第17話 アクシデントのある風景


「あった!」


 机の一番下の深い引き出しを開けた瞬間、思わず声が出た。

 驚きと喜びがいっしょになったような感情が胸の奥から湧きあがる。

 そこには、古ぼけた原稿用紙の束――中学から高校にかけて書き溜めた七編の小説があった。


 目を通してさらに驚いた。中身が正確に再現されていたから。癖のある筆致はもちろん、線で消して書き直した個所まで見事に再現されている。

 一言一句を憶えているわけではないが、全くと言っていいほど違和感はない。私の潜在意識の領域に格納されている情報までSJWには漏れなく反映されているのだろう。


 ダブルクリップで留められた、厚めの原稿用紙を手に取ってみる。

 表紙には「715セブン・ワン・ファイヴ」のタイトル文字。私が最初に書いた作品で最も思い入れが深いものだ。

 SFとオカルトと野球を融合させたような作品で、舞台がアメリカと言うこともあり、渡米後も大リーグの話題が出るたびに作品のことを思い出した。「誰かにストーリーを聞いてもらいたい」。そんな衝動が抑えきれず村上に粗筋を話したことがある。出版社に持ち込むとしたら「まずこの作品」と決めていた。



 一九三四年、初めての日米野球が開催された。

 当時の日本にはプロ野球が創設されておらず、日米の野球のレベルは大人と子供ほどの差があった。アメリカの選手は家族同伴で来日しており、主たる目的は観光であって試合はおまけのようなものだった。

 しかし、そんなアメリカチームのおごりは、日本チームの一人の投手「沢木さわき 英治えいじ」によって打ち砕かれる。沢村の快刀乱麻のピッチングの前にアメリカチームは凡打の山を築く。一対〇で辛くも勝利したものの得点はエラー絡み。ヒット二本は負けに等しい内容だった。

 そんな沢木に一際熱い視線を送っている男がいた。アメリカチームのベテランスラッガー「マイク・ルース」。

 ルースは沢木からホームランはおろかヒット性の当たりさえ打つことができなかった。それは大きな屈辱を感じた瞬間であると同時に、ライバルを見つけた瞬間でもあった。

 その後、ルースは病気で、沢木は戦争で、それぞれ帰らぬ人となる。ホームラン七百十四本の大リーグ記録を打ち立てて引退したルースだったが、沢木と再戦しホームランを打ちたいという未練を残していた。

 死んでも死にきれないルースは、神様に頼み込み、交通事故で生死の境を彷徨さまよっていた、日本人の少年の身体を借りて復活する。

 一方、沢木も大リーガーを相手にしたとき身体全体で感じた高揚感が忘れられず、もう一度戦いたいという思いがあった。

 沢木は、航空機墜落事故で植物状態にあった、アメリカ人の少年とコンタクトを取り「自分の命を提供する代わりに野球をするときだけ自らの意識を発現する」といった約束を取り付ける。

 二人はそれぞれの国で着実にステップを踏み、少年野球の国際大会に駒を進める。

 沢木が乗り移った少年のピッチングを見た瞬間、ルースはそれが彼であることを確信する。こうして、二人は運命の再会を果たす。

 果たしてルースは七百十五本目のホームランを放つことができるのか? 宿命のライバルである沢木から。



 四百字詰めの原稿用紙百枚ほどのストーリーではあるが、単なるオカルトに留まらず、それぞれの心の葛藤や運命の出会いを効果的に描くことを心掛けた。

 もつれた糸が少しずつほどけ、二人の距離が磁石のNとSが引き合うようにせばまっていく描写に力を入れた。読み返しては何度も改稿したのを憶えている。


 プロの編集者に見てもらいたいという、強い気持ちはあったが、編集者はおろか他人の目に触れれることはなかった。

 しかし、今であれば見てもらうことも可能だ。手っ取り早いのは、出版社に飛び込みで原稿を持ち込むこと。強引かもしれないが、コンテストへ応募するというのは時間がかかり過ぎる。結果が出るまでヤキモキするのは私の性に合わない。


 とは言いながら、どこの出版社へ持ち込めばいいのだろう?

 インターネットも普及していない時代だけに、それぞれの出版社がどんな作風を求めているのか、よくわからない。電話帳で番号を確認して手当たり次第飛び込むというのも現実的ではない。

 私のような実績も何もない青二才が「小説を読んでください」などと言ったところで、適当にあしらわれるのが落ちだ。


 そのとき「ある考え」が浮かんだ。


『『矢波』だ。『矢波』に夕日出版の文芸担当を紹介してもらおう』


 矢波と言うのは、父の友人の娘で幼馴染おさななじみの「矢波やなみ 麗子れいこ」。

私の記憶が確かなら、彼女は父親のコネで大手出版社「夕日出版社」に入社している。下っ端であっても担当者の紹介ぐらいは期待できる。

 勤務先は確か築地にある夕日新聞社ビル。私は「715」の原稿を入れた紙袋を手に家を飛び出した。


★★


 十五分ほど歩いて東急東横線に乗った。駅までの街並みも距離感も私の記憶通り。中目黒で地下鉄に乗り換えたが、電車の中でも違和感は感じなかった。


 築地駅で降りたのが午後二時過ぎ。週休二日制がまだ珍しい時代だったが、通りはたくさんの人で賑わっていた。

 中央卸売市場が近いことで観光客も多く見られる。当時の人気アイドルを真似たヘアスタイルや服装も目に付く。


 地下鉄を降りて三分ほど歩いて夕日新聞本社ビルに到着した。

 一階のフロア全体がロビーとなっており、受付カウンターと接客スペースが設けられている。一角にはドリンクショップが併設され、打ち合わせをする際、飲み物を注文することができる。


「すみません。夕日出版社の矢波さん……矢波麗子さんをお願いします。友人の深見真と言ってもらえばわかります」


 私は受付カウンターに歩み寄ると、制服を着た、受付の女性に尋ねてみた。


「部署はどちらになりますか?」


 女性が穏やかな口調で訊き返す。


「申し訳ありません。わからないので、調べてもらえませんか?」


「少々お待ち下さい」


 女性は私の見えないところで冊子を確認する。社員名簿か何かなのだろう。今ならパソコンで簡単に検索できるが、当時はこんなものだ。


「お待たせしました。申し訳ありませんが、矢波麗子というものは当社にはおりません」


 私は言葉を失った。狐につままれたような気分だった。

 私の記憶では、矢波は間違いなく夕日出版社に入社している。そうであれば、SJシステムが私の記憶を具現化しているはずだ。母の料理、父の海外出張、妹の海への旅行、私の書いた小説。どれも私の記憶通りだった。

 

 カウンターの前で固まる私の後ろに人の列ができている。受付係が困ったような顔をしている。編集者を紹介して欲しいなどと言ったところで、担当部署へ取り次いではくれないだろう。

 丁寧に礼を言って私はその場を後にした。


★★★


 封筒から原稿を取り出して目を通しながら出口へ向かった。

 ふと出口の付近で足が止まった。


「もしかしたら、これがホストコンピューターによる矛盾修正なのか?」


 そんな不安が脳裏を過った瞬間、右脇に何かがぶつかる衝撃を感じた。

 無数の原稿用紙が宙を舞う。自分がロビーの床に仰向けに倒れ込んでいるのがわかった。上半身を起こした私の目に、床に散らばった原稿用紙の中でうつ伏せに倒れている誰かの姿が映る。


「大丈夫ですか?」


 私は恐る恐る声を掛けた。

 間髪を容れず、鋭い視線が私に突き刺さる。


「大丈夫なわけないでしょう! どうして急に止まるの!? キミには常識ってものがないの!? だ、大事な原稿が……! 早く拾いなさいよ! この原稿のおかげで『トワイライト』はもってるんだから……って、こんなところで油売ってる場合じゃないのよ! 印刷所、閉まっちゃう! 早く拾って! 早く!」


 何が起きたのかは概ね理解できた。ただ、何もしゃべらせてもらえなかった。

 目の前のショートカットの女性に言われるまま、散乱した原稿用紙を広い集めるだけだった。


 ふと左ひじに痛みを感じた。少し血がついている。倒れた拍子にいたようだ。


「あっ、血が出てる。ゴメンなさい。このハンカチ使って。それから、もし他にケガとかしていたら火曜日以降にここへ電話して。月曜日はダメだからね。戦争状態で電話になんかとても出られないから。月曜までに原稿を確定しないとあたしのクビが飛んじゃうの……。あっ、印刷所閉まっちゃう。早く行かないと」


 黒いパンツに白いシャツと黒いジャケットをまとった、ボーイッシュな彼女は、小さく手を振ると、原稿と書類袋を小脇に抱えて満員のエレベーターの中へ消えていった。真っ白なハンカチと一枚の名刺を残して。


「月刊トワイライト編集担当・岡安 かをりか……」



 つづく

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