第12話 チョコレートケーキ
今日はとても寒くて、ストーブの前からなかなか動けない。だもんだから、人体模型君の前に陣取って、朝からずっと編み物をしている。
今回は手首ウォーマー。僕は腕が長いから、既製服だとみんな手首がつんつるてんで寒いんだ。腕が長いのは母譲り。母も日本製の服は短いって嘆いてる。
秋にタートルネックセーターを編んだときの残った毛糸。手首ウォーマーを作るにはちょうどいい量だ。これでも糸が残ったら母にも編んであげようか。
ガラガラガラ。
「ごめんください。葉月先生いらっしゃいます?」
えっ? この声は……。
「陽向先生どうなさったんです?」
何故か、玄関先に陽向先生が風呂敷包みを持って立っている。
「こんにちは。あ、あのですね、パウンドケーキを焼いたんです。葉月先生がチョコケーキをお好きだって聞いたものだから」
「は? 陽向先生が、僕に焼いてくださったんですか?」
「ええ。これ、温かいうちはチョコが溶けてて、それが凄く美味しいから、すぐに届けようと思って車飛ばして来たんです」
「そうだったんですか。あの、陽向先生、今お時間ありますか?」
「はい? ええ、ありますけど」
「お茶、飲んでいきませんか? ケーキ、一緒に食べましょう」
「ええっ! いいんですか? お邪魔して」
「どうぞ」
しかし、ストーブをつけていたのは実験室だったんだよなぁ。
「あの、実験室で申し訳ないんですがこちらへ」
「お邪魔します。あら、これ、本当に実験室なんですね!」
「紅茶取ってくるので、おかけになっててください」
って、台所に行ったんだけれど、ダージリンの葉とポットとお皿とカップをトレイに乗せたところで悲鳴が。
「どうしました?」
「ごっ、ごめんなさい、振り返ったら人体模型があったものですから、ああ、びっくりした」
「ああ、彼は人体模型君というんです。哲学者なんですよ」
「はあ……」
彼女が風呂敷包みを開くと、甘い香りが漂って来る。
……え? ケーキ、型から抜いてないぞ。陽向先生らしいと言えば陽向先生らしいけれど。
「これ、型に入ったままですね」
「あのね、チョコが溶けてるでしょ? だから型から外したら崩れちゃいそうだったものだから。あっ、ほら、それにこのままの方が冷めないし!」
最後の一言は、たった今思いつきましたね。くすくす。
「なるほど。では、お茶を淹れている間に冷めるといけませんからまた包んでおきましょう」
僕がポットに茶葉を入れたり、お湯を注いだりするのを、陽向先生は物珍しそうにじっと見ていて、何を言うのかと思えば。
「葉月先生、お茶、嗜んでらっしゃいます?」
「ええ、母が好きなもので」
「やっぱり? 私もなんです。お茶やってる方って、動きで判りますよね」
「そうですね」
陽向先生もお茶やってるのか。そんな風に見えなくもない。
「春の野点なんていいですよね、何年も行ってないわ」
「いいですね、お茶会、行きましょうか」
「あら、嬉しい。一緒に行く人がなかなかいなくて、ずっと行ってないんです。良かったわ、お茶仲間ができて」
ケーキを型から外して切り分けるとチョコレートがとろりと流れて来る。文句なしに美味しそうだ。
「料理研究会の味見大臣と聞いてましたけど、お上手じゃないですか」
「それは頑張りましたよ! だって……その、今日は十四日ですし……」
「十四日?」
……あああ、僕は何とバカだったんだろう、今日はバレンタインデーじゃないか。
「あ、その……ありがとうございます」
「いえ、お祭りのようなものですから」
なんだなんだ、僕たちのこの訳の分からない会話は!
「お祭りといえば、陽向先生『まつり』さんってお名前でしたね。どんな字を?」
ああ、なんだか今の僕は、話の展開が支離滅裂だ。
「ジャスミンです」
「ああ、
「ええ。白い花でちょっとピンクがかっていて、いい香りがするんですよ。ちょうど私が生まれたころに咲いてたので、両親が茉莉ってつけてくれたんです。この響きも漢字もすごく気に入ってて」
「ハゴロモジャスミンですね。五月生まれ?」
「そうなの。葉月先生は葉月だけに八月、なんてことは無いですよね」
「八月ですよ」
「冗談みたい、くふふ」
今、「くふふ」って笑いましたか? それは反則です、陽向先生。
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