第51話

                    *



 後の2日間とテストの2日間は、いつも通りにうんうん言いつつも、顔色が悪いとかみたいなのは無かった。


「ういー、疲れたー」

「お疲れさまです」


 テストが終わった夕方、私が座椅子に座ってこたつに足を突っ込んでいると、左側で寝転がっている先輩がのそのそとやって来て、私の膝に頭を乗せてきた。


 身体を布団に入れたまま、先輩はこたつの角にそって腰を曲げている。


 ……こうして甘えてくるの、何かすっごく久しぶりな気がする。


 実質一月もないのに、私は1年ぐらい間が開いた様な感覚がしていた。


 ちなみに晩ご飯は、実家から送ってきた蕎麦そばで、どうやら気に入ったらしく、先輩はものすごく満足げにゆっくり食べていた。


 そんな風に考えてしまうほど、私は無自覚なまま先輩との距離を詰めていたらしい。


 お互いに一目惚れ、っていうやつかな。……いやまあ、私は恋愛したこと無いんだけど。


 それに気が付いて3ヶ月でも、こんな悶々もんもんと考えてしまうなら、多分もっと早く気が付いた先輩は相当のものかも。


 これなら、もう言ってしまった方が、先輩の負担が少なくて良いのかもしれない。


 でも、逆に良くない方に進んじゃ話にならないし、あの手紙もまだ読めてないなら、そういうことをしてはいけないと思う。


 誰かを不幸にしておいて、自分が幸せになろうなんて虫が良すぎる。


 だから、ちゃんとあの手紙を読んで、痛い目をみないといけない、んだけど、


 やっぱり、卑怯者だな。私……。


 ――どうしても、尻込みして読めないままになってしまう。


 私の葛藤かつとうに気付いていない先輩は、溶けた感じのゆるい笑みで、気持ち良さそうに頭をでられている。


 そんな先輩の様子を見て、私も頬を緩めたときだった。


「ぬ? 誰だろ」


 ベッドの足元に立て掛けてある先輩の携帯から、コロン、という短いブザー音が鳴った。


 先輩はちょっと面倒くさそうに、のそのそと匍匐ほふく前進していって、かばんを探って携帯を手に取った。


 ぽやーん、とした動きで携帯を何回か突いた先輩は、


「――」


 急に一時停止したみたいに動かなくなって、何かよく分からない事をボソボソ言い始めた。


「先輩? どうし――」


 あまりにも様子がおかしいから、半分ぐらい信条を飛ばして先輩に訊いた瞬間、さっき食べた物を全部戻してしまった。


 脂汗を尋常じゃ無い量かいている先輩は、過呼吸状態になってうずくまる。


 私も引っ張られてパニックにならない様、必死に堪えながら寮長さんに内線電話で連絡した。


 無我夢中で過呼吸だけでも収めたところで、寮長さんとさっき呼んだ福嶋ふくしま先輩が来て、胃痛を訴える先輩を連れて救急病院まで連れて行った。


 とりあえず熱は無かったから、私は先輩に頼まれた通りに吐しゃ物を掃除した。


 先輩がああいう風になる原因は、間違いなくもう1つしか無い。


 その予想を確定させるために、私は置き去りにされた先輩の携帯を手に取った。


 少しの躊躇ちゅうちょの後、画面の電源を入れると、タッチするだけの画面ロックが表示されて、苦労せずに先輩が見た物にたどり着いた。


「やっぱり……」


 画面にはメッセージアプリが表示されていて、案の定相手は先輩の父親だった。


 内容は、先輩に対して課した転校のボーダーラインが、全教科90点以上から96点以上に変更、という思った通りのものだった。


 そのメッセージの上には、先輩が自己採点した点数が書かれていて、1教科だけ95点になっていた。


 先輩の事だから、その点数はまず間違ってはいないはず。


 ――もうこうなったら、ウジウジ悩んでる場合じゃ無い。


 さっきまでのためらいとか、過去がどうのっていうのを全部かなぐり捨てて、私はあの手紙を出して間髪を入れずに開いた。





 何も言わずにいなくなってごめんなさい。


 あなたはとても優しい人だから、もしかしたら、自分を責めるかもしれないけれど、その必要はありません。


 私はかなり人見知りするせいもあり、励まそうとしてくれたあなたとの距離感が分からず、素っ気ない態度を取ってしまった事を謝ります。


 ですが、あなたの優しさはきちんと伝わっていたので、とてもありがたかったのです。


 ちゃんと面と向かって言えると良いのだけれど、どうしても上手く言えないと思うので、このような形で許して下さい。


 追伸・少し当てもなくどこかへ行ってから、きちんと親戚の元に帰るつもりなので、心配しないで下さい。





「なーんだ……」


 私のしたことは、どうやら、あの子にとっては間違いじゃ無かったらしい。


 どうなったか知るのが怖くて、私は部屋に閉じこもって、何も情報を入れないようにしていたし、この手紙を読んでいなかったから、失踪したと思い込んだままだったんだ……。


 断罪される覚悟で読んだのに、そこに書かれた言葉はどこまでも優しくて、温かみにあふれるものだった。


 あれだけ苦しんだのは、実は行き過ぎだったという事に、私は今になってやっと気が付いた。


 だけどそれがあったから、先輩にも出会えたし、他人との距離の詰め方に気を付けられる様になったから、全く無意味ではないはず。


 それでやっと覚悟が決まった私は、先輩の携帯をその机に置いて、自分のそれで福嶋先輩にどこへ行ったか訊ねた。


 確認が取れると、私は叱られるの承知で、管理棟の当直室にメモを残してタクシーを呼んだ。

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