第2話 分岐点


「医師の使命は人の生命いのちを救うこと」


 それは当たり前のことであり否定する者はまずいない。「あなたは医師として使命を果たしているか?」と訊かれたら、私は迷わず「Yes」と答えるだろう。


 では、「あなたは使命を果たしていることに満足しているか?」と訊かれたらどうだろう。私の答えは「Yes」でもあり「No」でもある。


 それなりの評価を受けた二十年だった。人の役に立ったという自負もある。ただ、それは「満足している」という意味ではない。

 なぜなら、私が小さい頃から見続けてきた夢は叶っていないばかりか、叶えるための努力すら全くできていないから。


 自分の中で激しい葛藤があった。「諦めた方が楽になるのではないか?」。そんな自問自答をしたのは一度や二度ではない。

 しかし、諦め切れなかった。「諦めたら死ぬ瞬間に後悔する」。心が折れそうになると、決まってどこからかそんな声が聞えた。


「もし医者になっていなかったとしたら?」

「もしなりたかったものを目指していたとしたら?」

「もし二十年前に戻れるとしたら?」


 四十代も半ばに差し掛かり、これまでの人生を振り返ることが多くなった。

 口にしたからと言って、どうにかなるものではない。そのことは自分でもよくわかっている。仕事が一段落して余裕ができたことに加え、年をとって気が弱くなったのかもしれない。


 これまでは、毎日が戦争だった。

 

 心身ともにくたくたで家に帰って寝るだけの生活が続いた。病院や医療施設で夜を明かすことも日常茶飯事だった。

 いくらがんばっても事態が好転することはなく、悪いニュースばかりが飛び込んでくる。毎日のようにマスコミに叩かれ世間からは罵声を浴びせられた。


 そんな環境では、とても自分の夢を追い求めることなどできなかった。


 医師として生きた二十年すべてを後悔しているわけではない。ただ、自分の可能性を試せなかったことが悔しくてならない。自分の文章が誰の目にも触れなかったことが残念でならない。

 疲れた中年の戯言に聞こえるかもしれないが、そんな後悔と焦燥が、今の私の正直な気持ちだ。


 子供の頃は目を輝かせながら文章と向かい合った。瞳に映る世界は、常に新たな発見があり希望に満ちていた。


 では、今はどうだろう? 

 いつも何かにおびえるように自分の周りを眺めている。暗くよどんだ瞳には希望など微塵も映っていない。


 私はあまりにも壮絶な体験をした。

 悲惨な現実に目を向け、耳を傾け、手を触れ、そして――絶望した。

 一つ一つの光景は私の心に深い爪痕つめあとを残し、今もことあるごとに私を苦しめる。

 時間ができたからと言って、とても文章を書く気にはなれない。


 もし願いが一つ叶うとしたら、私は何の躊躇ためらいもなく願うだろう――「あの頃に戻りたい」と。

 地位も名誉も報酬も要らない。真っさらな気持ちと真っ白な原稿用紙さえあればそれでいい。


 SFやファンタジーの世界であれば、私の苦しみを解き放ち、願いを叶えるすべはある。しかし、今私がいるのは紛れもない現実の世界――希望の欠片すら存在しない、残酷な世界に他ならない。


 深見 真ふかみ まこと。四十五歳。独身。アメリカ合衆国ワシントン州在住。世界保健機関WHO感染症対策チームスタッフ。

 一九九四年東都大学医学部卒業。同大学大学院進学。医師免許取得。一九九八年同大学院卒業。同大学附属病院免疫・感染科助手を経て二〇〇〇年WHO勤務のため渡米。現在に至る。


★★


 十五年前、私が東都大学付属病院に勤務していたとき、人生を大きく左右する出来事が起きた。


 大学の付属病院は原則救急病院に指定されている。

 二十四時間三百六十五日、患者に満足のいく治療を施すべく、適切な医療環境を整え、知識・経験を有する医師を常駐させることで、高度な医療サービスの提供を図っている。

 東都大学付属病院も例に漏れず、昼間はもちろん、夜間も救命救急センター付けで内科系・外科系の医師と看護士四人を常駐させていた。


 都内には、私の病院と同レベルの救急指定病院がいくつも存在するが、需要に供給が追い付いていないのが現状で、どの病院も当直医は多忙を極めていた。

 仮眠はおろか食事すら摂れないのが普通で、私も四十八時間飲まず食わずで患者に対応した経験がある。


 救急隊員からの連絡を受けた当直医は患者の状態を確認し、病院のキャパシティを勘案したうえで患者の受け入れの可否を判断する。

 満足な医療行為が施せないと判断される場合には受け入れを断るが、その際、救急隊員と口論になることもある。


 その夜は、日付が変わっても電話が鳴ることはなかった。


 研修医の時期を含めて六年以上当直を経験したが、そんなことは初めてだった。

 電話が故障しているのではないかとダイヤル一一七をプッシュしたが、時刻を案内する音声が正常に流れる。


 あまりにも暇だったため、学会へ提出する論文の執筆を進めた。

 学会に所属している以上、定期的に研究成果を発表するのは必須で、激務の中、研究者は身体に鞭打って論文を執筆する。

 学会への加入は義務ではないが、非加入となれば情報が全く入ってこなくなる。それは研究者にとって死活問題。

 とは言いながら、私が所属する、四つの学会はいずれも父から強制的に加入させられたもの。大学院を卒業し一人前の医師となってからも、父の敷いたレールの上を走らされていることに変わりはなかった。


 午前一時をまわった頃、最初の電話が鳴った。


 受話器をとった瞬間、救急車のサイレンと子供の泣き声が耳に飛び込んできた。救急隊員が救急車の中から掛けているようだ。


「患者の年齢・性別・容体を教えてください」


 いつものように必要事項を確認する。受け入れ側のキャパシティについては問題ない。ただ、症状によっては特別な体制を構築する必要がある。

 緊急を要する場合で、当直医の専門性や熟練度により満足な対応が困難であると判断される場合には、マニュアルで決められた者の判断を仰ぐこととなる。また、緊急手術が必要な場合には、非番の専門医を呼び出す。


「患者は生後六ヶ月の男の子です。三十九度近い発熱が見られます。それから、気になる症状が見られます。背中に複数の色が入り混じった帯状の模様が浮かんでいます。赤ちゃんが泣き出したとき、母親がこの模様に気がついたそうです。五分後にそちらへ到着します。よろしくお願いします」


「わかりました。救命救急センターの入口から搬入してください。念のために、皆さん、マスクと手袋を着用してください」


 電話を切って眠気覚ましのブラックコーヒーを喉の奥に流し込んだ。頭ははっきりしていたが、救急隊員から聞いた「帯状の模様」についてイメージができなかった。


 内出血したときに現れる暗赤色の線? 肝疾患に伴う黄色の線? 凍傷による紫色の線? 思考を巡らしてはみたが、どれもピンとこない。

 異なる症状が同時に発生した可能性はゼロではないが、現実的とは言えない。実際に自分の目で見るまで対策の取りようがない。

 感染症の可能性を視野に入れて、隔離室で診察を行うことにした。


 夜の巨大病院は昼間の喧騒が消え失せ、水を打ったように静まり返る。

 それは、都心のオフィス街とどこか似ている。闇の中で「救命救急センター入口」の赤い文字が灯っている様は、人気ひとけのない街で煌々こうこうと輝く、企業のネオンサインを彷彿させる。

 ただ、オフィス街と違うのは、命が危険に晒された者が運び込まれた瞬間、戦場へと変貌すること。


 救急車のサイレンの音が大きくなる。どうやら救急車が到着したようだ。

 サイレンの音が止んで再び静寂が訪れる――が、それは一瞬だった。狂ったように泣きじゃくる赤ん坊の声が静寂を打ち破ったから。


 妙な胸騒ぎを覚えながら、私は足早に救命救急センターへと向かった。



 つづく

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