第12話

「……ねえ、楓さん。あんまり、無理しちゃだめだよ」


 私の頭を片腕で抱き寄せている先輩が、唐突にそんなことをささやいてきた。


「……どうしたんですか、いきなり」


 私は顔を上げずに、先輩へそう訊く。


 もしかして、過呼吸の原因を探ろうとしているかな? と思ったけど、


「いやね? 私、楓さんに頼り切りだから、疲れさせちゃってるのかなあ、って思って」


 私が今、眠れない事を気にかけているらしかった。


「いえ。そんな事ありませんよ?」


 むしろ良い運動になってますから、と、私は先輩に伝える。先輩は安心した様に、良かった、と息を吐きつつ言った。


「申し訳ないと思うなら、少しは手伝って下さいよ」


 でも家事が面倒なのは面倒なので、やっぱり言葉だけじゃなく、何か行動でいたわって欲しい。


「わかった。おてつだい、がんばる」


 先輩はしばらく間を開けて、小学生でも言えるような事を棒読みで言った。


 ……うん。これは多分、やる気が無いな。


「具体的には何を?」

「か、楓さんを癒やすとか……」

「先輩。それ、ハムスターでも出来ます」


 先輩は案の定、自分が頑張らない方向での例を挙げてきた。


「はっ。じゃあ、私が楓さんのペットになれば……!」


「それだと倫理りんり的にアウトです。先輩」


 なに名案みたいに言ってるんですか……。


「……だめ?」

「ダメです」

「のあーん……」


 こんな気の抜けた会話をしている内に、私はやっと眠くなってきた。


「あの先輩。私、もう眠いので寝させて下さい」

「ふふ、良かった。おやすみ、楓さん」


 先輩はそう言うと、私の頭を抱いている方の手でそっと撫でてきた。


「はい、先輩……」


 その気持ちの良さのおかげで、すぐに微睡まどろんだ状態になった。


「……辛いことがあるなら、話したくなったら話してね。楓さん」

 完全に寝入る寸前の所で、先輩は私に優しくそうささやいてくる。


 ああ、そうか……。それが……、正解だったんだ……。


 そんな先輩の温もりに包まれて、私はとても気持ちのいい眠りへと落ちていった。



                    *




 それから2日間は何事も無く終わり、私と先輩は寮に帰ってきた。


「ふえー……。疲れたぁ……」


 帰って来るなり、先輩は私のベッドに寝転がって、いつも通りだらだらし出した。


「あのー、先輩」

「なにー?」

「一昨日、手伝い頑張るって言いましたよね?」

「言った言ったー」

「じゃあ、これ冷蔵庫にしまってください」


 帰り道にスーパーで買ってきた、1週間分の食材が入ったレジ袋を持ち上げて、私は先輩にそう言う。


「うー……。がってんしょうちー……」


 ものすごくけだるそうにそう言った先輩は、のそのそと台所の方へやってきた。

 私は冷蔵庫の前にレジ袋を置いて、そんな先輩の方を見ると、


「……先輩。ズボンをちゃんと穿いて下さい」


 パジャマのズボンを片足に引っかけて、パンツ丸出し状態の先輩がいた。


「穿かせてー」

「分かりました。……今度からは、自分でして下さいね」

「うんー。……あ、どもども」


 先輩にズボンを穿かせた私は、先輩を冷蔵庫の前に座らせて、バケツリレーみたいに収納していく。


「ところで楓さん。今日のご飯なに?」

「肉じゃがですよ」

「やったー」

「あ、食べたいなら手伝って下さい」

「ぬわーん……、マジかぁ……」


 先輩はどんよりとした顔でそう言って、手に持っていたちくわの袋を落っことした。



 

「よーし。頑張るよぉー……」


 やる気が全然なさそうな声でそう言うと、先輩は人参の皮むきを始めた。

 それでも、一度やろう、と決めたことは、絶対やり遂げようとする先輩は、真剣な顔でピーラーを使ってむき始める。


 だけど、手が震えていて動きもぎこちないから、見ているこっちがハラハラする。


 私が鍋に出汁だしをとって、ジャガイモの皮をむき終わる頃、先輩はやっと全部をむき終えた。


 次は、人参を半分に切る段階になったけど、


「おぉぉぉぉ……。動くぅぅぅぅ……」


 めちゃくちゃ手がぐらついていて、今にも怪我けがをしそうだった。


「……先輩は、糸こんにゃくとインゲン豆を洗って下さい」


 心配で見てられないので、私は先輩に安全な事を任せることにした。


「ごめんね、楓さん……」


 ものすごく申し訳なさそうにそう言った先輩は、流しの前に移動して洗い始めた。


 だけど先輩は、

「ああっ、糸こんにゃく流れちゃう!」

「……」

「ひょえー! 楓さん虫いる! わぁーっ!」


 ザルすらひっくり返しそうになる有様で、申し訳ないけど、先輩が手伝う方がかえって邪魔になった。


「……先輩、私一人で大丈夫なので、あっちで待ってて下さい」

「うう……。本当にごめんね楓さん……」


 何度も平謝りした先輩は、すごすごと居間へと歩いて行った。


 本当に先輩の所へ嫁入りしないと、あの人やってけないんじゃないかな?


 なんてね。


 私は肩をすくめて、ジャガイモを電子レンジにかけた。

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