第4話 機密情報
★
体温と心拍数が正常値に回復した赤ん坊が、数分後に心肺停止の状態に陥った。
心臓マッサージと強心剤の併用による蘇生を試みたが、赤ん坊は二度と目を開けることも声をあげることもなかった。
諦め切れない私は、なりふり構わず心臓マッサージを続けた。
そんな私を制したのは、後から駆け付けた浅野先生だった。
呆然とする私の隣で、母親が悲鳴のような泣き声をあげる。彼女を抱きかかえながら、父親は声を押し殺して涙する。
とても見ていられなかった。
私が解熱薬を投与したことに問題があったのか? しかし、あそこで
ただ、うれしそうにジュースを飲んでいた赤ん坊が、数分後に短い生涯を閉じたのは紛れもない事実であり、こんなに近くにいながら何もできなかった自分が情けなかった。
浅野先生と二人で報告用のレポートを作成したが、そのときのことはほとんど憶えていない。
警察の捜査と事故調査委員会の調査が並行して行われ、重要参考人である私は毎日のように事情聴取を受けた。
さらに、事件性を追求するマスコミからの取材もあり、病院の広報担当は対応に追われた。
病院の名前が全国に知れ渡った一週間であり「まな板の上の鯉」である私は学会への提出論文を仕上げるどころではなかった。
そんな中、警察の捜査結果が発表された。「病院側の対応に法令に違反する行為は認められなかった」とのことで、刑事事件として立件されることはなかった。
時を同じくして事故調査委員会が会見を開き「当日の対応は適切なものだった」との発表を行った。その際、記者からオーロラ模様についての質問が寄せられたが、委員会の回答は「現段階では不明」、「赤ん坊のストレスから来る現象の一つかもしれない」、「引き続き情報収集に努める」といった、曖昧なものに留まった。
事件性を否定する発表があったことで、マスコミがオーロラ模様を取り上げることもなかった。有耶無耶になった感は否めないが、心身ともに
★★
午前中の検診が終わってデスクに戻ると、院長から電話があった。「すぐに部屋に来て欲しい」とのこと。
脳裏に「ある考え」が浮かんだ。「当日の対応は適切なもの」との発表がなされたものの、生後六ヶ月の子供の死が世間に与える影響は大きく、病院の社会的信用が損なわれたことは間違いない。そうであれば、当事者である私が何かしらペナルティを課されてもおかしくないと思った。
心のどこかでペナルティを望んでいた節があった。罰を受けることで自分が救われるような気がしていた。
院長室のドアは開いたままだった。
「失礼します。深見です」
「入ってくれ」
ノックをすると、
部屋に入った私を、院長はソファに座るよう促す。そそくさとドアを閉めて鍵をかけると、飲みかけのコーヒーの入ったカップを手に私の正面に腰を下ろした。
「昨日の夜、医療省から自宅に連絡があった。最初に言っておくが、良い話ではない。院内でこの情報を知っているのは私だけだ。医療省の中でも数人にしか知らされていない。この話は他言無用としてくれ。もし外部に漏れたら、私と君とで処理できるレベルのものではない。機密漏洩の罪に問われることにもなりかねない」
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
院長の口調から重大な何かが起きているのは明らかだった。医療省の幹部クラスで情報統制が行われているというのは只事ではない。
もう少し言えば、そんな重大なことを一介の助手である私に話す意図が理解できなかった。
「わかりました。絶対に口外しません。ここだけの話とさせていただきます」
決まり切った回答に院長はコーヒーを口に含んでゆっくりと頷く。
「君が当直したときに診た患者――オーロラ模様の赤ん坊のことだが、
ただ、どの国でも公にはしていない。患者が少数であることに加え、原因や感染源が何もわかっていない状況で公表すれば、各地でパニックが起きるからだ。
患者の共通点として、何の前触れもなく背中にオーロラ模様が現れ、体温が四十度を超え心拍数が二〇〇を超える。解熱薬を使うと熱はあっさり引いて背中の模様も消える。しかし、それから六時間以内に全ての患者が死亡している。当院のように数分後に死亡した患者もいる。ちなみに、患者はすべて生後一年以内の乳児だ。
当初アメリカから症例の報告を受けた
院長はカップに残っているコーヒーを一気に飲み乾す。
そのとき、私は期待と不安が入り混じったような、不思議な感覚を抱いていた。
不謹慎と思われるかもしれないが、院長の話に胸をときめかせる私がいた。自分が知らないところで展開する非日常。それはまさに、小さい頃夢中になって読んだ小説に通ずるものがあった。
★★★
「深見くん、ここからが本題だ」
院長はカップをテーブルの上に置いて、私に鋭い眼差しを向ける。
「
「ま、待ってください!」
院長の言葉に被せるように大きな声が出た。自分が院長に呼ばれた意図を理解したから。
「確かに、これまで私は感染や免疫の研究を行ってきました。ただ、まだわからないことだらけです。そんなチームに入る資格などありません。皆さんの足手まといになって、東都大学附属病院の名前に瑕をつけるだけです……そうだ! 浅野先生はいかがでしょうか? 浅野先生なら確実に戦力になります。どうか再考をお願いします」
小説に登場するような、非日常の出来事。そんな中で展開される超国家的プロジェクト――「魅力的ではない」と言えば嘘になる。ただ、やり遂げる自信がなかった。やるからには手を抜くことなどないが、私より適任と思われる医師が五万といるのもわかっていた。
「そんなことは百も承知だ。深見くん、話は最後まで聞きたまえ。医療省はピンポイントで君を指名してきたんだ。『オーロラ模様に直接対峙した医師』ということでね。そんな医師は日本中を探しても君しかいないよ」
「それは、偶然私が当直だったからです。他国にもオーロラ模様に対峙した医師はいるはずです。あえて私を指名する理由がわかりません」
私は、納得できる理由がない限り、プロジェクトチームへの参加を承諾するつもりはなかった。
院長は眉間に皺を寄せて視線を逸らした。
「……仕方がない。口止めされていたが話すとしよう。君をピンポイントで指名してきたのは、医療大臣の諮問機関・感染症対策審議会委員長の深見先生だ。
当初先生をメンバーに推薦しようと考えていた医療省に対して意見されたそうだ。先生は、オーロラ模様に対峙してなす術がなかった君に『リベンジの機会を与えるべきだ』とも言った。敗北の悔しさを味わった君だからできることがあるという意味でね。私も先生の意見に賛成だ。君にそんな気持ちがあれば、プロジェクトチームのスタッフは十分に務まる。何も即戦力として期待しているわけではない。スキルやノウハウを吸収して少しずつ成長してもらえばそれでいい」
唐突な話だった。しかし、驚きはなかった。
半ば無意識のうちに理解していたのかもしれない。医療省の決定に父が関与していることを。
父の名前が出た瞬間、「抗えない」と思った。これまで私は父の敷いたレールの上を歩いてきた。そして、これからも同じように歩かされる。
ただ、心の片隅で漠然とした期待感を抱いたのも事実。プロジェクトチームに参加することで、レールの外に踏み出せるような気がした。
一週間後、私は大学病院を休職し、国立感染症研究センター《JIID》へ出向する。そして、
つづく
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