第11話

 最近入ったらしい、若い仲居さん2人に肩を借りて、私は従業員の休憩室に運んでもらった。


「落ち着いた?」


 私が過呼吸を起こした、と聞いて駆けつけた母のおかげで、なんとかそれは治まった。

 その後、私は部屋の角っこに敷かれた布団の上で、40分ぐらい横になっていた。


「はい……」


 母と一緒に先輩も、ずっと私の傍にいてくれていた。

 過呼吸が治まったタイミングで、母は先輩に後を任せて仕事に戻った。


「先輩……。水、下さい……」

「分かった。ちょっと待ってね」


 先輩はうなずいてそう言うと、廊下にいる仲居さんに水を持ってくるように頼んだ。

 すぐに、さっきの仲居さん達の背が低い方の人が、500mlのペットボトルの水を持ってきた。


「迷惑かけてすいません、先輩……」


 身体を起こして、その4分の1位を飲んだ私は、1つ息を吐いてまた布団に寝転がる。


「気にしないで。楓さん」


 先輩はそう言って安心した様子で微笑むと、私の手をそっと取ってさすってくれた。



 ややあって。



 身体もまともに動かせるようになって、布団を畳み終えたところで、私はふと時計に目を向ける。


 もうこんな時間、か……。


 家族風呂を予約していた時間が、思い切り過ぎていた。


 その事を先輩に伝えて謝ると、


「あー、いいよいいよ。それ位で謝らなくても」


 頑張って普通のに入るから、と先輩は乾いた笑い混じりに言う。


 ごまかしてるつもりだろうけど、どう見ても気を遣ってくれている、というのがバレバレだった。


 それは、私の事を大事に思ってくれている、っていう証拠でもあるので、嫌な気持ちはしなかったけど。


「離れのお風呂で良ければ、貸し切りで使えますよ。先輩」


 見た目とかはいくらか落ちるけど、先輩にとってはその方が良いかと思って、私はそう提案した。


「うーん。出来れば、その方が良いんだけど……」


 それを聞いた先輩は、従業員さん達への迷惑にならないか、と訊いてきた。


 だけど私が、多分、大丈夫だと思いますよ、と先輩に答えると、


「じゃあお願いするねー」


 文字が見えそうな程、とても嬉しそうな顔をしてそう言った。




「案外広いねー」

「従業員さん用ですからね」


 先輩は肩までお湯に浸かって、ものすごくにこやかに顔を洗う。


 ダブルベッドぐらいの広さがあるバスタブなのに、先輩と私は隅っこでくっついていた。ちなみにこのお湯は、一応、お客さん用の温泉と同じものだ。


「にしても、楓さんから一緒に入ろう、って言うだなんて珍しいね」


 言われてみれば、先輩の方から、っていうのはよくあるけど、その逆は1回ぐらいしか無かった気がする。


「そうですねー」


 その一言だけ話して、何も言わずにいると、


「……?」


 先輩は何か身構えた様な感じで、私の顔を不思議そうに見てくる。


「何ですか? 先輩」

「いやね? いつもだったら、じゃあ先に上がる、とか言うからなーって思って」

「じゃあそうし――」

「しなくて良い! しなくて良いから!」


 私が立ち上がろうとしたら、先輩に抱きついて引き留められた。


 それから、私と先輩は背中の流し合いとかをして、お風呂から上がった。

 その後、牛乳を飲んだりアイスを食べたり、とりとめの無い話をしたりして、2人でうだうだしていた。


 なんだかんだしている内に12時が近くなって、そろそろ寝ることになった。


「んじゃ、お休みー。楓さん」

「……いや先輩、なんでこっちに来るんですか?」


 先輩にはベッドで寝て貰って、私は布団で寝るつもりだったけど、先輩は私の布団に入ってきて添い寝しようとしてきた。


「だって、楓さんと一緒に寝たいんだもん」


 先輩は上目遣いで私を見て、甘えた声でそう言ってくる。


「あー、はいはい。分かりました……」


 いくら言っても聞かないだろうし、ベッドがあるのに布団で2人一緒、っていうのもバカらしいから、私は布団を畳んでベッドに移動した。


「うへへ……。楓さんのそういう所大好きー」

「……早く寝て下さい」


 満面の笑みでそう言ってくる先輩に、私は背を向けてそう言って、枕元のリモコンで電気を消した。


「ぬわー。何も真っ暗にしなくてもー」


 寝顔見られないじゃーん、とかぼやく先輩を無視していると、30分ぐらいしたら静かになった。


 私も寝よう、と目を閉じたけれど、


 ……。寝られない……。


 いつもならすぐ寝入られるのに、今日は妙に目が冴えて眠れなかった。


 久しぶりだな……。こういう夜は……。


 遠くから聞こえる波の音のせいか、しばらく外にも出られなくなって、ずっとこの部屋に籠もっていたときの事を思い出した。


 その頃は、ストレス性の不眠症になっていて、眠るのに睡眠薬が必要な程だった。


 とりあえず、その内眠くなるだろうと思って目を閉じていると、寝ぼけているらしい先輩が、私の身体を包むように抱きしめてきた。


「んふ……。楓さん……」

「なんですか?」


 寝言で私の名前を呼んできたので、なんとなく返事を返したら、


「ほえっ!? 起きてたの!?」


 先輩は起きていたらしく、身体をビクッとさせて手を放して、驚いた様にそう言ってきた。


「あ、はい。何だか眠れなくて」


 寝返りをうって先輩の方を見る。心配そうな先輩の顔が、月明かりでぼんやりと照らされていた。


「そうなの」


 楓さんにしては珍しいね、と言った先輩が、身体をもぞもぞ動かして私にくっついてくる。


 ……ん?


「あの、先輩」

「んー?」

「何でそれ、知ってるんですか?」

「あっ」


 ジト目で先輩を見て私がそう訊くと、先輩は口を押さえて目をそらす。


 先輩は私より、もっと早く寝ていると思っていたけど、実は、私が寝るまで起きてたらしい。


 その事を確認してみると、


「はい……。その通りです……」


 だって楓さんの寝顔が可愛くて……、と、先輩は苦笑いしながらあっさり認めた。


「……まあ、別に良いんですけど」


 面と向かってそう言われると、何だか照れる……。


 私は掛け布団を顔まで被って、少し火照るような感じがする顔を隠した。

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