第3話
ここの寮生は夜間外出が禁止で、食事は一階の食堂で食べるか、部屋にあるキッチンで自炊かの二択しかない。
ろくに自炊ができない先輩は、私が来るまでは食堂で食べていたらしい。
でも、素が出ないように気を張っていたせいで、味がろくに分からなかった、と本人から聞いた。
「ねえ楓さん、今日は何を作ってくれるのー?」
エプロンを着けてキッチンに立つ私を、床を転がってやって来た先輩が見に来る。
「だから服を着てください」
彼女がまだ下着姿だったのを見かねて、その体操服を持ってきて着せ、すごくきれいな長い黒髪をゴムで一つに結わえた。
茶色っぽくて癖の強い私の髪は、先輩みたいに伸ばすとモジャモジャになってしまう。
だから、髪型をセミロングにしか出来ないのが、昔からのちょっとした悩みだったりする。
「どうもどうもー」
それで、今日のメニューはなあに? と、ぺたんと座る先輩は、目を輝かせて見上げてくる。
「カレーですよ」
「うわーい! カレー!」
17にもなってカレーに喜ぶ無邪気な先輩は、いそいそと部屋の真ん中にある、ちゃぶ台の所の座布団に座った。
本当にこの人は、私の前では小さい子みたいだなあ……。
入れ替わりで転校した生徒の代わりに、私は先輩の指名で生徒会書記に就任した。
活動している時の様子は、双子の姉がやっているんじゃないか、と思うほど大人びているように見えた。
だけどプライベートになった途端、その面影は完全に消し飛ぶ。
「ねえねえねえ、後どのくらいで出来る?」
キッチンに戻った私に向かって、先輩が騒がしく訊ねてきた。
「ねえねえー、楓さーん」
彼女は大好物のカレーだと聞くと、いつもこんな具合になる。
「材料のままでいいなら、今すぐ出せますけど」
「うるさくしてごめんなさい」
そのままのタマネギをもって来ると、先輩は何度も頭を下げた。
「謝らなくていいので、待っててください」
「はーい」
素直に返事をした先輩は、それ以降は静かになった。
再びキッチンに戻った私が、タマネギを繊維に沿ってカットしていると、
「……なにか?」
先輩がこっちを見ている気配を感じたので、手元から目を離さずにそう訊いた。
「んー、やっぱり楓さんは、いいお嫁さんになれそうだなって」
にこりと笑っている先輩の、私を褒める甘ったるい声を聴くと、何故かむずがゆいような感じがした。
「先輩はお世辞が上手いですね」
みじん切りをしたタマネギをボウルに移して、皮を剥いておいたジャガイモを適当な大きさにカットする。
「ううん、本心だよー?」
だって私が欲しいもん、と、先輩は恥ずかしげもなくそんなことを言う。
「……冗談はその辺にして、テーブル拭いてください」
すぐ隣でそんなことを言われて、私は何故かちょっとドキッとした。
やや深い皿に切ったそれとニンジンを入れ、ラップをかけてシンクの向かいにある電子レンジに入れた。
「本気なのにー」
若干すねたような声でそう言った先輩は、レンジの横の棚から台ふきと除菌スプレーを持って行った。
加熱し終わるまでの間で、IHヒーター上の鍋に豚こまを入れ、ヒーターの電源をつけた。しばらくして肉がジュワジュワ言い出した頃に、レンジのブザーが鳴った。
ある程度炒めたら肉を取り出し、次にタマネギを少し色がつくまで炒める。次に肉とほかの野菜も投入した後、水とカレールーを入れて煮込む段階に入った。
「うーん、いい匂い……」
スパイスのなんともいえない良い香りにつられて、先輩がまたふらふらとやってきた。
「もうちょっと待っててくださいね」
「はいはーい」
お玉で鍋の中をかき混ぜる私に、彼女が後ろから抱きついてくる。
「先輩、危ないのでやめてもらえませんか?」
彼女の吐息が、首筋に当たる感覚がこそばゆい。
「ごめんね、つい」
先輩は後頭部を一掻きしてそう言い、部屋の方へ戻っていった。
ニンジンに十分火が通ったのを確認して、ヒーターの電源を切る。
「出来ましたよ」
カレーを福神漬けと一緒に盛り付け、ちゃぶ台の上へと持って行った。
「やったー」
諸手を挙げて喜ぶ先輩にスプーンを渡して、私はそのはす向かいに座った。
「いただきます」
先輩も合掌したけれど、一口食べた私を見ているだけで、カレーに手をつける様子がない。
「どうしたんですか先輩」
一応、甘口と中辛を混ぜたから、そこまで辛くないはずなんだけど。
「んー、楓さんに――」
「自分で食べてください」
「ぬあー」
言い切る前にバッサリ切り捨てると、先輩の表情が「ショボーン」の顔文字みたいになった。
「そんな顔してもだめです」
「やぁー、食べさせてー」
彼女はブーブー文句を言って、あーんしてよー、と駄々をこね始めた。
しばらく無視してもやめないので、
「分かりました、一口だけですよ?」
面倒くさくなったので要求通りにしてあげると、先輩の機嫌が一気に回復した。
「おいしー」
市販のカレーなのに、彼女はものすごく幸せそうに
なんか今日は、先輩がやけにわがままな気が……。
二口目からは彼女は自分で食べ始めたけれど、夢中で気がつかないのか口の周りがルーで茶色くなっていた。
「付いてますよ」
ティッシュを二枚とって、それをぬぐってあげると、
「んー、ありがとう」
ホクホク顔の彼女の目から、何故か涙がこぼれ落ちた。
「そんなに嬉しかったんですか?」
今まで見せた事のないリアクションに、私は少しだけ面食った。
「あんまりやって貰った事なかったからね」
それはすぐに止まって、いつものように朗らかな笑みを浮かべる。
「先輩」
自分のスプーンで先輩のカレーを掬って、その口元まで持って行く。
「あれ、一口だけじゃなかったの?」
彼女がからかうような口ぶりで言ってきたので、
「嫌なら無理強いしませんよ」
意趣返しにそう言って、私は自分の口に運ぼうとした。
「わー! 嫌じゃないです! お願いします!」
その前に、先輩はわたわたしながらそう言って懇願する。
「なら素直にそう言ってください」
いわゆる「はい、あーん」をしてあげると、先輩はこれ以上になく幸せそうにしていた。
「私、楓さんのそういう所すきよー」
先輩の甘い声を聞き続けると、脳みそが溶けるんじゃないか、と、ちょっと真剣に考えそうになった。
「そうですか」
いつものように発言をさらっと流し、またカレーをその口に運んだ。
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