第7話 修学旅行
今日は生徒たちのビッグイベント、修学旅行。
例年通りの奈良と京都、この学校に赴任してからは三年生は初めてなので、やや緊張する。
京都は母の影響で幼いころから何度も行っているからほとんど庭のようなものだけれど、引率となると気が抜けない。
とは言っても、この学校の生徒はみんなきちんと自己管理ができているし、そもそもの人数も少ないからさほど心配は要らないとは思うけれど。
遅刻者も無く予定通りに出発。電車の乗り継ぎもスムーズで、全く何の問題も無く奈良に到着。春日大社と東大寺を回って鹿と遊ぶ。
我がB組は隣のA組とワンセットでの行動。A組の陽向先生と時刻を確認しながらも、その中で生徒達には割と自由に行動させている。与えられるだけの教育は何も残らない、自分の知りたいことを自ら探してこそ、自分の知識となる。僕はそこを大切にしたいし、それに関しては陽向先生とも価値観が一致した。
……そのため少々の事件は目を瞑る。
東大寺の大仏殿にある「大仏さんの鼻の穴と同じサイズ」の柱の穴を通り抜けようと挑戦した男子が抜けなくなったり、鹿せんべいも無いのに鹿に囲まれて泣き出した女子が「鹿フェロモン」「鹿マスター」なんてあだ名をつけられていたり、まあ挙げ出したらきりが無いのだけれど。くすくす。
しかし、一番の事件は夜になってホテルで起こった。
まさかまさか、あの川名君が熱を出したのだ。
みんなに『知恵熱』などと冷やかされ、本人も「飯食ったら治る」とは言っていたけれど、担任の陽向先生は大パニック。血相を変えてオタオタと「ちょっと冷却シート買ってきます」と僕に告げ、近くのコンビニに行ったきり一時間経っても帰って来ない。
当の川名君は、宣言通り夕食をペロリと平らげてあっさり熱が下がり、「俺ちょっとランニングがてら陽向ちゃん探して来ようか?」などと言い出す始末。
仕方なくA組とB組はスケジュール通り入浴するようにクラス委員に任せ、僕は陽向先生を迎えに行くことになった。
「葉月先生まで迷子になるんじゃないの?」と言う生徒たちに「京都は僕の庭です」と言い残し、ホテルを出たわけだけれど。
陽向先生に電話してみると情けない声が。
「今どちらです?」
「わからないの。川があるんですけど」
「橋は渡りましたか?」
「いいえ、渡ってません」
「わかりました。そこにいてください。動かないで」
簡単だ。
鴨川沿いに歩けば必ず会える。
歩くこと僅か五分、いたいた、陽向先生。
「葉月先生!」
泣きそうになりながら駆け寄って来る陽向先生、本当に心細かったんだろうな。
「大丈夫ですから」
「もう、帰れなくなっちゃうかと……良かった、葉月先生が来てくれて」
ふと見ると、手にしっかりとコンビニの袋が。
「それ……」
「あ、冷却シートです」
「川名君、すっかり元気になりましたよ」
「えええ~」
陽向先生、へにゃへにゃとしゃがみこんでしまった。
「でも良かったわ、大したことがなくて」
「戻りましょう。みんな心配してますよ」
「私が心配かけちゃってどうするのかしら」
鴨川沿いを歩きながら、ふと、何処からかジャスミンの香りが漂って来るのを感じた。
「あら、ジャスミン」
陽向先生も気づいたらしい。
「そういえば、あのジャスミン、どうしました?」
「ああ、陽向先生のお家から我が家にお嫁に来たハゴロモジャスミンですね。あの子はうちの庭の土と相性が良かったようです。すぐに根付いて、今、僕のカロライナジャスミンと仲よく絡みながら咲いてますよ」
「なんだか……照れますね」
え? 照れる? ……あ!
「あ、いや、その、ええと」
「あっ、ごめんなさい、私、そういう意味じゃなくて」
「え、どういう?」
「あ、いえ、いいです、なんでもありません」
もう何も喋れなくなってしまって、僕たちは黙ったまま歩くしかなくなったんだ。
ホテルに戻った陽向先生は、心配した生徒たちにもみくちゃにされ……僕はそれを遠目に見て笑っていた。きっと今年一番の大事件。
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