第8話 男同士

 修学旅行三日目の朝。僕は昨日と同じように夜明けの散歩に出かけていた。

 昨日は鴨川沿いで、今日は桂川沿い。

 京都だってかなりの都会なのに、東京や大阪とは時間の流れ方が全く違うように感じる不思議。歴史の長さゆえだろうか、それともここに住む人たちの心の在り方のせいなのだろうか、全てがまったりと落ち着いて見える。


 古都の色と都心の色。それは、そもそもそこに存在していた自然の色と、無駄なく機能的に作られた色の違いでもある。

 都会にあふれるサイン。たくさんの往来の中、人々が合理的に動けるよう配慮されたデザインたち。目立つことを最優先に考案された色、その多くは蛍光色やヴィヴィッドカラー、強力に目を引くことこそが価値観の全て。それが都会で生き抜くために必要だからであり、都会の『優しさ』でもある。

 古都の価値観はそれとは一線を画している。

 全てにおいて美が優先される。それも自然を基調とした美。

 僅かにくすんだダルトーン、色数の多さにはただただ圧倒される。そして色の名前も草木や花に因んだものが多い。


 ミヤコワスレが咲いている。

 都にあって『都忘れ』とはこれ如何に。都が東に遷ったことを嘆いているのか、美しい古代紫の小さな花。

 紫と言えば……。

 赤みに偏った古代こだいむらさきに対し、青みに偏った紫をいまむらさきと呼ぶ。古代紫の別名がきょうむらさきなのに対して今紫の別名は江戸えどむらさき

 京のいにしえと江戸の粋。どちらもそれぞれに美しい。


 ぼんやりと考えている間にホテルに戻ってしまった。

 まだみんな寝ている時刻。さあ、お楽しみの朝風呂に入ろう。


 **


 あああ~、これだからお風呂はやめられない。しかも今日のお風呂も広々快適。

 実験道具は持ち込めないけれど、大きなお風呂を貸し切り状態にするのは気持ちいい。

 ……と思ったら、誰か入ってきました。

「あれー? 葉月先生?」

「川名君じゃないですか。君がお風呂好きとは意外でした」

「違いますよー、川沿いをランニングしてきたから、汗を流しに来ただけです」

 二人で並んで湯船に浸かっていると、ふと彼が口を開いた。

「先生、俺、高校凄く迷ってて。スポーツ推薦だったら余裕で入れるんですけど、実はちょっと違う進路を考えてるんです。スポーツじゃ潰しが利かないし」

 なかなか将来の事を具体的に考えてるじゃないですか。

「君はどうしたいんですか?」

「俺は……陸上も続けたいけど、手に職付けたいし。俺、翻訳に興味があるんです」

 翻訳か……。確かにスポーツとはまるでベクトルが違う。これは悩むな。

「英語、結構得意だし、洋書の翻訳とかしたいんです。でもそれも家族を養えないかな」

「それは配偶者にもよりますよ」

「ハイグウシャ?」

「お嫁さんです」

 おや? 急に赤くなってしまいましたね、くすくす。

「葉月先生だって独身じゃないですかー」

「そうでしたね。ですが、僕は科学の道しか頭にありませんでしたから、悩みませんでしたよ。君はいろいろできる」

 川名君考え込んでしまった。

「ゆっくり半年悩んだらいいですよ。まだ春です」

 ……もう、春です。

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