第49話 個人的な仮説


「二〇一三年、カヲリ・ハートフィールドはSJWへ送られた。そして、二〇一五年にSJWへ送られたお前と出会った……。深見、この話、どこかおかしいとは思わないか?」


 村上の唐突な問い掛けに、私は黙ったまま首を傾げた。


「カヲリはカヲリのSJWへ、深見は深見のSJWへ、それぞれ送られた。にもかかわらず、二人はで出会っている。

 そもそもSJWでプレイヤーと呼ばれるのは送り込まれた本人だけのはず。しかし、お前のSJWにはプレイヤーが二人いたことになる」


 目から鱗が落ちた。まさに村上の言うとおりだ。

 私がかをりと出会ったのは紛れもなく私のSJW。かをりがカヲリ本人だとしたら、私のSJWへ入り込むこと自体あり得ない。

 ロバートとメアリーも不思議そうな顔で村上を見ている。


「ロバート、メアリー、これから話すのは、俺の『個人的な仮説』です。信じるかどうかは自由です。ただ、もし信じてくれたなら、俺の言うとおりにしてくれませんか?」


 村上の口から「個人的な仮説」という言葉が飛び出した。その眼差しはいつになく鋭く、その表情はいつになく真剣だった。


「村上、聞こうじゃないか。君の『個人的な仮説』とやらを」

「村上さんの『個人的な仮説』のおかげで、ここまで来れたようなものだから」


 村上の個人的な仮説に対して、二人は私と同じような印象を抱いているようだ。


「深見、岡安かをりを苦しめた悪夢の内容について確認したい。何もない真っ暗な空間で、突然闇の中からたくさんの男が現れ彼女をはずかしめた。そうだったな?」


「そのとおりだ」


「冷静に考えれば、あまりにも現実離れした話だ。受診したとしても、夢や妄想で片付けられて、お決まりの薬が処方されるのが落ちだ。以前の俺だったら同じ対応をしていたかもしれない。しかし、今は絶対にそんなことはしない。なぜなら、に心当たりがあるからだ」


「心当たりがある……どこなんだ? それは」


 驚いた様子を見せる私に村上はしたり顔をする。


「それは、お前の方がよく知っているんじゃないか?」


「私の方が……? まさか……『虚無の空間』!?」


「そのとおり。お前がNLの犠牲になった子供の幻影に取り込まれそうになった、闇の世界さ。カヲリは以前そこに行ったことがある。そして、そのときの記憶が潜在意識の領域に残っていて何かのタイミングで発現する。

 そう考えれば、二十歳以前の記憶を失っていることも説明がつく。カヲリはこの空間を漂い、闇に飲み込まれる直前の状態までいった。しかし、で九死に一生を得た」


★★


「村上、ちょっといいかい?」


 ロバートが眉間に皺を寄せながら、小さく手を上げる。


「よくわからないのは、カヲリが虚無の空間なんかにいた理由だ。それに、九死に一生を得ることができたのはなぜなんだい? 

 深見くんの場合は、位置が特定されたことで助かった。しかし、カヲリの場合は誰も助けてくれる人などいなかった。神様にでも救われたって言うのかい?」


 確かにロバートの言うとおりだ。新型のSJコンパートメントには帰還装置が備えられ、私が帰還信号を発することでその座標が特定できた。しかし、カヲリの旧式のコンパートメントにはそんな機能は装備されていない。仮に装備されていたとしても操作することはままならなかったと思うが。


「普通に考えれば、辻褄つじつまが合いません。ただ、こんな風に考えてみてはどうでしょう? 

 カヲリは一旦SJWへ到着した。そして、しばらくそこで生活していた。しかし、何かがきっかけとなって『論理的矛盾因子』と判断されSJWから排除された。まさに深見と同じような扱いを受けたわけです。

 虚無の空間に放り出されたカヲリは、なすすべもなく闇に侵食されていく。そんな絶対絶命のピンチに、白馬に乗った王子様ならぬ『SJに乗った深見様』が現れる。そこで、信じられないことが起きる。

 二つの精神は融合しそのまま深見のSJWへ向かう。さらに、ホストコンピューターは、融合した二つの精神をそれぞれ『プレイヤー』として認識する。理由はわかりませんが、もともと深見のSJWはカヲリのものに手を加えて生成されています。ホストコンピューターがバグを起こした可能性は否定できません。

 また、SJシステムには不慮の事故に備えたバックアップ機能があります。ボロボロになったカヲリの精神は、バックアップ機能により修復されたのです。結果として、カヲリが虚無の空間を彷徨さまよった記憶は、彼女の潜在意識の中に残っていたわけです」


 村上の話は心底納得できた。彼は私なんかよりずっとSF作家に向いている。一見突飛とっぴな説明にも思えるが、論理的な説明になっている。


「村上さん? わたしからも一つ質問があるの」


 メアリーがゆっくりとした口調で言う。


「深見さんと出会ったときのカヲリちゃんはどうして二十五歳だったの? 一九九三年なら九歳のはずなのに、深見さんの話では二十五歳の成人女性だった。すごく不思議なんだけど」


 メアリーの質問はもっともだ。私もその種明かしをぜひ聞いておきたい。

 天井を見上げた村上は、再びメアリーの方へ視線を向ける。


「俺にもよくわかりません。考えられるのは、彼女が二十五歳の誕生日に長い眠りについたことで、彼女の中で二十五歳で時間が止まってしまったのかもしれません。そのことが原因で、SJWから排除された可能性もあります。それは『個人的な仮説』のレベルまで達していない、単なる妄想です。

 ただ、一つ言えることがあります。それは、その答えがなくても、俺たちが取るべき行動に変わりはないということです」


 村上のデスクの電話が鳴る。「待ってました」と言わんばかりに村上は素早く電話を取った。

 

「――わかった。至急メンバーを集めてくれ。また連絡する」


 電話を切った瞬間、村上は右手の拳を小さく握る。


「村上、今の電話は?」


 私の問い掛けに村上はフッと笑みを浮かべる。


「昨晩スタッフにカヲリ・ハートフィールドについて調査を依頼した。その結果報告だ」


「どういうことかね?」


 ロバートは「よくわからない」といった様子で怪訝けげんな表情を浮かべる。


「カヲリのSJWの調査を行いました。深見から帰還信号を受けた後の処理と同じです。深見のSJWには、彼の識別信号はありませんでした。当たり前ですね。その頃、深見は虚無の空間を漂っていたのですから。

 今回の調査結果ですが、やはりカヲリのSJWにカヲリの識別信号はありませんでした。カヲリはどこへ行ったと思いますか?」


「深見くんのSJWにいるんじゃないのかね? 十文字さんと同じように記憶を消された状態で」


「カヲリがNPCであれば、その可能性はあります。しかし、カヲリはNPCではなくプレイヤーです。深見に関する記憶を忘れることはありません。そんなとき、皆さんがホストコンピューターだったらどうしますか?」


 村上の言葉にロバートとメアリーは顔を見合わせる。


「ちなみに、深見のSJWにも探索をかけましたが、カヲリの識別信号はありませんでした。カヲリはどこへ行ったのか……? 深見、お前はどう思う?」


 村上は、悪戯を成功させた子供のような無邪気な笑顔を見せる。回りくどい説明がとても心地良く感じられた。

 かをりは私のことを忘れてなんかいない。今も私のことを思ってくれている。そして、私に助けを求めている。


「村上、私は虚無の空間で闇に取り込まれそうになったとき、かをりの声に救われた。あのときは幻聴だと思った。ただ、今はと確信している……かをりはいたんだ。虚無の空間に」


 村上は「そのとおり」と言わんばかりに、大袈裟に首を縦に振る。


「ロバート、メアリー、深見からこんな意見が出ています。岡安かをりの言動からすれば、カヲリの症状はほぼ回復しています。現実世界へ戻しても大丈夫だと思われます。あくまで俺の『個人的な仮説』ですが、いかがでしょう?」


 村上の自信に満ちあふれた言葉に、二人は笑顔で首を縦に振る。


「では、すぐに取り掛かりましょう。カヲリ・ハートフィールドの帰還準備に。大丈夫。今の彼女なら虚無の空間にだって負けない。絶対に失いたくないものがありますからね」


 私は村上の言葉に頷きながら、心の中でかをりに語りかけた。


『かをり、待っていてくれ。すぐに助ける』



 つづく

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