」


 寝癖を押さえつけたままでツムギが口を挟むと、それをきっかけのように他の皆も口々に話し始めた。


「結婚だって、できるよねー。お嫁さん、やってみたいよぅ」

「アゲハちゃん、私も同じよ。機会があればしてみたいわ」

「自分も家族と言う存在に対して、憧憬を持っています」


 口を尖らせてアゲハ。深く首肯してカリン。真っ直ぐに挙手してツムギ。片手はまだ寝癖の上。


「機会もねーし憧憬もねーよ。お前らバカだろ。一人残らず全員バカだろ」


 大仰な溜め息と共に、アリスが罵った。侮蔑と軽蔑を混ぜ合わせた強い眼差しが、心底馬鹿にしたふうに一同を睨み付ける。そんなアリスの様子を横目で一瞥してから、マシロが呟いた。


「──たも──してか──ない」

「あなたも大して変わらないそうだ」


 今にも掴みかかりそうな勢いでアリスがマシロに駆け寄り、その間に素早くカリンが立ちはだかる。すかさずツムギも立ち上がって、いつでも加勢出来る体勢をとった。


「どけよ、化粧くせーよ」

「どくわけないでしょ、クソガキ」

「アリス殿、態度を改め謝罪するべきだ。カリン殿は間違っていない」


 一触即発のひりついた空気。私の存在を無いものとして戦争が始まろうとしている。私の予感は正しかった。これが学級崩壊カタストロフというやつか。


「──おい」


 低い声を意識して割って入る。ここまで乱れてしまっては傍観者で居るわけにもいくまい。


「ティーチャーホムラ、すみませんが少しだけ沈黙を願います。自分にも譲れない想いがありますので」

「ゆっき、私からもお願い。ちょっとだけ時間をくれない? このちんちくりんを調子に乗らせすぎたようだわ。この際きちんと分からせてあげるべきよ。社会のルールってヤツを」


 学級崩壊カタストロフここに極まれり。講義中に言い争うのは、社会のルールから逸脱していないのか。


「はん。それはあたしの台詞だろ。政府の決めたルールなら何の疑問もなく受け入れるのか? お前ら頭がおかしいぜ。そもそもその巻き髪がセンスを疑わせるね。ついでにそっちの引きこもりのヘルメットみたいな頭もな」

「わ──のか──バカ──ないで」

「私の髪をバカにしないでだそうだ」

「マシロちゃん、このつるぺたのちんちくりんには、黒髪の美しさが分からないのよ。可愛いお人形さんみたいで素敵よ」

「自分も同感だ」

「はっ、腰巾着だな。イガグリ、お前に自分の意思ってものはないのかよ。それにつるぺたでちんちくりんなのは、そっちの引きこもりだって同じだろ。そもそもあたしらからは恣意的に成長因子が取り除かれてるんだ。つるぺたなのはあたしのせいじゃねー」

「う──、──い、う──ぎる。」

「うざい、うざい、うざすぎるそうだ。アリス殿、自分もアリス殿に対して、黒く濁った気持ちを覚えている」

「アリス、これ以上はただでは済まされないわ。出て行きなさい。あなたはこの講義室に不要よ」

「お前が出て行けば? ずっと部屋でメイクしてりゃいいだろ。大好きな政府様に殺されるまでよ」

「取り消しなさい、引っぱたくわよ」

「取り消さない。やってみろよ」

「……えへへへ、ドレスに色付けたいなぁ、ホムラちゃん、色鉛筆、持ってなぁい?」

「……」

「ねぇねぇ、ホムラちゃん、色鉛筆……」

「持ってない!」


 激昂した私が、アゲハの言葉を遮る。私のポニィテイルは、怒りで逆立っているかもしれない。文字通り、赤い怒髪天が天を衝いているかも。


 ──ああ。しまった、やってしまった。しかもよりによってアゲハに八つ当たりとは。


 すでに大粒の涙を瞳に溜めているアゲハ。講義室全体がシーンと静まり返る。そもそもこの場合、私の指導力の無さが問題なのであって、アゲハの無邪気さが問題なのではない。自分の無能さ加減にほとほと愛想が尽きる。


「──アゲハ、すまない。酷い言い方をした」


 ううん、と首を横に振って涙を堪えるアゲハに、深く頭を下げる。


「そ、そういえばさー、ゆっき。国家の崩壊については、良く分かったんだけど……政府ってのは一体何処から湧いて出たの?」


 いたたまれない空気を察して、カリンが講義についての質問を繰り出してきた。こういった切り替えの早さが、カリンがお姉さま的ポジションに立ち得る所以ゆえんだと思う。ツムギとマシロが続く。


「自分も気になっていました。国家さえ崩壊する時代に、如何なる統治力をって政府が治めたのかと」

「──しもき─なる」


 大人しくなったヒュムたちが積極的に(というか無理矢理に)講義に参加してくる中、アリスだけがそっぽを向いている。


「皆もすまなかった……以後、気をつける。気を取り直して講義に戻ろう。政府の成り立ちについては──」


 ……えっと、何だっけ。怒りで思考が鈍っているのかもしれない。怒りというよりも、もっと複雑な苛立ちなのだけれど──えっと、あ、思い出した。


「思い出した。とある秘密結社がその前身だと言われている。大禍ヴォルテクス最中さなか、表舞台からは鳴りを潜めていた改革党閥ラボソサエティだ。ただしこれは公式化された情報ロックメディアではないから、諸説ある中の一つに過ぎない」


 この逸話は失策か。根拠に乏しい都市伝説を堂々と語っていては、コンダクターといえども禁忌行為タブーに触れる──いや、コンダクターであるからこそ、罰せられる可能性が大だ。政府にとっては、情報の統括こそが命。


 そこで私は、私を見るヒュムたちの訝しい目線に気付いた。


「ねぇ、ゆっき。今『思い出した』って最初に言わなかった?」

「自分もそう聞こえました」

「聞──た」

「アゲハも聞こえたよ」


 言ったっけ? 咄嗟に笑って誤魔化したものの、苦い表情を隠し切れない。


「ま、まぁさ、言ったかどうかは別として、今度、マリンにも聞いてみるね。別にゆっきの知識を疑うわけじゃないよ?」


 カリンが戯けるように言った。ここまで気を遣わせてしまうとは、本当に情けない。カリンの言う"マリン"というのは、イマリのことだ。"衣乃イマリ"から"マリ"を切り取ってマリン。スーパールーキーであるマリンは、ヒュムからの信頼も厚い。


 その後の講義は、この上なく順調に進んだ──というのも、一度激昂し声を荒らげてしまった私に、皆が異様に気を遣ってくれたからだ。大袈裟に言えば、萎縮させてしまったのだ。感情的になるだなんて、本当に自戒しなくては。


 無駄話一つない静かな講義室。連々つらつらと独り語りされる外観的歴史確認エティックヒストリィ。アリスだけが、ずっと明後日の方向をぼんやりと眺めていた。


 本当に私は、コンダクターとしてまだまだ未熟で──今度サヨさんにお願いして、イマリの講義の様子を見学させてもらおう。







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