第5話 理不尽戦場


 渡米した日の夜、世界保健機関WHO感染症対策チームの結団式が行われた。

 関係者の顔合わせを兼ねた、立食形式の食事会には、チームスタッフのほか、世界保健機関WHOの幹部、関係国の医療担当高官、協力企業のスタッフなど約百人が出席した。


 チームスタッフは、世界十五ヶ国から招集された、免疫・感染症を専門とする医療スタッフが四十人と、プロジェクトをサポートする組織運営スタッフが十人。三十代から六十代の男女で、日本からは私と国の審議会の委員を務めている、シンクタンクの主席研究員が選ばれた。彼と面識はなかったが、その論文には何度か目を通したことがあった。

 医療スタッフは、錚々そうそうたる顔ぶれで、私が名前を知らない者はほとんどいなかった。ちなみに、三十代のスタッフは、組織運営スタッフを除けば三人だけで私が最年少だった。


 式典の冒頭で私たちのチーム名が発表された。

 正式名称は「世界保健機関WHO感染症対策チーム」。呼称は「NLプロジェクト」。NLというのは「Northern Light ノーザン・ライト」の略で私たちが戦うウイルスの名称だ。


 続いて、世界保健機関WHO幹部からNLウイルスと対峙する際の心得についての話があった。

 まず、背後にテロ組織やテロ国家が存在することを想定して常に最悪の状況を念頭に置くこと。次に、ちょっとした迷いが命取りとなることを常に認識すること。そして、自分たちが敗れたら後がないことを肝に銘じておくこと。

 どれもとても重い話で会場が水を打ったように静まり返った。


 NLウイルスの感染拡大を防ぎ根絶やしにするのが私たちNLプロジェクトの役割。私たちの対応が世界の未来を左右すると言っても過言ではない。

 敵の正体が明確になっていない以上、ことが上手く運ぶ保証などどこにもない。テロが絡んだ武力衝突に発展する可能性も否めない。

 そんな過酷な状況に置かれているのがわかっていながら、相変わらず微かな希望――「ミッションを通して新しい自分になる」という希望を抱いていた。


★★


 「戦場」という言葉の意味は理解しているつもりだった。

 敵と交戦を繰り広げる場所。少しでも気を抜けば、命を危険に晒す場所。この世でありながらまるで地獄のような場所。

 昔から人は大切な何かを守るために戦場に赴く。守るものがあるからこそ、不安な気持ちを抑えて地獄へ赴くことができる。

 NLプロジェクトは二十四時間三六五日戦場にいる。結成以来休むことなくずっと戦い続けている。それは、NLウイルスから大切なものを守るため。

 しかし、そんな思いとは裏腹に、私たちはずっと苦戦を強いられ辛酸をなめ続けていた。


 患者が一歳未満の乳児に限られるため正確なことはわからないが、体温の上昇に比例して、患者の全身には激痛が走っていることが確認された。

 短時間でウイルスは増殖し血管を通って全身にくまなく行きわたり、神経をじわじわとむしばむ。赤ん坊が狂ったように泣きじゃくるのは、単なる倦怠感や鈍痛のせいではなく、全身を鋭利な刃物でえぐられるような痛みを感じているから。

 他方、抵抗力の弱い者にしか発症しないのは、致死率が高い反面、ウイルス自体は脆弱であるため。

 ウイルスの弱点がわからない以上、耐性の強弱など取るに足りないことと思われるかもしれないが、弱点が不明でも打つ手がないわけではない。


 もともとウイルスには感染源と感染ルートが存在する。それを発見し感染しないような処置を施せば、致死率が百パーセントのウイルスであっても恐るるに足りない――が、NLについては感染源が全くわからなかった。

 一歳未満の乳児の行動範囲はたかが知れている。口に入れるものも親がコントロールできる。赤ん坊同士の接触や体液の移動による感染が現実的でないことを考えれば、消去法により空気感染だと考えることができる。

 ただ、ある地域に住んでいる赤ん坊がすべて感染しているわけではない。ある一角の空気にだけウイルスが存在すると言うのも仮説として信憑性が低い。


 NLプロジェクトは、十年以上もの間、「感染源及び感染ルートの特定」と「対ウイルス薬品の開発」という二つのアプローチを進めてきたが、期待する成果を得ることはできなかった。


 料理を作るとき、普段いっしょに使用することのない食材AとBを誤って同じ鍋に入れた結果、味わったことのない美味しさを実感できたとする。それは文字通り「偶然の産物」。

 そんな偶発的な臨床さえ、必死に試していた。言い換えれば、演繹えんえき的に答えを導き出すのではなく、帰納的なアプローチに頼っていた。

 それは、私たちが奇跡のたぐいに頼らなければならないほど追いつめられていることを意味していた。


★★★


Jesus神様……」


 わが子の短い人生が終わりを告げた瞬間、両親が喉の奥から絞り出す、呪いのような言葉を何度聞いたことかわからない。

 死者の数は十年で七万人。世界のどこかで一日二十人の乳児が死亡している計算になる。発展途上国で飢餓により亡くなる子供の数を考えれば「大したことはない」などと思う人がいるかもしれない。ただ、私にはそんな風に達観することはとてもできなかった。


 赤ん坊の苦しそうな泣き声と親の悲痛な叫び声は、現実の世界だけに留まらず夢の世界まで私を追いかけてきた。寝ても覚めてもそんな声が耳について離れなかった。

 日本を発つとき、「二度とこんな思いはしない」と心に誓った。しかし、誓いはいとも簡単に破られた。

 冷たくなったわが子を抱きしめながら泣き叫ぶ両親の横で、いつも私は下を向いていた。顔を上げることができず、身体を震わせながら歯を食いしばっていた。自分の無力さに怒りのやり場を見いだせずにいた。


 私たちはいつも戦場にいる。しかし、傷つくのは、私たちではなく、幼い子供たちばかり。NLと対峙して「理不尽な戦場」があることを知った。


 渡米して私は変わった。日本にいるときは、身近に子供がいなかったこともあって、子供への愛情は贔屓目ひいきめに見ても人並み程度だった。

 しかし、毎日のように何の罪もない子供たちが死んでいく姿を見てきたことで、改めて命の尊さを実感し、子供たちに対する愛情が深いものへと変わっていった。


「偶然でもいい。競馬のビギナーズラックのたぐいでもいい。NLを止めるヒントが欲しい。いるなら一度ぐらい頼みを聞いてくれ。神様」


 そんな言葉を口にするようになったのは、二〇一四年が終ろうとしていた頃。

 ただ、そのときは全く予想していなかった。年が明けて、自分が神様の存在を信じるようになることを。



 つづく

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