Epilogue

エピローグ


 テレビ画面の時刻表示が「0:30」に変わる。


 二〇一六年十二月十一日午前〇時三十分。私とかをりはドンペリのグラスを片手に「その瞬間」が来るのを、いまかいまかと待ちわびていた。

 いつもなら寝ている時間ではあるが、眠気など微塵も感じられない。私たちの目はテレビの画面に釘付けになっていた。


「ねぇ、まだなの? せっかくのドンペリがなくなっちゃうよ」


「もう少しだよ。だから言ったじゃないか。始まってから飲もうって」


「だって、お風呂から出たら目の前にドンペリがあるんだよ? この状況を見たら飲みたくなるのは当たり前じゃない? あなたが『開けていい』って言ったんだよ。あたしだけが悪いみたいな言い方してズルイよ」


 かをりはほおを膨らませて「ぷいっ」と横を向く。

 画面が切り替わってオーケストラによる演奏が始まった。日本でも人気のある、フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスの交響詩「フィンランディア」だ。


 私たちは横浜港に程近い「ホテルニューグランド」に宿泊している。

 GHQのマッカーサー元帥も泊まった、歴史のある、由緒正しきホテルであり、SJWでびしょ濡れになった私たちが転がり込んだホテルでもある。


 十二月八日の夜、私たちは日本にやってきた。

 九日は都心に滞在して築地や銀座で日本食を堪能し、十日は横浜へ移動してを見て回った。

 そして、本日十一日の正午、山手の教会で結婚式を挙げる予定だ。

 横浜での挙式はかをりの達ての希望ではあるが、一年以上時間を要したのには理由がある。


★★


 私とかをりがSJWから帰還したことで多くの疑問が解決に至り、SJプロジェクトは飛躍的な進展を遂げ、「フェイズ・ワン」(人の潜在意識に眠る記憶を読み取ることで過去の世界を再現すること)及び「フェイズ・トゥー」(再現された世界と人の精神をシンクロすることで仮想体験をさせること)を経て、「フェイズ・スリー」(植物状態に陥った者をその世界へ送り込み記憶の除去・植え付け等を通して正常化させること)の段階に入った。


 私たちの成功例により人を使った臨床試験がコンスタントに行われるようになり、二〇一六年三月には実用化の目途が立った。

 ただ、そのことは、プロジェクトが次なる段階「フェイズ・フォー」へ移行し、SJが人を救う治療システムから人をあやめる殺傷兵器へと変貌を遂げることを意味していた。

 プロジェクトの責任者である村上が望んでいるものではなかったが、国家の安全保障に関わる問題であり、彼がプロジェクトから手を引くと言った選択はあり得なかった。


 そんな中、事態が急変する。

 SJプロジェクトの詳細がインターネットで流布るふされた。「植物状態の患者を回復することができる医療システムであり、過去の世界をリアルに体験できる娯楽システム」。そんな情報に続き「秘密裏に行われた人体実験の結果、植物状態の日本人の男女二人が完治」といった情報がSNSで拡散された。


 このことは、アメリカはもとより世界中のメディアに大きく取り上げられた。アメリカ政府は対応に追われ、結果として、プロジェクトの詳細を公表せざるを得なくなった。

 SJは国家の重要機密であり、漏洩ろうえいすれば重い処罰を科されることになる。当局による捜査が行われ、容疑者として浮上したのは何とハートフィールド夫妻だった。

 しかし、二人の名前が出るや否やホワイトハウスから「待った」がかかった。詳しいことはわからないが、二人に掛かる司法手続きを行うことで立場が悪くなる政治家が多数いるとのことだった。


 結局、フェイズ・フォーは無期限凍結の措置が取られ、SJの実用化に向けた共同研究を希望する企業からの問い合わせが殺到した。これにより、村上は、人気アイドルのような、超のつく多忙な生活を強いられることとなる。

 私は、このリーク事件の裏で、が糸を引いているような気がしてならなかった。


★★★


 かをりはと言えば、私が昏睡状態に陥っていた一ヶ月の間に、自分が置かれていた状況について村上から説明を受けた。

 ただ、ハートフィールド夫妻の強い要望により、NLに子供を奪われて自殺を図ったことは伏せられ、植物状態に陥った原因は「交通事故によるもの」と伝えられた。


 幼い頃両親を失ったこと、六年間ずっと眠っていたこと、二十二年前の仮想世界へ送られたこと、虚無の空間に放り出され二十歳以前の記憶が欠けていること――かをりは自らの過酷な運命と突拍子もない現実をしっかりと受け止めた。

 それは、月刊トワイライトの編集者としての百選練磨の経験と、何度も死線を潜り抜けてきたタフネスさのなせるわざだったのかもしれない。


 ロバートとメアリーから「やりたいことがあれば援助は惜しまない」と言われたかをりは、一つ願いを告げた。それは私と結婚することだった。

 二人は二つ返事で了承したが、想定外の事態が生じた――村上が結婚に「待った」をかけた。


 村上は、私が左手の一部を失ったことに対して、私以上にショックを受けていた。「深見が不自由を感じないようにする」。あの日以来、それが村上の口癖となった。

 フェイズ・スリーが本格化し、多忙を極める中、村上は、特殊義手に関する研究を最優先で進めた。そして、半年が経過した二〇一六年四月、それは形になった。


 私の身体にあつらえた特注品は、五月と八月の二回の手術を経て、私の身体にしっかり馴染んだ。

 皮膚についた雨のしずくや小さな虫の存在はもちろん、指先で触れた他人の体温や肌の感触まで感じとることができた。

 重い物を持ち上げるような動作はNGであるが、パソコンのキーボードを叩くような、緻密な動作は問題ない。かをりが自分の手を私の左手に絡ませてきたときの感触も、しっかり感じ取ることができた。


 それを契機に、村上が私たちの結婚を認めてくれた。

 結婚を引き伸ばされたかをりは、村上の顔を見るたびに文句を言っていたが、指示には従った。「深見を好奇の目にさらしたくない」。「かをりの罪悪感を払しょくしたい」。村上のそんな思いを理解してくれていたのだろう。


 作家になりたいという、私の夢は思わぬところからチャンスが巡ってきた。

 メアリーから紹介された出版社に「715」と「UNO」の英語版を持ち込んだところ、話がトントン拍子に進み、新人の作品を掲載する専門誌にどちらかが掲載される運びとなった。同時に、少し長めの小説のプロットを準備しておくよう依頼があった。読者の受けが良ければ、長編小説の掲載も検討してくれるそうだ。

 私の実力ではなくメアリーの後押しがあってのことではあるが、きっかけを与えてくれたメアリーには心から感謝している。


★★★★


 オーケストラの演奏が終わり、「二〇一六年ノーベル生理学・医学賞部門」の授賞式が始まろうとしていた。

 これまで国営放送が授賞式の一部始終を放映することはなかった。ただ、同賞の受賞が日本人として三人目の快挙であることに加え、SJシステムが世界的に注目を浴びていることからノーカットの放送となった。

 なお、受賞理由は「植物状態の治療法としてのSJシステムの開発と精神領域における虚無の空間の発見」。


「でもさ、ノーベル賞の授賞式がちょうどあたしたちの結婚式と重ならなくてもいいのにね。日本人の受賞者がほとんどいないことを考えると、これって宝くじの一等を同じ人が二本当てるようなものだよ」


 ドンペリの酔いが回って来たのか、かをりはいつも以上に饒舌じょうぜつになっている。


「それは仕方がない。授賞式は毎年ノーベルの誕生日十二月十日頃行われるのがならわしなんだ。私たちが結婚式の日取りを決めたときには、村上の受賞はまだ決まっていなかった……と言うよりノーマークだった。ノーベルアカデミーから受賞を伝える電話がかかって来たとき、村上は悪戯かと思って電話を叩き切ったらしい」


「さすがはゴーイング・マイウェイの村上さんね。でも、それって武勇伝として後世に語り継がれそう。偉人にはその手の話は付きものだから丁度いいんじゃない?」


「私もそう思う。結婚式に出席してもらえないのは残念だが、飛行時間だけでも十四時間はかかる。この後の晩餐会に出席せずに日本へ向かっても間に合わないよ」


「村上さん、最後まで『俺は結婚式に出席するぞ!』なんて言ってたよね。結構マジだったんじゃない……? そうだ! 村上さんに自分のSJWへ行ってもらって、そこでノーベル賞を辞退してもらうっていうのはどう? それであたしたちの式に出てもらうの」


「それはナイスアイデアだ。SJWあそこは何でもありの世界だからな」


 他愛もない会話を交わしながら、私たちは声をあげて笑った。どうやら私も酔いが回ってきたようだ。


 壇上に上がった村上が記念のメダルを受け取る様子が映し出された。

 私たちは、ドンペリの入ったグラスを村上の方に掲げると、大きな声で「乾杯」の発声をした。


 続いて村上の受賞演説が始まる。

 演説は英語で行われているが、同時通訳による日本語訳が流れている。かをりは村上の声が聞こえないのが不快らしく、ムッとした表情で音声を英語に切り替えた。


「堂々としてるね。村上さん。ここ数ヶ月のテレビ出演で鍛えられたのかな?」


「演説の内容も素晴らしいよ。難しい内容を素人にもわかるように上手く話している。それに、『平和利用』とか『人の生命を救う』といった趣旨の言葉を意図的に強調している。この放送が全世界に発信されていることを踏まえた、SJシステムの軍事利用を抑えるための作戦だよ」


★★★★★


「――この賞は、私一人の力では到底受賞することはできませんでした。研究の場を提供してくれたアメリカ政府と信頼できるスタッフがいたことはもちろんですが、尊敬する恩師・十文字卓人の存在が大きかったと思っています。先生が残してくれた研究成果と親身の指導があって初めて受賞できたものです。

 実は、SJと言うネーミングは、先生が考え出した検査法『Subconcious Judgeサブコンシャス・ジャッジ』から取ったものです。先生、これまで本当にありがとうございました」


 村上は舞台の最前列へ向かって深々と頭を下げる。

 テレビカメラが切り換わると、眼鏡をかけた、白髪の男性がにこやかな表情を浮かべている。年はとってはいるが、十文字先生に間違いない。

 会場から大きな拍手がわき起こる。十文字先生は、メガネを外してハンカチでレンズを拭うと、感慨深そうに何度も頷いた。


 ユーモアを交えた、流暢りゅうちょうなスピーチを続ける村上だったが、突然「ここから日本語で話します」と告げた。


 私とかをりは顔を見合わせた。とても嫌な予感がしたから。


「深見! かをり! 結婚おめでとう! 式には出席できないが、お前たちの幸せを心から願ってるぞ! それから、結婚式を一年も引き伸ばして悪かった。俺はお前たちが主役になる舞台でできる限りのことをしてやりたかったんだ。自己満足かもしれないが、俺の気持ち、受け取ってくれ!」


 予感は当たった。村上は頭は良いが常識に欠けているところがある。全世界に向けて、個人的なメッセージを流すなんて普通は考えられない。とは言いながら、悪い気はしなかった。村上の気持ちが痛いほど伝わってきた。


「村上さん、口は悪いけれどすごく優しい人だね」


 かをりが私の右肩にもたれかかる。彼女も満更でもなさそうだ。

 うんうんと頷く私だったが、ふと違和感を感じた。突然、村上の声が聞えなくなったから。他の音は聞こえていることを考えれば放送事故ではない。かをりもいぶかしそうな表情を浮かべている。


 テレビ画面には、壇上でうつむく村上の姿が映っている。

 会場がにわかにざわめき、司会者は声をかけようかどうか迷っている。

 そんな中、村上は俯いたまま静かに話し始めた。


「……深見、憶えてるか? 二十二年前、大雨の中でいっしょに笑いながら泣いたこと。俺は今でもあの情景が頭から離れない。理由は二つある。一つはお袋のことが忘れられないから。もう一つはお前の気持ちが死ぬほどうれしかったから……。あのとき、お袋を失って自暴自棄になっていた俺にお前は進むべき道を示してくれた。もしお前がいなかったら、きっと俺は医者を辞めていた。そして、死ぬ間際に後悔していた。なぜなら、お袋のかたきをとることができなかったから――」


 会場が水を打ったように静まり返る。

 村上がゆっくりと顔を上げる。そこには二十二年前の村上がいた。その顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。


「深見! やったぞ! 俺はお袋のかたきをとった!」


 せきを切ったように涙が溢れ出した。

 雨の中、二人で笑いながら泣いたときのことが鮮明に蘇ってきた。


「……村上の奴……こんなところで……バカだ……本当にバカだ……」


 村上に負けないぐらい顔がぐちゃぐちゃになった私に、かをりが背中から両手を回す。微笑みながらポロポロと大粒の涙を流している。


「村上さんがバカならあなたもバカ。あたしのまわりはバカな人ばかり……。でもね、そんな人たちのおかげで、あたしは今ここにいるんだよ」


 かをりの左手が私の涙を優しくぬぐう。薬指には二頭のイルカをかたどったドルフィン・リングが光っている。


 オーケストラの演奏が聞えてきた。

 曲名は「The Way We Were」。映画「追憶」の中でバーブラ・ストライザンドが歌った曲だ。


「ねぇ、踊らない?」


「喜んで」


 私は、右手でかをりの手を取って左手で細い身体を抱き寄せた。

 かをりは小さく微笑むと静かに瞳を閉じる。モスグリーンのジャケットがワインレッドのワンピースをエスコートする情景が浮かんだ。


 窓から差し込む月明りのもと、今宵二人の舞踏会が始まりを告げる。



 おしまい

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ドクターの夢 Old Boy Meets Girl RAY @MIDNIGHT_RAY

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