第15話 出発
★
「深見、『帰還システム』の件はスタッフから説明を受けたよな?」
村上はコーヒーカップを自分のデスクに置いて私の顔をジッと見つめた。
「さっき聞いたよ。SJWでは、私の左肩の上あたりに、五百円玉ぐらいの大きさの薄黄色の模様が浮かび上がる。ホログラムのようなもので、見えるのは私だけ。それに左手の薬指を近づけると指が同じ色に発光して、指先が模様に触れた瞬間、帰還信号が発せられる。信号を受けたスタッフはシンクロ状態解除のための
「OKだ。この前飲んだときにも話したが、お前とSJWのシンクロを強制的に断ち切る行為はNGだ。マウスを使った実験で個体のほとんどが精神に異常を来した。そこで、マウスをSJWにシンクロさせ一定時間が経過すると自動的に帰還信号を発信する実験を行った。結果として、
「わかってる。キミにはSJWでのことを報告する義務があるからね」
「じゃあ、そのことを踏まえて、俺の『個人的な仮説』を聞いてくれ」
村上の鋭い眼差しが私に向けられる。背中のあたりがぞくぞくする感覚を覚えた。村上の個人的な仮説を聞くとき、いつもこんな感覚を覚える。
「SJWは、お前の『脳内情報』と俺たちが調べた『現実の情報』により生成されているが、この二つに
それだけ言うと村上はコーヒーカップに口を付ける。
私はどこか拍子抜けした気分だった。
「……起こり得る話だとは思うが、改まって言う話なのか? それほど重大な話には思えない。『勘違いをした』と自分に言い聞かせて終わりじゃないのか?」
「お前の言うとおり、本人の勘違いで済めば何の問題もない。ただ、それで済まないような気がしてならない。例えば、一九九三年における携帯電話の普及率は一、二パーセントで、個人で持っている者はほとんどいなかった。機体がデカイうえに性能が悪く、費用対効果は最悪だった。そんな状況で、現代の携帯電話の性能の話や実際の使用体験を公言したらどうなると思う?
ホストコンピューターは、どの時代にどんな携帯電話がどのくらい普及しているかを認識している。にもかかわらず、未来に登場するはずの携帯電話が既に普及しているという『信憑性のある情報』が
携帯電話のように、社会生活にドラスティックな変化をもたらす、文明の利器に関する話題は間違いなくクロだ。SJWの秩序を
そこでだ。もし『微妙な言動があった』と思ったときは、即座に『勘違いだった』という意思表示をしてくれ。自分の非を認めるんだ。そうすれば、もともと『人間にとはミスがあること』を理解しているホストコンピューターは、おそらく問題視しないはずだ」
「もしホストコンピューターが問題視したら?」
私が不安そうに尋ねると、一呼吸間が空いて村上が口を開く。
「矛盾の原因として消去されるだろうな。どんなやり方をしてくるかはわからない。牢屋のような場所に幽閉されるかもしれないし、精神崩壊に陥るような攻撃を受けるかもしれない。もしかしたら、NPCと同じように記憶を操作されるかもしれない。
人間の体内に異分子が侵入したときのことをイメージすればわかりやすい。本来身体の中にあってはならないものは白血球による攻撃を受ける。白血球の役割をホストコンピューターが担うわけだ。
SJWにシンクロさせたマウスのうち、意識が回復しなかった個体もいくつかある。楽観的に考えれば『SJWで安らかに暮らしている』といった仮説が成り立つが、悲観的に考えると『精神自体が消滅している』のかもしれない」
しばらく言葉が出なかった。やはり村上の個人的な仮説は重い。ただ、これまでも彼の仮説のおかげで様々な対策をとることができた。今回も「聞いておいて正解だった」となる気がする。
「村上、ありがとう。キミの忠告をしっかり受け止めて、SJWライフをエンジョイしてくるよ」
「暗くならないのがお前のいいところだ。そんなお前だから、俺も包み隠さず話ができる。
コーヒーを飲みながら村上はおどけた様子で笑う。なんだかんだ言いながら、私のことを本気で心配してくれている。性格に難はあるものの最高に頼りになる奴だ。
『SJコード2015JHM-0001の準備が完了しました。関係者の方は至急第三コントロール室へお集まりください。繰り返します――』
施設内に一斉放送が流れる。出発の時間が近づいているようだ。
★★
第三コントロール室の中央には、生命維持装置・SJコンパートメントが設置されている。
私は、身体中に電極を貼り付けられ、その上からサウナスーツのような素材でコーティングされた状態で寝かされた。
薬が効いてきたのか眠くなってきた。この後、私は冷凍睡眠のような状態に置かれる。
「深見、そろそろだ。|Have a nice trip!(良い旅を) また会えるだろうからさよならは言わないぞ」
「わかってる。いろいろありがとう。行ってくるよ」
コンパートメントのカバーが下りて「LOCK」の赤い文字が点灯する。それは、私が戻ってくるまで解除されることはない。
『スピリット・ジャーニー・スタンバイ シンクロ三十秒前 カウントダウン・スタート 30.29.28.27.26.25.24――』
女性の声に似せた、コンピューターの音声がカウントダウンを開始した。
小さな窓を通して、右手でガッツポーズを作る村上の姿がぼんやりと映る。意識が薄らいでいく。
『――8.7.6.5.4.3.2.1 スピリット・ジャーニー・シンクロナイズ』
身体が宙に浮くような感覚を覚えた。
同時に意識を失った。
★★★
セミの声 ラジオの音
揺れる思い ZARD
一九九三年 七月三日 土曜日 晴れ
目を開けると、そこには懐かしい天井があった。
セミの声に混じって、ラジオの歌謡番組と思われる音声が聞こえてくる。流れているのは、ZARDの「揺れる思い」。大学の頃、好きだった女性ボーカリストだ。
起き上がって周りを見渡した。
ベッド、机、いす、ドレッサー、ステレオ、そして、小説の単行本が並ぶ本棚――ここは、実家の私の部屋に間違いない。
ドレッサーの扉を左右に開いて、扉の内側にある鏡を恐る恐る覗き込んだ。
そこには、口をぽっかりと開け、驚きを隠せない「深見 真」がいた。
顔に
「真! 土曜日だからっていつまで寝てるの? もう一時過ぎよ! ご飯片付けちゃうわよ!」
不意に、階下から女性の声が聞こえた。
それが誰なのかはすぐにわかった。
懐かしい声に導かれるように、私はゆっくりと階段を降りていく――揺れる思いを身体中で感じながら。
つづく(第2章へ)
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