第45話

「おはようございます、先輩」

「ふぁい……。おはよ……」


 まともに先輩を見られなかったらどうしようか、と思っていたけど、特に何か気まずいみたいなのはなくて、いつも通りの空気感のままだった。


 ……それにしても、あの表情って何だったんだろうか。


 先輩があそこまで酷い様子なのは心配なんだけど、やっぱり訊けないよなあ……。


 ベッドから、べちゃ、という感じで降りてこたつに入った先輩は、まだものすごく眠そうだった。


 こたつの上には、目玉焼きと斜めに半分に切ったウィンナーが乗った皿と、トマトのポタージュの入ったカップが向かい合わせにおいてある。


 あれから1ヶ月たったけど、特にそれ以上は何もなくて、先輩にとってどれ程のことだかいまいち判断材料がない。


「先輩、パン焼きますか?」

「こんがり目でー……」

「はいはい。バターですか?」

「うんー……」


 だから、私はいつもの調子でいつもの様に先輩へ接する。


「うー……。目玉焼きうまい……」

「先に食べてどうするんですか」

「お腹へったんだもん……。まあ素で食べられるし」

「あ、それはそうですね」


 箸で目玉焼きを後ろから押しながら、もひもひ食べる先輩を見つつ、手前側にあるトースターに食パンを2枚セットした。


 足の冷えが限界に近くなった私は、黄身を吸っている先輩の向かいに足を突っ込んだ。


「にゃッ! つべちゃっ!?」


 すると、だるーん、と中で足を伸ばしていたらしい先輩は、私のそれが触れると、ぽえっとしていた目をカッと開いて引っ込めた。


「あっ、すいません」

「いいよ。おかげで目が凄く覚めたから」


 すぐに謝ると、先輩はゆるい感じでそう言うと、にへっと苦笑いを浮かべる。


「3年生をしっかり送り出さないとだし、むしろちょうどいいぐらいだよ」


 と、続けた先輩の表情と言葉には、少しだけ、寂しさが混じっている様に見えた。


 今日は午前を潰しての卒業生送別会の日で、2日前から生徒会役員と実行委員の皆で諸々もろもろの準備をしていた。


「スピーチ、大丈夫ですか先輩」

「はうあっ!? そうだね、それがあった……」


 まだちょっとほわっとしていたけど、先輩は私が心配してそう訊くと、それも吹き飛んで焦りだした。


「いつも通りに、自分を信じれば大丈夫ですよ」


 あんまり露骨に、という訳には行かないから、焼けてぴょこんと跳ね上がったパンをとって、バターを塗りながら私は励ます。


「うん、がんばる……」


 ぬん、とすぐ抜けそうな気合いを入れた先輩に、私はきつね色に焼けたトーストを渡して、私は自分の分にジャムを乗せた。


「……」

「食べないんですか?」


 私が先輩より先にトーストにかじりつくと、先輩はじっと私の手元を見てきた。


「いやー、えっと……」


 もにょもにょ言いながら、先輩は目をキョロキョロさせている、


 あっ、これはアレだ。


「一口どうです」

「うん……。いる」


 やっぱり。


「仕方が無いですね。はい、どうぞ」


 ジャムが付いてる角をちぎって、あー、と開いている先輩の口にそれを入れた。


「……」


 ちょっと嬉しそうに、もくもく、と噛みながら、求めてるのはそうじゃなかった、という感じの目をしていた。


直接囓かじりたかったんですか?」

「うんまあ、うん……」

「思い切りは止めてくださいね」

「わ、分かった……」


 トーストを置いた皿を押して先輩に差し出すと、高い壺でも持つみたいにトーストを持って、真ん中の方をほんの少しかじった。


 ほわほわとした満足そうな笑みを浮かべて、先輩はトーストを皿に戻して返してきた。


 あー、これはあれだ。間接キス。


 これを食べると、私も先輩としたことになると思うと、なんかちょっとドキドキしてきた。


 ほほが暖かくなってるから、先輩に気付かれるかな、と思ったけど、なんか目をらしていたからバレなかった。


 ちなみに先輩は耳まで赤くしてるので、多分同じ事を考えてたんだろうな。


 やっぱり、先輩の「好き」は、ライクじゃなくてラブなんだよなぁ、多分。


 ……まあ、本当の所は分からないけど。


 もしそうでも、私にそれが向けられる資格があるのか分からないけど。


 福嶋ふくしま先輩には信用して貰って、託されてもいるけど、私を買いかぶり過ぎな気がする。


 ――未だに、机の中にある、あの手紙を読むことが出来ていないし。


 こんなんで、先輩の父親に立ち向かう事が出来るとは思えなかった。


 正直、福嶋先輩に任せてしまった方が、先輩にとってはいいのかも知れない。


 あの人は、ずっと先輩の事を好きで、ずっと考えて来たんだし、出会ってから一年も経ってない私より、そっちの方が……。


 とかなんとか、マイナスな方にモヤモヤ考えていると、


「いやあ、それにしても、楓さんが大丈夫って言ってくれると、なんか何でも出来るなーって気がするよ」


 先輩が、にへっと笑ってそう言ってきた。


 ……やっぱり、私がまもりたいんだよな。こういう無邪気な愛を向けてくる先輩を。


 そういう気持ちがあふれ出して、投げ出してしまいたい、なんて思えない。


「楓さん……?」

「ああ、はい。ありがとうございます」


 反応が遅れた私を見て先輩は、首を傾げて訊ねてきて、私はちょっと表情が緩みそうになりながら慌てて答えた。


「なんか悩み事?」

「あーいや、ミスせずにちゃんとできるかなあ、って思ってるぐらいですけど」


 自分の中で解決したので問題ないです、と言ってごまかした。


「なら良かった」


 先輩は疑う事無く、ホッとした様子でそう言って、ズズズ、とカップに残っていたスープを全部啜すすった。


 この辺、先輩はやっぱり鋭いよな……。


 そして、必要以上には踏み込まないで、私を信じてすっと引いてくれる。


 私も出来てる、とは福嶋先輩は言ってくれたけど、事情を知ってても近づかないようにしてるだけで、本当に出来ているわけじゃないんだけど。


「ところで楓さん、時間マズくない?」

「あっ」


 時計は8時を指していて、のんびりしてたら間に合わない時間だった。


「珍しいね。楓さんが忘れるなんて」

「気圧かなんかの関係ですかね」

「あーそういうのあるかもね。今日寒いし」


 そんな雑な会話をしながら、バタバタと用意を済ませて校舎の方へ向かう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る