第52話 笑顔のために


 SJコンパートメントの中で何かが光るのが見えた。

 村上に知らせると、システム担当のスタッフが側面の小窓を取り外す。温度が上昇しているようで熱風が吹き出す。

 中は集積回路が埋め込まれた基盤と配線が複雑に入り組み、まるで草木が鬱蒼うっそうと生い茂るジャングルのようだった。


「配線の絶縁部分がショートしています!」


 システムスタッフが熱風を手でさえぎりながら大きな声をあげた。


「陰になって正確な位置はわかりませんが、おそらく中枢基盤があるあたりです。このままでは危険です。発火によりシステムがダウンします」


「すぐに修復しろ! 蘇生前のシステムダウンは絶対に避けるんだ!」


 村上は強い口調で言い放つと、ジョージの方へ鋭い眼差しを向ける。


「ショートしているのは一箇所ですが、場所が場所ですので……復旧作業を行うにはコンパートメント本体を解体する必要があります……一旦電源を落として――」


「ダメだ! 電源を落とせばカヲリの意識は二度と戻らない! 電源を入れた状態で復旧するんだ! ジョージ! 何とかしてくれ!」


 村上が大きな声をあげると、ジョージは眉毛をハの字にして罰が悪そうな顔をする。


「想定外の事象でした……事前の計算では、パンドーラ・エルピス稼働によるシステムへの負荷は十五分であれば問題ないと思われました……ただ、実際は……」


「そんなことを聞いているんじゃない! 電源を入れた状態でシステムを復旧してくれと言っているんだ!」


 村上は肩を震わせながら語気を荒らげる。その表情には鬼気迫るものが感じられる。


「SJコンパートメントには四百ボルトの電圧で八十アンペアの電流が流れています。もし漏電部分に触れれば十秒で感電死します。

 それに、漏電部までは手が一本通るぐらいのスペースしかありません。手をいっぱいに伸ばして届くかどうかです。コンパートメントを解体しなければ作業は不可能です。

 内部温度がかなり上昇しているため、いつ発火するかわかりません……村上さん、今蘇生を行わなければ、取り返しがつかないことになります!」


 ジョージが泣きそうな顔で訴える。

 火花が散るコンパートメントを凝視していた村上は、視線をメインパネルへと移す。五感のグラフは六十パーセントのラインでピタリと止まっている。

 村上は鬼のような形相でパネルをにらみつける。額から流れる汗が顎を伝ってしたたり落ちた。


「クソったれ。こんな状態で蘇生するのかよ……一分、あと一分もってくれたら……」


 怒りと悔しさを必死に抑えながら、村上は喉の奥から言葉をしぼり出す。


「これから……カヲリ・ハートフィールドの蘇生処理を行う……蘇生ボタンを押す準備を――」


「待て! 村上!」


 私の声がコントロール室に響き渡った。

 村上の顔に驚きの表情が浮かんでいる。なぜなら、その視線の先には、両手に作業用のゴム手袋を何枚も重ね、両足に同じゴム手袋を何重にも巻きつけた私の姿があったから。


「深見……お前はバカか! 何を考えている!?」


 村上の表情が変わった。私が何をしようとしているのかを理解した顔だ。


「バカかもしれない。でも、思い出したんだ。昔読んだSF小説に同じようなシーンがあったことを。仲間が全滅の危機に陥ったとき、主人公は、漏電した電線をゴム手袋でつかんで絶縁状態にすることでピンチを救った」


「バカ野郎! そんなご都合主義の作り話と現実をいっしょにするんじゃない! お前も医者ならわかるだろう!? 電流が流れれば心室細動を発症して間違いなく死ぬ! お前の死は無駄になるんだ! システムが正常化しても百パーセントまで回復するのに一分はかかる! そんなにもつわけがないだろう!」


 見開いた目で私を睨みつけながら、村上は大声でまくし立てる。ただ、それは私にとって想定の範囲内だった。


「小説の主人公も仲間から同じことを言われていたよ。キミの言うとおり、入電部位と出電部位の間に心臓があれば間違いなく死に至る。でも、こうしてゴム手袋で両手・両足を覆えば、身体に電流が流れる可能性は低くなる。手袋の束があって助かったよ。これなら一分ぐらいもちそうだ」


「深見、そんなこと俺が許すとでも思ってるのか? お前が死んでいくのを指をくわえて見てろって言うのか? ダメだ! 今からカヲリの蘇生を行う!」


 私の言葉を無視するように、村上は蘇生ボタンのカバーを外す。そして、ボタンに手を掛けた。


「どんなときも冷静であれ。そして、愛情を持って非情であれ」


 私の一言に村上の動きが止まる。


「十文字先生は言っていた。『どんなときも医者は冷静さを失ってはいけない』と。『愛情を持ちながら時として非情にならなければならない』と。

 でも、こんなことも言っていた。『困難に遭遇したときは簡単に白旗を上げるべきではない』と。『決して諦めず、できる限りのことをすべきだ』と。

 村上、このまま蘇生処理を行えば、五感すべてに重大な後遺症が残る。もちろん、私はどんなカヲリも全身全霊をかけて愛するつもりだ。ただ、そんなカヲリを見ているのはとても辛いんだ。

 私がSJWで子供を助けたりしなければ、こんなことにはならなかった。私のせいでカヲリは後遺症を負った状態で一生を過ごすことになる。きっとキミは『絶対に治す』と言うだろう。そのことはすごくうれしい」


 村上は呼吸を整えるように肩を上下させている。


「カヲリにはいつも笑っていて欲しい。どんなときも心から笑顔でいて欲しい。SJWから排除されたとき、私は心に誓ったんだ。『二度とかをりに悲しい思いはさせない』と……村上、頼む! 蘇生処理は待ってくれ! 私にチャンスをくれ! お願いだ!」


 少し間が空いて、村上はふっと息を吐いた。その表情はいつもの彼のものだった。


「……何を言っても聞かないんだろうな」


 村上は独り言のようにポツリと言った。


「深見、一つ約束しろ。カヲリが元気になったら、俺とお前とカヲリでマイアミの日本料理店へ行く。そこでお前たちの帰還祝いをやる。絶対に三人でやる。約束できるか?」


 憂いを帯びた瞳が強く訴えかける。村上が断腸の思いで決断を下そうとしているのがわかった――医師として。そして、友達として。


「もちろんだよ。カヲリもきっと喜ぶ。絶対に参加させてもらう」


 私が手袋をはめた右手を差し出すと、村上の右手が荒っぽく私の右手を握り締める。言葉は交わさなかったが、気持ちは十分に伝わった。「ありがとう。村上」。私は心の中で呟いた。



 つづく

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