第4話 進路

 学校では早くも進路指導が始まっている。

 三年の担任になるとこの進路指導が必ずついて来るのだけれど、一人一人の将来を決める第一段階でもあるから、とても神経を使う。

 夏休みが終わっていきなり進路の希望を提出するように言っても、それまで何も考えていなかった生徒たちはそこから慌てて調べ始めるので、どうしてもスタートが遅れてしまう。そのため、学校では自覚を持たせるように、春から進路の話を少しずつ始めることになっている。


 先日その第一段階として、十年後の自分を三年B組のみんなに具体的に書いて貰った。

 夢のようなものから現実的なものまでさまざま。

 パティシエとしてケーキ屋さんで修行中、JAXAに入るため大学で猛勉強、結婚して家庭に入ってお母さんになっている、東京でキャリアウーマン、自動車整備工場で油まみれになって働いている、図書館で司書の仕事に就いている、医者になってこのクラスのみんなの病気を治してる……。

 困るのは「東京でキャリアウーマン」のような回答。

 見た目の華やかさやカッコよさに憧れているだけで、何の仕事がしたいのか見えてこない。

 こういった抽象的な希望を具体的なものに落とし込む作業からスタート。


 かくいう僕も抽象的な回答をした一人だ。だからこそ彼らの気持ちもよくわかる。

 先生になる人は優等生じゃない方がいいな、生徒の気持ちに寄り添えるから。これは僕の言い訳。くすくす。


 **


 中三になって、担任の先生に夢を聞かれた時、僕は「科学者になる」と答えたんだ。

 先生はとても驚いていた。それはそうだろう、普段口数の少ない『葉月君』が、凄まじい勢いで科学の素晴らしさを熱く語って聞かせたんだから。

 先生は途中で口を挟むことなく、僕の話を最後までしっかり聞いてくれたんだ。僕はとても満たされた気持ちで「だから科学者になりたいんです」と結んだ。

 けれども直後の先生の一言に、僕は頭をぶん殴られたくらいの衝撃を受けたんだ。

「科学者になって、何をしたいんだい?」

 僕の頭は真っ白になった。何をしたいんだ? 僕は科学を通してどこにどんな貢献ができるんだ? どんな形で社会に関わりたいんだ?


 それから先生にはたくさん相談に乗って貰った。先生の話は僕の科学への興味を促進するようなものだった。

「宇宙開発をしたいのか、新しい原子を作り出したいのか、気象予報士になりたいのか、新素材を開発したいのか、薬やワクチンの研究がしたいのか、地震予知に力を注ぎたいのか、生物分布や進化について研究したいのか……目的によって勉強のメインとなる事柄が変わるだろう? 科学はとても広い分野なんだよ」

 僕は眩暈がした。

 どれもこれも全部魅力的過ぎて、どれかを選ぶことなんてできない!

 動揺し過ぎて軽くパニックになっている僕に、先生は衝撃的な一言を投げかけたんだ。


「理科の先生というのはどうだい?」


 それまで滅茶苦茶な方向を向いていたたくさんの磁石が、電気を流した瞬間一斉に同じ向きを指すかのように、カオス状態だった僕の頭の中は一発で整理されてしまった。

 理科の先生!

 大好きな科学をいくらでも楽しめる。そしてその喜びを生徒たちと分かち合える。知識の共有以上に楽しい事があるだろうか。


 **


 今、僕は最高に幸せな時間を毎日過ごしている。

 あの時の先生のおかげだ。

 僕はあの先生ほど気の利いたことは言えない。

 だから、ただ、話を聞いてあげることしかできない。

 生徒たちは自分の想いを言語化することで、自分の中で整理されていくはずだ。

 だから僕はただ、話を聞く。それだけでいいと思うんだ。


 今日も相談者が来ている。どんな想いを語ってくれるんだろうか。

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