第23話 ワインレッドの横浜
★
JR関内駅の周辺は、官庁や企業が立ち並ぶ、横浜のビジネス街であると同時に、多くの観光スポットを有する、関東指折りの観光地――横浜中華街、山下公園、横浜元町、港の見える丘公園、外人墓地、マリンタワー、横浜スタジアム。古い物から新しい物まで名前をあげ出したら切りがない。
金曜日の午後ともなれば駅周辺は人で
そんな中、白い柱の前に立つ、ワインレッドの出立ちのかをりはひと際目を惹いていた。
「かをり、こんにちは。早いね」
私が努めて普段通りに話し掛けると、遠い目で通りの方を眺めていたかをりは驚いたように私を見た。
目に入りそうな前髪が
「部屋の掃除が早く終わったから早めに来ちゃった。深見くんこそ早いね。どうしたの?」
かをりは口角をあげて笑顔で話し掛ける。真っ赤なルージュが施された口元が妖しい雰囲気を
艶やかな服装を身に
「こんな天気だから、家にいても
「今日のお天気、かをりさんの心掛けは良かったけれど、深見くんの心がけが悪かった結果ね。そんなにかをりさんと出掛けるのがイヤだったわけ? 失礼しちゃう」
かをりは顔を「ぷいっ」と背ける。話している様子はいつもの彼女と変わりない。
「それにしても、すごい変わりようだ」
「えっ? そんなにイメージ変わっちゃった?」
私の一言にかをりは心配そうな顔をする。
「いや、そういうことじゃない。今までモノトーンの服装しか見たことがなかったから、ちょっとビックリした」
間髪を容れず、私は首を横に振る。しかし、かをりの表情は相変わらず曇っている。
「愚図ついたお天気だから、服装ぐらいは明るくした方がイイかと思ったの。派手なのにしてみたんだけど……変かな?」
「そんなことない! すごく似合ってる! みんなキミのことを見てる! まるでファッション雑誌から抜け出してきたみたいだ!」
自分でも「わざとらしい」と思うリアクションだった。
ただ、かをりが普段と違う装いをしてきたのは意味があるわけで、それが何であるにせよ彼女の考えを尊重すべきだと思った。
「口が上手ね。何か美味しいものでもご馳走しないと。じゃあ、そろそろ行きましょうか?」
かをりに笑顔が戻ったことで私は安堵の胸を撫で下ろした。
「どこへ行こうか?」
そんな言葉を発した瞬間、かをりの顔から笑顔が消え、訝しい眼差しが私に向けられた。
「深見くん? それって初デートにおける男性のタブー発言だよ。女の子にしてみたら『この人、デートプラン考えて来なかったの? 私のことなんかどうでもいいのね』なんて思っちゃうよ。本番では気をつけてね」
いきなりダメ出しを喰らった。ただ、かをりはいつものかをりだった。
昨日の夜のことが気にならないと言えば嘘になるが、問い
「小降りになったみたいだから、山手まで歩いて異人館でお茶しない? 『えのき亭』なんかどうかな?」
「わかった。そうしよう」
私は二つ返事で了承した。ちょうど小腹が空いたところでもあったし、何よりかをりが喜ぶならそれが一番だと思った。
普段はモノトーンの服装ばかりでメイクにもあまり気を使わない彼女がお洒落をしてきたのは、普通に考えれば、この日をとても楽しみにしていたからだろう。
そうであれば、できるだけ楽しく過ごしてもらうようエスコートするのが私の役目だ。「すごい変わりようだ」などと言ったのはNGワード以外の何物でもない。私は心の中で深く反省した。
★★
雨はほとんど止んでいた。ただ、空は相変わらず分厚い灰色の雲で覆われ、いつまとまった雨が降ってもおかしくなかった。
私の服装は、ポロシャツにチノパン、モスグリーンのサマージャケットと濡れてもさほど問題はない。しかし、かをりはそうはいかない。折りたたみの傘は持ってきたが、あまり酷くなるようであれば、早めに切り上げなくてはいけない。
山手の坂道を上っていくと、横浜ならではのエキゾチックな風景が目に入る。雨に濡れた外人墓地や異人館。少し煙った横浜港やマリンタワー。どれもとても風情がある。みなとみらいの方には、先月開業したばかりのランドマークタワーが見える。
そうこうしているうちに、私たちの目の前に目的地である「えのき亭」が姿を現す。
外国人の居住地だった山手に残る、数少ない異人館の一つで、一階の喫茶ルームは二十世紀初頭にタイムスリップしたような装飾が目を引く。
私たちが頼んだのはレモネードとレアチーズケーキ&ジャムつきのスコーン。非日常の空間で味わう、横浜らしいスイーツにかをりも大喜びだった。
心掛けが良かったのか、店を出る頃には、雨はすっかり上がっていた。
「これでお腹は問題なし。次はショッピングね。横浜に来たらやっぱり元町に行かないと。深見くん、準備はイイ?」
「いつでもOKだ」
普段の私であれば、長時間拘束されることがわかっている、ショッピングの付き添いなどは引き受けたりしない。しかし、今日の私の役目は、かをりのエスコート。そのことをしっかりと頭に叩き込んだ。
石畳の通りが数百メートル続くショッピング街・横浜元町。横浜発祥のブランドはここで
ウィンドウ・ショッピングをしながら、メインストリートを歩いていたら、小雨がパラつき始めた。八月だと言うのに空気が冷たく感じられる。
時刻は午後六時を回っている。私は長袖のジャケットを持っているが、かをりは半袖のワンピースだけ。風邪でも引いたら大変だ。
「かをり、もう六時を回っている。気温が下がってきたし雨も降ってきた。そろそろ帰ろう」
「えぇ~!? 全然寒くないよ! もう少しだけお願い!」
「大丈夫? 無理してない?」
「大丈夫、大丈夫! かをりさんの身体は丈夫にできているの。鍛え方が違うから」
かをりは両手の拳をグッと握り締めるような仕草を見せて私の言葉を一蹴する。
「わかった。無理はしないように」
私は仕方ないと思いながら彼女のショッピングが終わるのを待つことにした。
★★★
かをりが両手に紙袋を抱えて戻って来たのは、一時間が経った頃だった。
「深見くん、これ見て。さすがは元町だけのことはあるよ。大漁、大漁。でも、ちょっぴり重いなぁ。腕が折れちゃうかも。誰か助けてくれないかなぁ……」
かをりは、何かを期待するように悪戯っぽい眼差しを向ける。
私は小さく笑いながら紙袋を渡すように言った。
「ねぇ、深見くん。もう帰っちゃう?」
「ああ。夜になると雷雨があるらしいから」
「足が痛くなっちゃった。それにお腹空いちゃった……。何か食べていかない?」
かをりが上目づかいに私の顔を見る。そう言われて見れば、腹が減った。雨はまだ小降りだし食事をするのも悪くない。最悪の場合は、タクシーで駅まで戻れば済むことだ。今日は最後まで彼女のエスコートをすると決めたのだから。
ただ、先月の築地のランチもそうだったが、これまで食事代は全てかをりが支払っている。いくら私が学生だからと言って、これではエスコートしているとは言い難い。ここはご馳走するのが筋ではないか?
以前家族で食事をしたレストランが山下公園沿いのホテルにあったはずだ。港が一望できるシチュエーションも悪くはなかった。値段は高かったが、とりあえずカードで支払って後はバイト代をつぎ込めば何とかなる。
「わかった。夕食を食べて帰ろう。私が行ったことのあるフレンチの店でいい?」
「ホントに? すごくうれしい! 深見くん、どこへ連れてってくれるのかな?」
かをりは小首を傾げてにこやかな表情を浮かべた。
つづく
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