第12話 チーズと誕生日

 本日の我が家はなかなかににぎやかだ。

 律ちゃんと蒼さん、弟の空君、川名君が1ℓパックの牛乳を一人一本ずつ持ってやってきたから。

 何事かと思えば「先生、チーズ作りたい!」だって。

 いいでしょう、それにしても一人1ℓずつとは随分な量ですね。くすくす。


 早速カセットコンロと鍋を四つずつ準備。

「川名君、カセットコンロを縁側に並べてください。空君は鍋を運んで。蒼さんは雑巾の準備を。律ちゃんはしゃもじと食塩とレモンエキスを持って行ってください。このトレイを使って。蒼さん、雑巾の準備が済んだらビーカーを取りに来てください」

 次々指示を出すと、みんな元気良く返事をしてどんどん準備が進む。学校で「やらされる」授業だとこうはいかない。

 せっかくなので僕も一緒にチーズを作ろう。今夜は久々にワインかな?


「まずは鍋に牛乳を入れてください。そこに食塩を一つまみ入れて」

 それぞれが牛乳を入れ、空いたパックを律ちゃんが集めて回る。

「カセットコンロに火をつけます。これは自動点火しませんよ。自分でマッチを擦ってください。誰かお手本を見せてくれる人はいませんか」

「俺やってみる」

 川名君、張り切って火をつけます。みんな目が真剣。

 最近は「中学に入って一年生の理科の実験でアルコールランプに火をつける時、生まれて初めてマッチを擦った」なんていう子も少なくない。

 今日はガスを出して、マッチで火をつける、初めての体験だろう。

 蒼さんが川名君の傍で燃焼皿を持って待機。我が家には灰皿が無いのだ。

 上手く火がついて拍手喝采。川名君、株を上げましたね。

「川名君、鍋を火にかけてください。みんなも自分のカセットコンロに火をつけて」

 みんな次々に協力しながらカセットコンロに火をつけ、鍋をかけていく。

「牛乳の表面に小さな泡が出てきたら、火を止めてレモン汁を入れますよ」

「先生、どれくらい入れたらいいんですか?」

「いい質問ですね。この小さいビーカーに60㏄ずつレモン汁を準備してください」

 わいわいと自分のビーカーにレモン汁を測り入れていく。実に楽しそうだ。

「先生、泡が出てきた! 火、止めます」

「僕のも。レモン汁入れます」

「レモン汁を入れたらざっくりと一混ぜして、あとはもう触っちゃダメですよ」

 みんなの鍋がそこまで来たところで一休み。

 その間に律ちゃんが牛乳パックを洗って、蒼さんがパックを開き、空君が運んで、川名君が軒下に干している。教えた訳でもないのに素晴らしい連係プレイ。


「先生、だいぶ分離してきましたー」

「ではザルにキッチンペーパーを敷いてしますよ。見ててください」

 お手本を見せると歓声が上がる。次々とザルで濾し、自分だけのチーズが完成。

「もう少し水切りしたら持ち帰れるように保存容器に入れましょうか」

 と、そこへお客さん。

「ごめんください。葉月先生、いらっしゃいますか?」

「あ、ひなたちゃんの声だ」

 え? 陽向先生?

 みんな我先にと玄関へと迎えに行く。僕が行く間もなく「ひなたちゃんいらっしゃいませー」の大合唱。

「陽向先生どうなさったんですか?」

「あっ、あの、偶々近くを通ったものだから、ちょっと、その」

「今みんなでチーズを作っていたんです、陽向先生もどうぞ」

 と上がって貰ったのはいいけれど、みんなそそくさと保存容器にチーズを入れ、大急ぎで後片付けをして「ありがとうございましたー!」と逃げるように帰ってしまった。


 縁側に腰かけて庭を見ながら、陽向先生が何故かシュンとしている。

「みんな急いで帰らなくてもいいのに。私、嫌われてるのかしら」

「彼らなりに気を遣ったつもりなんですよ」

 僕が紅茶を持って行くと、彼女はボソリと呟いたんだ。

「ジャスミン、どこですか」

 ああ、そうか。ジャスミンを見に来たんだ。

「そこの凌霄花のうぜんかずら、見えますか?」

 僕が彼女の隣に腰かけて指をさすと、みるみる向日葵ひまわりのような笑顔になっていく。

「わぁ、素敵。ほんとに仲良く咲いてるんですね」

「そう言えば、陽向先生の名前、ジャスミンからついたんですよね。誕生日、そろそろなんですか?」

 突然、陽向先生がモジモジと俯いた。どうしたんだ?

「実は、今日なんです。それで、どうしても葉月先生のジャスミンが見たくて」

 あれ? さっき「偶々近くを通った」って言わなかったかな?

「そうでしたか。前以って知っていれば何かプレゼントできたんですが」

「いえ、そんなプレゼントなんて、ジャスミンを見せていただいただけで十分ですから!」

 あ、待てよ? いいものがある。

「陽向先生、ちょっと待っててください」

 僕は大急ぎで部屋に取りに行ったんだ。この前のアレを。

「あの、これ。先日僕がタンポポで染めたんです。この優しい色合いが陽向先生に似合いそうだなと思って。良かったら使ってください」

 そう、この前のストール。

 乾いたら柔らかいミルクティベージュに染まって、彼女の車の色になったんだ。

「ええっ、葉月先生が染めたんですか。いただいていいんですか。嬉しい!」

 僕がストールを巻いてあげると、彼女は頬を赤らめて恥ずかしそうにしている。

 本当によく似合っていて、彼女の為に作ったんじゃないかとさえ思えてしまう。

「ストールも僕が使うより陽向先生に使われる方が幸せでしょう」

「こんなに素敵なプレゼント初めてです。ありがとうございます。大事にしますね」

 僕は単純だから、こんなに喜ばれると嬉しくなってしまうのだ。

「そうだ、せっかくチーズを作ったんです、まだ夕方ですけどワインで乾杯しませんか?」

「え? ワインですか?」

「ええ、お誕生日ですし。ケーキが無くて申し訳ないんですが」


 **


 ワインで乾杯して、たくさんの話をして、大いに盛り上がって……そして、とんでもない事に気づいた。

 

「すみません、僕が普段車に乗らないものですから、そこまで気が回らなくて」

「いえ、私だって自分で車に乗ってきたのに、なんで思い出さなかったのかしら」

 うーん、どうしよう。まさか泊まって行けとも言えないし。

「あの、陽向先生のお宅はここから遠いんですか?」

「歩いたら20分くらいかしら。お散歩しながら帰るのもいいわね」

「じゃあ、僕がお宅まで送りますから。一緒に散歩しましょう」

 という事で、二人並んで夜道を歩くことに。

「春の大三角が見えますね」

「はい?」

「ほら、あそこ。東の方にあるのが牛飼座のアルクトゥルス、青いのが乙女座のスピカ、もう一つは獅子座のレグルス。正三角形になっているでしょう?」

 そうしたら陽向先生が面白い事を言ったんだ。

「理科の先生は大三角って言うんですね」

「国語の先生はなんと言うんですか?」

「『春の夫婦星めおとぼし』って言うの」

「夫婦星?」

「アルクトゥルスは和名で『麦星』、スピカは和名で『真珠星』って言うんです。麦星が男性、真珠星が女性、二つの星は夫婦なんです。ロマンティックでしょう?」

「和名があるなんて知りませんでした。確かに真珠の色ですね」

 この人はびっくりするようなことをたくさん知っている。

「でも随分離れていて可哀想だわ。もっと近くならいいのに」

「アルクトゥルスはスピカの方に向かって移動しているんですよ。秒速125㎞の猛スピードで突っ走ってるんです。愛しい奥さんに会いたいんでしょうか」

「えっ、そうなの? それもロマンティックですね。二人はいつになったら会えるのかしら」

「計算では6万年後です」

「遠いのね……。私なんて歩いたって20分で着くのに」

「どこにですか?」

「あ、その、ええと……」

 ん? 陽向先生、オドオドしてどうしたんだ?

「6万年過ぎたらまた離れていくんですよ、夫婦星」

「えーっ、そんなぁ」

「星じゃなくて良かった。僕ならずっと一緒にいますよ」

「えっ、誰と?」

「特に誰というわけでは……」

 けれども、僕は心の中でちょっと思ったことがあるんだ。

 この人とずっと一緒にいたら楽しいだろうなって。いろいろな知識を持っていて、僕の知らない世界へ誘ってくれる。

「誰というわけではないんですが、陽向先生と話しているときはとても楽しいんです。本当に」


 それから僕らは黙って歩いたんだけれど、それが気まずい沈黙ではなくて、寧ろ快い無言で、お互いの存在を確かに隣に感じながら、ただ、ブラブラと歩いたんだ。

 人体模型君が見ていたらなんて言うだろうか。くすくす。

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