第3章 Boy meets girl

第26話 若き深見真の悩み


『かをりのために私は何ができるのか?』


 ベッドに横になって天井を眺めていたら、ため息が漏れた。

 あれから三日が経ったが、私はずっと同じことを考えている。


 かをりの症状を考えれば、脳神経科か精神内科の範疇はんちゅうだろう。

 私は免疫・感染の分野ではそれなりの知識や経験を有しているが、脳神経や精神の分野となると大学のときに一般教養として勉強した程度だ。


「村上がいてくれたら……」


 弱気な言葉が口を突いた。「深見、俺に言わせれば、こんなもの病気のうちに入らないぞ」。同時に、自信たっぷりの台詞を口にする村上の姿が浮かぶ。


 SJWにも村上は存在する。南里医科大学の六年生で、来年四月、東都大学大学院で私と出会うこととなる。

 しかし、村上が脳科学の分野で頭角を現したのは、大学院に進学して十文字先生の教えをうようになってから。そんな先まで、かをりが苦しむ姿を指を咥えて見ているわけにはいかない。


 一旦現実の世界へ戻り村上からアドバイスをもらった後、再びSJWへ戻るというのはどうだろう? 一見良い方法に思えるが、不安がないわけではない。

 SJWから姿を消した私の存在をホストコンピューターはどのように扱うのか? 言い換えれば、辻褄つじつまを合わせるためにどんな策を講じるのか?

 失踪や死亡といった扱いをするならまだしも、元から存在しなかったことにしてしまわないだろうか? そうなれば、私と関わった者の記憶は修正を余儀なくされる。当然かをりの記憶からも私の存在が消えて無くなる。


 そんな中、再度私がSJWに姿を現したとしたらどうだろう。ホストコンピューターが私のことを「深見 真」と認識し「失踪していた深見真が奇跡的に戻ってきた」などと好意的に扱ってくれるだろうか?

 村上の「個人的な仮説」によれば、SJWを制御するホストコンピューターはかなり厳格だ。私が希望するような、甘い展開になるとはとても思えない。


「どうすればいい……」


 再びため息が漏れる。

 昨日かをりと電話で話した中では、あれ以来、例の症状は出ていないようだ。

 だからと言って、このまま放っておくわけにはいかない。何がきっかけとなって、この前のようなことが起きないとも限らない。


 普通に考えれば、医者に診てもらうのが得策だろう。「それなりの病院」で「それなりの医者」に診せることで「難病治癒」という条件が満たされるかもしれない。

 かをりはこの件で医者にかかったことはないと言っていた。試す価値は十分にある。ただ、どの病院へ連れて行けばいいのか? 取っ掛かりを間違えると取り返しのつかないことにもなりかねない。


「そうか……その手があった!」


 私は勢いよくベッドから飛び起きた。脳裏に「あること」が浮かんだから。

 それは、SJWへ出発する三ヶ月前、私が村上の研究所を訪れたときのことだった。


★★


「村上、私がSJWへ行ったらキミとは連絡が取れないのか?」


「無理だな。SJWから帰還するための信号を発することはできるが、意思の疎通を図ることはできない」


 不安な表情を浮かべる私に村上は淡々と答える。


「向こうでは一人でがんばらなければならないってことか……」


「頼れるのは自分だけだ。行くのも危険だが、行った後も危険な場所だ。それぐらいの覚悟がないと行けない場所だ」


 わかっていたことだが、村上にダメを押されると辛いものがある。


「まぁ、そう暗くなるな。『相談相手』ぐらいは用意してやれないことはない」


「相談相手?」


「お前の力になってくれそうなNPCを作るってことさ。もちろん、SJWの案内役のようなキャラは作れない。そんなもの作ったら、ホストコンピューターがすぐに消去しちまう。

 ただ、当時存在したキャラの性格付けを『より頼れる存在』としてプログラムすることはできる。もちろん、空を飛ぶとかコンピューター並みの演算をするとか人間離れした存在にすることはできない。また、当時確立していなかった知識や技術を持たせることもできない。そんなことをすれば、一発で消去される」


「村上、キミが何をやろうとしているのか見えないんだが……」


 私の問い掛けに村上は悪戯いたずらを成功させた子供のようにニヤリと笑う。


「深見、一九九三年当時、今の俺と同じくらい頼りになる脳科学の権威がいたのを覚えていないか? 

 お前はほとんど面識がなかったかもしれないが、俺はその人のことを誰よりもよく知っている。どんな論文を書いてどんな実験をしていたか。どんな知識やスキルを持っていたか。もちろん、どんなに怖くて、どんなに頼れる人だったのかもよく知っている」


 そのとき、私の脳裏に「ある人物」の顔が浮かび上がった。


「もしかして、十文字先生?」


「ビンゴ! 十文字卓人その人だ。先生について俺が知っているデータを任意入力して、お前のSJWの中の先生のキャラを確立させる。精神世界で迷ったとき、あれほど頼りになる人はいないぞ。どうだ、深見?」


 そのとき、改めて思ったことが二つある。

 一つは、やはり村上はすごい奴だということ。もう一つは、村上はどんなときも私のことを気にかけてくれているということ。


「ありがとう。村上」


「礼には及ばん。ただ、これは俺が個人的にやろうとしていることだ。他言無用にしてくれ。もちろん、十文字先生にも内緒だぞ。わかったな?」


★★★


 一九九三年当時の十文字先生は、東都大学大学院医学研究科教授で付属病院脳神経内科部長。弟子の村上が脳神経・精神医療の分野で第一人者と呼ばれるまでは、彼がこの分野の第一人者だった。

 脳神経と精神という、異なる分野を併せて研究する手法を確立し、それは村上をはじめ多くの研究者に継承され、二〇一五年のアメリカにおいてもスタンダードなものとなっている。


 そんな十文字先生を村上が忠実に再現しているとしたら、これほど頼りになることはない。かをりに対して効果的な治療を施してくれることも期待できる。

 あとは、十文字先生の検診予定を調べて空いている時間に予約を入れればOKだ。一般外来でいきなり部長クラスの検診を受けるのは難しいが、医学部の学生である私の名前で予約すれば、おそらく可能だ。


 次の日、大学へ行って十文字先生の予定を確認した。

 直近では、九月十日金曜日の午前中に検診の予定が入っている。

 私も予定があるわけではないので、かをりの付き添いとして同行することはやぶさかでない。午前九時に予約を入れた。予約をしている患者の合間に診てもらうイメージだ。


 ただ、大きな問題が一つある――どうやってかをりを病院へ連れて行くかだ。

 かをりは、自分が信頼していない者には心を開かない。ましてや、デリケートな部分を開けっ広げにするのだから、かなりの抵抗があるだろう。頑固な性格だけに一度ヘソを曲げたら説得するのは至難の業だ。


 自然な流れでかをりを病院へ連れていく手立てはないものか?

 それは、癖のある女性をヒロインに据えた小説に似ている。ありきたりなストーリーではヒロインの魅力を引き出すことはできない。期待外れの展開に読者はがっかりしてしまう。

 かと言って、あまりにも突飛でわざとらしい展開だと、リアリティがないことで読者は白けてしまう。効果的なイベントを絡ませながら、あくまで自然に進めていく必要がある。


「効果的なイベント……わざとらしくない展開……自然な流れ……いけるかも。いや、きっといける。やってみる価値はある」


 私の脳裏に「ある考え」が浮かんだ。

 階下で電話が鳴る音が聞こえる。

 時刻は午後九時過ぎ。かをりからの電話である可能性が高い。

 階段を下りると、電話の子機を手にした母が小さく頷く。私はいつものように子機を手に足早に和室へと向かった。


「こんばんは。かをり。ちょうど話したいと思っていたんだ」


「こんばんは。そうなの? 深見くん、何だかうれしそうだね。良い話?」


「良い話だと思う。私にとっても、かをりにとっても」


「じゃあ、かをりさんにも教えて。自分だけ楽しんでないでさ。早く、早く」


 ヒロインが期待を抱く中、私は大きく深呼吸をする。そして、について切り出した。


「かをり、箱根へ行こう。ロマンスカーに乗って」



 つづく

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