第44話

「どうしたの楓さん? ボーッとして」

「ああいえ。何でも無いです」

「やっぱり疲れた?」

「いえ、本当になんでも無いですから」


 コト、と、どんぶりを置いて、先輩は身を乗り出す感じで聞いてくる。


「だったら良いんだけど」


 それ以上訊いては来なかった先輩は、スッと背筋を伸ばして食事を再開する。


 ……ひとまず棚に上げてご飯食べよう。


 そうやって自分を納得させて、よく見ずに天ぷらを箸でつかんで口に運ぶ。


「楓さん、それ結構長いけど大丈夫?」


 それはどうやらゲソ天だったようで、私は思いきりえづく事になった。


「……洗濯とか、出来ることはやるから、楓さん早く寝た方が良いよ」

「すいません……。そうします」


 あわあわ、と近づいてきた先輩は、みそ汁を飲む私にそう言ってきて、私は言う通りにする事にした。


 先輩の言う通り疲れてるから、変に悩んでしまうんだろう。


 食後、とりあえず刃物とかお椀だけ洗って、私はさっさとシャワーを浴びた。


 ドライヤーで髪を乾かしている最中、


 あれ、あの手紙どこやったっけ?


 ふと適当にしまったあの手紙の事を思い出した。


 流石に、洗って紙くずにしてしまうのは、内容がどうあれ不義理すぎてどうかと思うし、洗濯機の中に突っ込んである洗濯物を探ると、


 あったあった。……あ、ちょっとシワになってる。


 それは、穿いていたジーンズのポケットの中にあった。とりあえず、破れていなかった事に私は安心した。


 ……読んだ方が、いいよね……。


 手紙をもう一度開こうとしてみるけど、やっぱり勇気が出ずに止めた。


 とりあえず、スプーンを洗っている先輩の後ろを通って居間に戻った私は、手紙は机の中にしまって、歯を磨きにもう一回洗面所に向かう。


 それが終わって台所に行くと、先輩はちょうどフライパンを洗っている所だった。


「先輩お疲れさまです」

「いやー、緊張したよー。ところでもう寝る感じ?」

「はい」

「じゃあ電気、豆球にした方良いよね」

「まあ、はい」


 居間との境目の枠からひょっこりと顔を出して、先輩はベッドに向かう私にそう言って来た。


 先輩へそう返すと、先輩は私がベッドで横になったのを見て、何回か電灯のスイッチをオンオフして豆球にした。


 流石にいつもより3時間は早いから、横になっても全然眠くはならなかった。


 だけど、寝ついてると思ってるらしい先輩は、ものすごく気を遣って洗ってるみたいで、乾燥カゴに皿を並べる音が小さく聞こえる。


「うわ、あぶ――」


 何か落としかけたのか、出しかけた大声を押さえ込んだ先輩は、1つ息を吐いた。


「冷たっ」


 その直後に、ピシャ、という音と先輩のびっくりした声がした。勢いよく水を出して、それがおたまかなんかで跳ねて、身体のどっかにかかったのかな。


 まあそんな細々とした事はあったけど、皿を割ったりする事はなくて、どうにかこうにか食器洗いが終わった。


 次は洗濯にとりかかるらしく、台所の電気を消した先輩は、洗面所の方の電気をけた。


 流石にそのくらいは大丈夫かな? と一安心していると、


「あっ、これ柔軟剤だ……。危ない危ない……」


 どうやら、ケアレスミスをしかかったらしい。


 なんかこう、余計に疲れてる様な気がしなくもないような……。


 頑張ってくれてるから言わないけど、正直なところ気が気でない。


 とか考えていると、お風呂場のドアが開く音がした。


 お風呂……、じゃないな。先輩もう入ってたし。


 洗濯機の中に、先輩の下着が入っていたのはさっき見た。ということは。


「先輩! お風呂掃除は明日私がやりますから!」

「ああそう?」


 慌てて阻止しに行くと、先輩はゴーグルとか手袋とかフル装備で、漂白剤のスプレーを持っていた。


 ドジって目にかかったり、みたいな事があったら洒落しゃれにならないからね……。


 胸をなで下ろしてベッドに戻ると、しばらくして先輩も居間に来て、自分の机のデスクライトを付けた。


 ちょっと向きが曲がってたらしく、先輩の方を向いていた私は多少眩まぶしさを感じた。


「あっごめん」

「ありがとうございます」


 それを察したらしい先輩は、すぐに向きを直してくれた。


 とりあえずは、私が心配するようなことは無さそうだし、もう寝よう。


 ごろり、と壁の方を向いて目を閉じた。


 遠くから聞こえる洗濯機の稼働音と、先輩のシャーペンがノートを滑る音が、私の耳にかすかに届く。


 勉強で疲れてるはずなのに、家事までやらせちゃって申し訳ない事をしちゃったな……。


 多分先輩は、自分が迷惑かけてるから気にしないで、って言うだろうけど。


 これから受験もあるんだし、余計な心配をかけさせないようにしなきゃ。


 私ぐらいは、近くにいて先輩を助けてあげないといけないから。


 福嶋ふくしま先輩から頼まれた、ってのはあるけど、先輩をプレッシャーから少しでも解放してあげたい、という気持ちもあるからそう思って――。


 そこまで考えたところで、私はある事に気がついた。


 ……え、もしかして、この先輩が可愛いとか、優しくしたいとか、守ってあげたいとか、心配だとかこういう感情が「好き」っていう、こと?


 福嶋先輩が言っていた「好き」は、一緒に居てあげたい、っていうのだったし、多分間違いないと思う。


 ――そっか、私、先輩の事好きなんだ……。


 ずっと感じていたモヤモヤしたものが、そう言ってしまえば完璧にに落ちる。


 いやいやいや、でも私だけが、ってのはないか。先輩ずっと私のこと好き好き言ってるし。


 ……それに、あんなことまでしたし、しかけた、し……。


 そのときの感触とか、匂いとか、なんかいろいろな物をバーッと思い出して、顔がすごい勢いで熱くなってきた。


 どうしよ……。明日の朝ちゃんと先輩の顔見られるかな……。


 下手にぎこちないことを言うと、また心配かけてしまうから、頑張らないとなぁ……。


 あと、あんまり心配要らないとは思うけど、先輩が浮かれてる、みたいな言い訳になってしまいたくないし。


 どのタイミングで先輩に伝えれば良いんだろう。普通に考えれば受験の後だろうけど。


 ちょっと浮かれた勢いでそこまで考えていたけど、その辺りを考えたらちょっと冷静になった。


 そんな事を考えながら、何となく静かに寝返りをうって先輩を見ると、


「……」


 なにか覇気が完全に抜け落ちたみたいな顔で携帯の画面を見ていた。


 だけど、すぐに電源ボタンを押して画面を消すと、先輩は机を置いて何ごともなかったかの様に勉強を再開した。


 どうしたのか、と聴くべきだったんだろうけど、私にはまだ「一線」を踏み越える勇気が無くて何も言えなかった。

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