第1章 Northern Light

第1話 夢想少年


 夢には二種類ある――眠っているときに見る夢と起きているときに見る夢。


 起きているときの夢はすべての人が見るわけではない。

 もともと見ない人もいれば途中で見るのを止めてしまう人もいる。

 ほとんどは叶わないものであり、夢を見続けることで大きな失望や落胆を味わうこともある。

 夢を見ることはただの現実逃避であり、いたずらに時間を浪費する行為だと言う人もいる。


 ただ、人は夢を見ることで前向きに生きることができる。夢に向かって努力することで持てる力以上のものを発揮することができる。困難な状況を克服したり、たくさんの人を幸せにすることだってある。

 夢を見る過程には大きな意味があり、結果だけがすべてではない。


 私には小さい頃からずっと見続けてきた夢――実現するのがとても難しい夢がある。しかし、夢の炎は今も消えてはいない。何度も消え入りそうになりながら心の奥底でくすぶっている。


★★


 本が好きな子供だった。特にSFやファンタジーには目がなく、寝食を忘れて読みふけった。

 授業が終わる時間が近づくにつれ気もそぞろになり、先生の話が右から左へと抜けていく。

 チャイムが鳴るや否や、放課後の約束を取り交わすクラスメートを後目しりめに教室を飛び出し、一目散に家まで走った。

 息を切らしながらの「ただいま」はいつものこと。運動靴を脱ぎ捨て階段を一気に駆け上がり、ランドセルを背負ったまま本に挟んだしおりを探した。


 ページを開いた瞬間、意識が別の世界へ旅立っていく。

 自分だけの世界で思う存分活字をむさぼることが、小学生の私にとっての至福の時間だった。

 ウエルズ、クラーク、アシモフ、ブラッドベリ、キング、クライトン、トールキン――好きな作家をあげ出したら切りがない。


 本が終わりに近づく頃、駅前のブックショップへ足を運んだ。そこは私にとって宝島のような場所。品揃えが豊富なうえに、当時としては珍しく、外国文学の翻訳版が充実していた。

 斜め読みをして興味がわいたものがあればすぐに購入した。今思えば、小遣いで本以外の物を買った記憶はほとんどない。


 通っていたのは、東都大学の附属小学校。一、二を争う、私立の名門大学へ進学できるとあって競争率は五十倍を超えていた。

 入学試験は筆記のほか親子面接があり、親の職業や収入についても詳しく聞かれた。私立だけに、優秀な生徒を確保することに加え、学校の運営資金を確保することが選考の重要なポイントだったのだろう。

 実際、クラスメートはいわゆる「金持ち」と呼ばれる家庭の子供ばかりで、かく言う私も多分に漏れず、暮らしは裕福な部類だった。


 家族は、両親と六つ違いの妹が一人。

 父は東都大学附属病院の教授。「免疫学の第一人者」と称され、常に権威や威信という言葉が付いて回る人物。家にいるときも厳格なイメージが漂い、顔を合わせるといつも説教ばかり。正直なところ、父と接するのが苦手だった。私が部屋に閉じこもっている時間が長かったのは、父の存在があったことは否めない。

 そんな父に対し、母はいつも明るく笑顔を絶やさない人だった。母とは普段から気さくに話ができ、父から手厳しい言葉を浴びせられたときもさり気なくケアしてくれた。普段ほとんど話をすることがなかった妹のことは、母を介して知ることが多かった。


★★★


 中学三年になった頃、読むことに加え、書くことに興味を持った。

 それは、多数の作品から得た知識や発想を使って、自分だけの世界を創造したいという、自己実現欲みたいなもの。

 しかし、いざ書いてみると筆は一向に進まない。頭の中にあるイメージを文字にした瞬間、陳腐なものへ成り下がってしまう。

 書いては消し、消しては書いた。ボロボロになった原稿用紙を眺めながら、作家の偉大さを実感した。


 イメージを文章にするだけでも難しいのに、文章で人の心を動かしたり人に夢や感動を与えたりするのはすごいことだと思った。敬意と焦燥がいっしょになった感情が湧きあがる――が、絶対に諦めたくなかった。

 「いつか人の心を動かすような文章を書く」。そんなポジティブな気持ちを忘れずにいられたのは、きっと文章の持つ魅力に心酔し、自分の文章に微かな希望を――夢を見続けることで存在し得る希望を抱いていたから。


 最初はいたずらに時間が過ぎていったが、書いていくうちに少しずつコツがわかってきた。


 物語を書くのはビルを建てるのと同じで、綿密な設計が必要不可欠。物語の設計図たるプロットをお座なりにした文章はあらが見え隠れする。読んでいると突如得体の知れない気持ち悪さに襲われる。そんな経験を踏まえて、書きたい気持ちを抑えながらプロット作りに時間を割いた。


 ストーリーの流れ、登場人物の性格、物語の構成などをこと細かに取りまとめ、物語の全容が頭に入ったのを確認していざ執筆に取り掛かる。

 書いている途中で新たなアイデアが浮かんでストーリーや設定を変更したくなることもあった。しかし、それを行うのは容易ではない。矛盾が生じないよう細部を確認するのはもちろん、物語の流れが損なわれたりヤマが失われないよう、全体の書きぶりを見直す必要があった。

 そこを適当に済ませると作品は味気ないものとなる。ビルの建設で言えば、居住性や利便性が悪くなり、最悪の場合、倒壊といった大惨事に陥る。


 初めて作品が形になったのは、中学卒業を控えた頃だった。

 それまで読んできた作品と比べたら「落書き」のレベル。しかし、そんな落書きを前に高揚した気持ちを抑えることができなかった。

 傍から見れば、自己満足以外の何物でもない。ただ、読むことでは得られることのない何かがそこにはあった。それまで目にすることのなかった、新たな世界を垣間見たような気がした。


★★★★


 読む楽しさに加え書く楽しさを覚えた私だったが、高校入学と同時に取り巻く環境が一変する。

 それまで勉強とは無縁だったクラスメートが目の色を変えて勉強を始めた。

 附属高校は成績が良い者から進学先の学部を選択することができるが、基準となる成績は高校三年間の平均値が採用されるためだ。


 東都大学の看板学部は、言わずと知れた医学部。伝統と権威があり国立大学の医学部を蹴って入学してくる者も少なくない。「東都大学医学部卒」という肩書きが社会的ステータスとなることに加え、卒業生のコネクションにより病院での出世や研究費の助成にも多大な影響を及ぼす。

 附属高校の生徒の父兄が医療関係に携わっている者が多いのもそのためで、成績優秀者のほとんどは医学を志望した――が、志望通り進学できるのは十人に一人程度。「わずかな席を巡ってのイス取りゲーム」。医学部を目指す者にとって高校生活はそんな形容がぴったりだった。


 それは私にとっても他人事ではなかった。高校に入学するや否や父の厳格な態度に拍車が掛かる。


 私は医者になるつもりなどなかったが、父の思いは違った。附属小学校に入学した時点で私の前には見えないレールが敷かれていた。

 私の祖父もかつて附属病院の医師で名誉教授の肩書きを持つ、免疫学の分野における、ひとかどの人物。文化勲章の受章歴もあり父の教えのほとんどは祖父から受け継がれたものだった。


「男子たる者、医者となるべし。そのための努力惜しむべからず。それ実現ならざること恥ずべきことと思へ」


 そんな仰々ぎょうぎょうしいフレーズをことあるごとに聞かされた。

 自分の進路を自分で決められないというのは理不尽極まりない。ただ、父に抗うすべがない私には、第一志望を「文学部」とする選択などあり得なかった。


 毎日午後七時から十一時まで家庭教師がついた。彼は東都大学医学部の学生で附属高校の出身者。まさに打ってつけの人物だった。

 四時間に及ぶマンツーマンの個人レッスンに父の執拗なまでの干渉が加わり、心身ともにくたくたの状態が続いた。読書や執筆でストレスを発散できれば良かったが、そんなわずかな時間を確保するのも難しかった。日付が変わって眠い目をこすりながら原稿用紙に向かったところで、納得のいく文章など書けるはずなどなかった。


 もどかしい時間がいたずらに過ぎて行った。

 高校三年の十二月、私は東都大学医学部の推薦を受けることとなる。



 つづく

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