第2話 僕の名前
彼女と別れた。ちゃんと別れ直した。
僕には勿体ないような、何でもできる才色兼備だった。
彼女は東京でこそ輝ける人だったから、それを僕が潰してしまうのは嫌だった。
それに……何か釣り合っていない気がした。
彼女も僕も、お互いに合わせてる。それで気持ちが安らぐのならいいけれど、お互いを尊敬するあまり、二人して必死に相手に追いつこうとして、背伸びして、自己嫌悪に陥って、どんどん自信喪失していく。生きる世界が違うのだから比較する方がおかしいのに、判っていてもそれを辞めることができないんだ。
あの人には僕なんかよりもっと相応しい人が居る。いつか結婚式の招待状が送られてくるといいけれど。
娘を嫁に出す親はどんな気持ちなんだろう?
もし、彼女が僕を追ってここに来たらご両親はどう思うのだろう?
毎日草や虫や雲をのんびり眺めているだけの男に娘を嫁がせたい親がいるだろうか、そう思うと、やっぱり僕は自分の存在価値に疑問を持ってしまう。
**
僕の名前は
子供の頃は『葉月
「何でもいい、一つの事でいいから
授業参観には必ず母が来た。
一張羅のワンピースなんか着ている友達のお母さんたちに混じって、一人だけ髪も瞳も肌の色も違う背の高い母が、キリリと和服を着こなして、涼しげな顔で背筋を伸ばして立っていた。その姿がアガパンサスのようで、僕は子供心に母を誇りに思ったものだ。
母は当然日本語なんかペラペラだったけれど、誰にも声をかけられることは無かった。フランス人というだけで他のお母さんたちに敬遠されていた。
それは僕も一緒。
瞳の色が違うから、髪の色が違うから、そんなことでよくいじめられた。
けれど、僕はあの後ろの方で他のお母さんたちに混じって堂々と和服を着て立っていた母の姿を思い出しては、つまらない事に思い悩むよりも視線を前に向けようと思ったものだ。
あの頃があったから今の自分がある。
母は僕のお手本となってくれた。僕は生徒たちのお手本となっているだろうか。
**
今日も白衣の袖に手を通す。これを着ると『葉月先生』になるんだ。
もう何年『クロード』と呼ばれていないだろう。
……と、そんなことを考えながら1時間目の準備をしていると、ふと横から元気な声がかかった。
「クロード先生、おはようございます」
「!」
陽向先生?
「偶にはファーストネームで呼ぶのもいいものですね」
この人は本当に天然なんだろうか? 人の心が読めるのかもしれないな。
そんな僕の心の声が聞こえないかのように、さらにもう一声。
「私、『まつり』って名前なんです」
「はぁ、そうですか」
「クロード先生、おはようございます!」
「はい、おはよ……あ、そういう事ですか。まつり先生、おはようございます」
「気分が変わっていいでしょう? これが言葉の力です」
陽向先生、台風のように喋って行ってしまった。
だけど、なんだろう、妙に元気になってしまった。
本当に不思議な人だなぁ……。
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