第7話

「――はっ!?」


 次に目が覚めたときには外がもう大分暗くなっていて、時計は6時を回っていた。


 まずいまずいまずい!! 今日中に提出しなきゃいけないのに!


 大慌てで電灯を付けた私は、スリープモードになっているパソコンを起こした。


「あれ?」


 残り三分の一の状態で止まっていたのに、画面を見るともう終わっていた。


 いったい誰が……?


「あ、おはよう高木さん」


 私が困惑していると戸がガラガラと開いて、段ボールを抱えた先輩が入ってきた。


「よく寝られた?」


 テーブルの上に段ボールを置くと、先輩は後ろで指を組んでそう訊いてきた。


「あ、はい。……すいませんでした」


 私は申し訳ない顔でそう言って頭を下げると、


「謝らなくてもいいのよ、楓さん」


 疲れてたんでしょ? と先輩は言って、特に私を責めようとはしなかった。


 ありがとうございます、と頭を下げた私は、


「えっと、ところで先輩、これ先輩がやってくれたんですか?」


 パソコンを指さしてそう訊ねた。


「あ、バレた?」


 生徒会室には私達の他には誰も居ないせいか、イタズラ小僧みたいに笑っていた。


「迷惑ばっかりかけて本当にすいません……」


 私がそう言ってまた頭を下げると、


「いいのいいの。いつもは私の方が、あなたに迷惑かけてる訳だし」


 先輩はそう言いながら、申し訳なさそうに笑った。


「いえ、迷惑だなんて思って――」

「高木さーん。議事録出来たー?」


 私がそんな先輩をフォローしようとしたタイミングで、会計の2年の女子生徒が入ってきた。


「はい。今提出しに行く所です」


 その子へそう答えた私は、画面の上の方にある印刷ボタンを押した。


「そうなの。じゃあ会長、鍵、お願いね」

「はいはい。お疲れさま」

「お疲れさまでした」

「お疲れー」


 会計の女子は先輩に生徒会室の鍵を手渡すと、自分の席の椅子に置いてあった鞄を取って出て行った。


 その人を見送った先輩の顔は、外向けのおしとやかな表情になっていた。だけど、しばらくするとすぐに、プライベートと同じ感じに戻った。


 ややあって。


 出入り口左にあるプリンターの前で、印刷が終わるの待っていると、


「ねえねえ楓さーん。今日のご飯なあにー?」


 間延びした声でそう言いながら先輩が寄ってきて、後ろから私の背中に枝垂れかかってきた。耳たぶに先輩の息が当たって少しくすぐったい。


「焼き魚とみそ汁ですよ」

「えー」


 骨が面倒くさいー、別のが良いー、と先輩は子供みたいに文句を言って、私のお腹に手を回して密着してくる。


「嫌なら食堂で食べてください。今日は鶏の照り焼きだそうですよ?」


 先輩のわがままを受け流した私は、議事録を印刷した紙を取って端を整えると、それをホチキスで留めた。


「あーん、楓さんの意地悪ー」

「冗談ですよ」


 ちゃんと骨取ってあげますから、と言うと、やったー、と間の抜けた声で喜ぶ先輩は、背中に頬をこすりつけてくる。


「楓さん大好きー」

「はいはい。じゃあ手を離してください」


 わかったー……、と先輩はちょっと不満げだったけど、私の言うとおりにした。




 パソコンの電源を落とした私は、戸締まりを確認して部屋から出た。


「楓さん早くー」

「先輩、少しぐらい待ってください」


 先に廊下に出ていた先輩の声を背に、私は生徒会室のドアに鍵をかけた。


 それから、私と先輩は指を絡めて手を繋ぎながら、職員室に向かって歩く。


 その途中で私は、先に帰っても良いんですよ、と先輩に言ったけど、先輩は首を横に振って嫌がった。


 だから結局、部屋に帰るまでずっと一緒だった。



                    *



 晩ご飯を食べて片付けをした後、私がベッドに座ってテレビを見ていると、


「あー! つーかーれーたー!!」


 そう言って寄ってきた先輩は、隣に寝転がって私の膝に頭を乗せてきた。


「だったら自分のベッドで寝てください」


 あと制服はちゃんと吊してください、と言って私は、先輩を容赦なくどかした。


「あー……」


 もの悲しそうにうなる先輩を放置して、床に落ちている先輩の制服を拾いに行く。


「ていうか、そろそろ自分のベッドで寝てくださいよ」

「やー」


 ベッドの上からどかそうとして先輩の腕を引っ張ると、散歩を嫌がる犬みたいに全力で拒否してくる。


「また人肌でも恋しいんですか?」


 結局どかすのを諦めた私が先輩の隣に座ると、先輩は手の力だけで起き上がると、私の膝の上に乗って押し倒してきた。


「んー……」


 幸せそうに目を閉じて、良い匂い……、と先輩はささやいた。


「重いです、先輩」


 先輩は私の平らな胸に片方の耳をくっつけている。

 多分、私の心臓の音を聴いているんだろうと思う。


「お母さんって……、こんな感じなのかな……」

「先輩?」


 震える声でそうつぶやいた先輩は、私の服を握りしめたまま何も言わなくなった。

 この1ヶ月半で、情けない先輩の姿は飽きるほど見てきたけど、そんな事を口走ったことなんか一度も無かった。


 ……もしかして、『家庭の事情』、かな?


 疲れてるだけならこんな状態にはならない事は、今までの経験で良く分かっていた。


「あの、先輩……。――お湯溜めるので、一緒にお風呂入りませんか?」


 だったら、少しでも忘れられる様に、先輩の喜ぶ事をしようと思って、私はそう提案した。


「ふえっ!?」


 あ、嬉しそう。


 高速で顔を上げた先輩の表情は、予想通りにパッと明るいものになっていた。


「ど、どうしたの急に?」


 意外そうな振りをしているけど、口元がにやけているので喜んでいるのが丸わかりだった。


「ちょっと気が向いただけです。……嫌なら無理にとは言いませんけど」

「嫌じゃない! 嫌じゃないです!」


 ちょっと意地悪すると、むしろ嬉しいです! とわたわたしながら、先輩は必死に喜んでいる事をアピールしてくる。


「冗談ですよ」

「むー。楓さんの意地悪」


 真っ赤になった頬を膨らませてむくれる先輩。


「すいません。つい」


 その様子が可愛くて、私は思わず笑ってしまう。


「……楓さんはもっと、先輩を敬っても良いと思うの」

「ちゃんと敬ってますよ?」

「嘘だー」

「本当ですよー」


 力の抜けた会話を程々で切り上げて、お風呂洗ってきます、と言うと、先輩は自分からさっさとどいてくれた。



 

 私はお風呂場に入ってドアを閉めると、壁に寄りかかって1つため息を吐く。


 危なかった……。また、やっちゃうところだった……。


 先輩のあの意味深な言葉を聞いて、私はまたのように、首を突っ込みそうになった。


 私にのしかかってくるときに見えた先輩の表情は、あの子がいなくなる直前に見せたそれに、とてもよく似ていた。


 その苦い記憶を振り払うように、私は棒付きブラシで浴槽の掃除に取りかかった。

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