第6話 初詣

 今日はなんだか久しぶりに人混みの中を歩いて、人に酔ってしまった。今考えると、こんなことでよく東京に住んでいたものだとつくづく思う。


 大晦日の晩、学校の近くの神社に二年詣りに行って、陽向先生に遭遇したんだ。

 少しお話して「初詣に一緒に行こう」と言う話になってしまった。どういう成り行きでそうなったのか、今となっては謎だけれど。

 彼女が和装で行くと言っていたので、それならばと僕も和服で出かけることにしたんだ。僕は体格が貧弱だからイマイチ似合わないんだけれども……。

 浴衣や袴と一緒に桐箪笥に仕舞ってあった着物を引っ張り出してきて、昨夜から衣紋掛にかけて風を通しておいたんだけれど、まだちょっと樟脳臭いかな?


 **


 さて、行ったはいいけれど……見渡す限り人、人、人。

 眩暈がしそうな僕の袖を引っ張って、陽向先生の楽しそうな事。

「なんだかお揃いみたいですね」

 そう、偶々似たような色の着物だったんだ。僕は葡萄色えびいろの着物に牡丹鼠ぼたんねずの羽織。鉄御納戸色てつおなんどいろのマフラー。

 ……そして、陽向先生は。


 正直に言ってしまうと、僕は今日の陽向先生にとても驚いたんだ。

 いつも何も無い平らな廊下で自分の脚に蹴躓いて転んではプリントをばら撒いている陽向先生とは思えないほど……綺麗だった。

 あかね色から臙脂えんじ色のグラデーションに黒が入った豪華な総絞りの正絹振袖。

 流れるようにたくさんの花々を散りばめた意匠に目を見張ったのは言うまでもないけれど、その華やかな着物が霞んでしまうほど艶やかな笑顔を彼女は見せていた。

 普段下ろしている髪をキュッと高く結い上げて花の髪飾りを付け、少し恥じらいながらこちらを上目遣いに見る陽向先生は、他の先生たちには見せたくないと思ってしまうほど僕を動揺させた。

 なんだかなぁ、もう、この先生は毎回違う意味で僕の心拍数を上昇させる。


 **


 しかし、歩き始めてみるとやっぱりいつもの陽向先生だ。隣で話していた筈なのに、いつの間にか少し離れたところから「葉月先生~」と情けない声が聞こえてくる。その度に「はいはい」と迎えに行かなければならない。

「陽向先生、人混みに慣れていないんですか?」

「そういう訳じゃないんですけど、なんだか流されちゃって」

 って話してる先から流されていくんだ。有言実行。

「どこ行くんですか」

「ですから流されてるんです。何でこうなっちゃうのかしら?」

 仕方がないから清水の舞台から飛び降りたつもりで陽向先生の手を取ったんだ。

「葉月先生?」って驚いていたけれど、あなたがどこかへ行ってしまうからじゃないですか。

 けれど、手を繋いでいても流されていくんだ。このままでは夕方になっても拝殿に辿り着けない。ああ、もう、仕方ないか。

「すみません、ちょっと失礼」

 同僚にこれは流石に気が引けたんだけれど、僕は彼女の肩をぎゅっと抱き寄せて、あちこち行かないように僕の懐に入れたんだ。もう、死ぬほど恥ずかしいじゃないか。

 けれど陽向先生はもっと焦ったようで「ひゃっ! あのっ、葉月先生っ?」なんて一オクターヴ声が跳ね上がって、手に持っていた竹籠付きの巾着をぎゅっと胸元に抱えたのが、僕の目には可愛く映ってしまった。


 そこからはあっという間に拝殿に着いてしまった。あっさり参拝できて「今までの苦労は何だったのかしら」なんて彼女は笑っていたけれど……あなたが流されていたんですよ、陽向先生?

 案の定帰りも思い切り流されている陽向先生を再び懐に仕舞い込んで、やっとこさっとこ参道を出ると、僕から離れた彼女が解放感を味わうようにこう言ったんだ。

「はぁ~疲れた、お腹減っちゃったわ」

 くすくす……僕もそう思っていたところです。


「お善哉、食べませんか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る