第55話

 ガッシリとした身体と、顎髭あごひげを蓄えた威厳のある祖父の雰囲気に、先輩の父親は冷や汗をドバドバとかき始めて、さっきまでの威勢が完全に消え失せた。


「いやあ、困った困った」


 困ってなさそうに高笑いする祖父の目は、全く笑っていなかった。


「はい?」

「――えっ?」

「……。ええっ!?」


 教頭先生、福嶋先輩、先輩の3人は、驚き過ぎて理解が追いついていない様子で、ポカーンとした顔で私を見る。


「えっ、ちょ。色々追いつかないんだけど楓さん!?」

「お孫さん、だったの?」

「……まあ。はい」


 純粋に驚いている様子の先輩2人へ、私は少しだけ目を伏せてそう返事した。


 なんで嫌かって、これが知れると、私が望まなくても特別扱いされかねないし、そうで無くても、柏元太郎の孫、という権威でしか見て貰えなくなるからだ。


 幼稚園のときに話した事があって、その日から友達が親に言われたのか、妙に取り入ったりしようしてきて、すごく嫌な感じになっていたのを覚えている。


 それがあって、私はできるだけ自分の力でやっていきたい、とずっと思っているから、今は身内以外は誰にもその事を知らない。


 前の学校から転校、となったときも、祖父は私の考えをんでくれて、あくまで普通に転校生として、転入試験に合格して転入している。


 でも、先輩を護るためなら、と思うと、ズルくさいとかみたいなのにこだわってる場合じゃない、と、権威を頼る事に対して感じていた抵抗があっさり吹き飛んだ。


 言い方は悪いけど、例え嫌いなものでも、使えるなら使うに越した事は無い。


「あー、吉野さんや。孫娘の言ったことは、私もおおむね同意見でな」

「な、なるほど。流石は柏元太郎様のお孫さんだ。私もつい、熱くなってしまうほどに素晴らしいお考えをお持ちですね」


 祖父の言葉を聞いて、先輩の父親は態度がさっきと180度変わって、なんか変な笑顔で私にびを売り始めた。


 本当、こういうのが嫌なんだよね……。


 確証は無かったけど、先輩の父親は権威には弱そうだったから、昔みたいになる覚悟でギャンブルしたんだけど、どうやら上手く行きそうな感じだ。


「ああ、そうだろう。ちなみに一連の経過は全部録画してあってね」

「は、はあ……」

「それで、君のやるべき事は分かるね?」


 金品とかそういうのじゃ無くてね、と腕組みをする祖父を前に、先輩の父親はだくだくと汗をかきながら、顔色を真っ赤から真っ青なそれへと変えていた。


 その様はなんかこう、可愛そうに見えた。


「いやあ、本当に申し訳ありませんでした。この通り、無礼をおびいたします」


 何のためらいも無く私に土下座して、大名行列の横にいる人みたいに、先輩の父親はへいこらする。


「私は、響さんが穏やかに過ごせるなら、それでいいですので」

「はいっ。仰せのままに!」


 なんかもう、ここに居るのも嫌になってきたから、それだけ言うと、


「帰りましょうか」

「……うん」

「そうね」


 長いものに巻かれてへこへこする大人を、それぞれ渋い顔をして見ている先輩2人に目配せして、大人達が話し合いを始めた小会議室から出た。


 ああいう大人にだけはなりたくないな……。


 なんかこう、本当に爽快そうかいとかそういうのは一切無くて、ただただもの凄く疲れた、という感じがずっしりとのしかかってくる。

 

 最大瞬間風速で言えば、人生で一番疲れたかもしれない。


 ああそうだ、そんな事より大事な事があった。


「あの、先輩方。さっき知った事は、出来れば言わないで下さいね」


 周りに誰もいないのを確認してから、知られたくない理由とかを先輩達に説明した。


「だから楓さん、使いたく無いって言ってたんだね」

「はい……」

「うん、良いよー。気持ちは分かるし」

「私もちゃんと黙っとくよ」


 この人達なら大丈夫だとは思っていたけど、やっぱりその通りだった。


「じゃあ私はこれで」

「ああ、はい。いろいろ、ありがとうございました。福嶋先輩」

「いいのいいの。私は響が幸せならそれで」


 福嶋先輩は私の耳元で、お幸せに、と少し寂しげに微笑ほほえみながらささやいて、じゃあね、と言って先輩に手を振りながら去って行った。


 真っ直ぐ部屋に帰って、ドアがバタン、と閉まったところで、


「よ、良かったぁー……」


 はー、と先輩は長く息を吐いて、私にしがみつきながら体重をかけてきた。


「うわっ、ちょっ!? ――むぎゅっ」


 そんな事してくると思わなかったから、支えきれずにそのままよろよろと居間まで下がって、先輩のベッドに雪崩れ込んだ。


「あわわ……。かっ、楓さんごめんね!」

「そうするなら言って下さいよ……」

「……やるのはいいの?」

「まあ、はい」


 のしかかってきてるせいで、先輩のいろんなところが当たってるし、良い匂いもするせいで、私はかなりトギマギしながら言う。


「……。あっ、退くからちょっと――」

「先輩、その……」


 腕立ての要領で起きようとする先輩の背中に、私は手を回してそれを阻止する。


「な、なに?」


 先輩は激しくまばたきをしてつばを飲んだ。


 私は心臓が激しく動いているのを感じつつ、


「……朝の続き、もっと先まで、しませんか……?」


 脚を少しもじもじしながら先輩へ訊ねる。


「ええっと……、いいの?」

「は、恥ずかしいから訊かないで下さいよ……」


 私の唇の辺りをチラチラ見ながら訊き返す先輩へ、私は目を合わせられないまま答えた。


 その翌朝。


「今日が土曜日で良かったですね……」

「うん……。あいたた……」


 同時に目が覚めた私達は、2人揃そろって何も着てないまま、ベッドの上でうだうだしていた。


「そういえば、晩ご飯食べてないですね……」

「あーうん……。盛り上がりすぎたね……」

「インスタントで良いですか……?」

「うん、良いよー……」

「……なんか、同棲どうせいしてる感すごい会話ですね」

「あー、それ思った」

 

 横向きに向かい合ったまま、私達はどちらとも無くクスリと笑った。

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