第50話 パンドーラ・エルピス


「わたしたちはここで待っています。カヲリちゃんのことで感情的になって、皆さんのご迷惑になってもいけませんから」

「様子はモニターでしっかり見させてもらう。村上、カヲリを頼んだよ」


 ロバートとメアリーを村上の部屋に残して、私たちはカヲリ・ハートフィールドのところへと向かった。

 エレベーターで地下二階へ降りて長い廊下を進むと「第二コントロール室」と書かれた表示が目に入る。

 部屋の前に、白衣を着た、初老の白人男性が立っている。どこか落ち着かない様子の彼は、私たちに気付くや否や足早に駆け寄って来た。どうやら村上を待っていたようだ。


「ちょうどよかった。深見、紹介しよう。こちらはシステム部門の責任者『ジョージ・ケリー』だ」


「はじめまして。深見です」


「ジョージ……ケリーです……」


 ジョージは「心ここに在らず」といった様子で私が差し出した右手を握る。その声は蚊の鳴くような、弱々しいものに思えた。


「ジョージ、帰還処理の準備はどうだ?」


「はい。システムのチェックは完了しスタッフも持ち場についています。いつでもオペレーションに入れます……でも、相談したいことが……」


「何か問題でもあるのか?」


「いえ、問題と言うほどではありませんが……『パンドーラ・エルピス』について不安なことが……」


 ジョージは眉をハの字にして、丸メガネの奥の目をしょぼしょぼさせながら不安そうに呟く。


「どういうことだ? システムに問題でもあるのか?」


「理論上は問題ありません。でも、稼働試験がほとんど行われていませんし、実践で使うのは今回が初めてですから……正常に稼働するかどうか……」


「ジョージ、物事に『百パーセント大丈夫』なんてことはあり得ない。もちろん、百パーセントに近づけるための努力は必要だ。ただ、今パンドーラ・エルピスを稼働させなければ、カヲリを見殺しにすることになるんだ。やらなければならない状況なんだ」


「わかっています。でも、パンドーラ・エルピスを稼働させれば、短時間に膨大なエネルギー変換が行われます。システムにも人体にもかなりの負荷がかかるものと……もしお嬢さんの身に何かあったら……責任がとれませんから……」


 ジョージはハンカチで額の汗をぬぐう。彼が奥歯に物が挟まったような言い方をする理由が理解できた。


「シミュレーションでは、システムと人体への影響を考慮しても『十五分』はもつ計算だっただろ?」


「あくまで理論上の話であって……未知の部分は残りますから……」


「今はそれで十分だ。ロバートとメアリーにはリスクがあることも説明した。そのことを踏まえて、二人は俺に一任してくれたんだ。ジョージ、キミが心配することは何もない。何かあったときの責任はすべて俺が取る。キミは自分のミッションを成し遂げるために全力を尽くしてくれ」


「わかりました。では、持ち場に着きます」


 ジョージは、どこかホッとした様子で部屋の中へ入っていく。彼の姿が見えなくなると、村上は額に手を当ててため息をつく。


「ジョージは優秀な男だが、気が弱いところがあってな。何か新しいことをやろうとするといつもああなんだ」


「村上も大変なんだ。でも、そんなに危険なの? そのシステムは」


「さっきも言っただろ。理論上は問題ない。行くぞ。深見。今は一秒でも時間が惜しい」


★★


 パンドーラ・エルピス(パンドラの希望)のことは、村上の部屋を出る前に説明を受けた。

 もともと、カヲリのSJコンパートメントは旧式で帰還システムが備わっていない。私の場合、自ら帰還信号を発することで自分がいる場所の座標を村上たちに知らせることができた。そして、虚無の空間から帰還することができた。

 しかし、カヲリの場合、自分がいる場所を知らせるすべがないため、帰還処理を行うことができない。

 そんな中、村上から話があったのが、精神エネルギー変換プログラム「パンドーラ・エルピス」だ。


 人は潜在意識の中に蓄積されたエネルギーを使って様々な欲求を満たそうとする。そのエネルギーの形質を変換する機能を持つのがパンドーラ・エルピス。

 カヲリの体内に蓄積されたエネルギーを「光」に変換し、虚無の空間を漂うカヲリの精神へ送り込むことで、光源となった意識体の位置を特定しようというものだ。

 ただ、カヲリが漂う、虚無の空間は広大であるため、小さな光を確認するのは不可能に近い。宇宙空間に豆電球ほどの光が灯っていても、到底発見することはできない。そこで、短時間に膨大なエネルギーを放出し強力な光源を作り出すことが必要となる。


 スタッフに精神エネルギーの放出限界を計算させたところ、「最大放出を続けると約十五分で精神エネルギーが無くなること」が明らかになった。

 エネルギーの蓄積にはかなりの時間を要することから、もし十五分でカヲリを発見できなければ、カヲリは、しばらくの間、虚無の空間を漂うことになる。それは闇に飲み込まれて自我が崩壊することを意味する。


 オペレーションの方法として、五十人のスタッフが、私を回収した座標を起点として、前後・左右・上下六方向に分かれて探索を行う。

 光源反応を確認した時点でその座標を特定し、保護シールドを展開したうえで帰還処理を行う。位置が特定された後の処理は、すでに私のときに経験済みであり、村上によれば「位置さえ特定できれば九十九パーセント大丈夫」とのこと。帰還処理から三十分もあれば蘇生できるそうだ。


 プログラムを実践で使うのは初めてということで、不安がないと言えば嘘になる。ただ、今はそんなことを言っている場合ではない。カヲリを救うことができる、最初で最後のチャンスなのだから。

 そのことは、私以上に、これまでカヲリを助けるために全身全霊を注いできた、ロバートとメアリーの方がよくわかっているだろう。私たちが部屋を出るときは笑顔を浮かべていたが、今は心痛な面持ちでひたすら祈っているのではないか?


★★★


 村上の後について第二コントロール室へ入ると、そこには見慣れた景色があった。私のSJコンパートメントが置かれていたのは第三コントロール室だが、部屋の様子はほとんど変わらない。

 部屋の中央にカヲリの眠るSJコンパートメントが置かれ、病院の手術台のように周囲から状況を確認できるようになっている。

 コンパートメントも見た感じは私のものとほとんど変わらない。顔の位置に小さな窓はあるが、曇っていて中の様子はよくわからない。カバーには「LOCK」の赤い文字が点灯し、カヲリが帰還するまで解除されない構造となっている。すぐ近くにいるのに触れられないのがとてももどかしい。


 村上はスタッフを前に帰還処理についての最終確認を行っている。


「――カヲリ・ハートフィールドは現在『虚無の空間』を彷徨さまよっている。おそらく彼女は二十四時間以上そこにいる。自我を維持するにはそろそろ限界だ。一秒でも早く現実の世界に帰還させる必要がある。しかし、彼女のコンパートメントには自らの位置を特定するためのシステムが存在しない。

 そこで、精神エネルギー変換プログラム『パンドーラ・エルピス』を展開する。タイムリミットは十五分。それぞれ割り当てられたテリトリーで光源反応を確認して欲しい。起動は五分後。各自最終チェックが終わったらジョージへの報告を頼む」


 スタッフがそれぞれの持ち場に着くと、村上は小さく息を吐いて視線を私の方へ向ける。


「深見、今回カヲリは大きなリスクを負う。パンドーラ・エルピスを使うことで心身にかなりの負荷がかかる。想定外の後遺症が残らないとも言えない。しかし、今はカヲリを帰還させることが最優先だ。だから、俺は『非情』になる。

 ただ、約束する。どんな後遺症が残ったとしても、必ず治療する。村上雅之の名に掛けて絶対に正常な状態にする。俺を信じてくれ」


 村上の眼差しから只ならぬ決意が感じられる。


「わかってるよ。キミの判断は間違ってなんかいない。それに、かをりはキミの師匠である十文字先生に全幅の信頼を置いていた。愛弟子であるキミの判断であれば喜んで受け入れてくれる。私たちはキミの判断に従うよ」


 村上の緊張した面持ちが少し和らいだ気がした。


「ありがとう。深見。カヲリに信頼されていると聞いたら俄然がぜんやる気が出てきた。ここで失態を演じて、十文字先生の顔に泥を塗るわけにもいかないしな」


 村上は私の肩を軽く叩いて自分の席につく。

 ジョージがシステムの最終チェックが完了したことを報告する。


「みんな聞いてくれ。これからパンドーラ・エルピスを展開する。十五分間、カヲリ・ハートフィールドの発見に全力を注いでくれ!」


 魂がこもった、大きな声が室内に響き渡る。それに呼応するかのように、五十人のスタッフから「ラジャー」という、力強い声が発せられた。


 ――パンドーラ・エルピス起動 残リ時間十五分デス――


 村上がスイッチを押した瞬間、女性の声を模した、コンピュータの音声が流れる。

 SJコンパートメントの側面に設置されたパネルのランプが「青色」から「黄色」へと変わり、下部から唸るような重低音が聞えてきた。同時に、正面パネルの残り時間がカウントダウンを開始する。


 カヲリの救出作戦が始まりを告げた。



 つづく

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