第14話 秘密基地


 数ヶ月前、SJシステムのことを知った私は、直接村上と会って詳細を確認するとともに、仮想現実世界「SJW」へ行くことを要望した。

 最初は強く反対した村上だったが、私の熱意に負けて申し出を受け入れてくれた。

 関係者と調整を行った結果、私のプロジェクト参加が認められ、村上のマンションから程近い研究施設に呼ばれた私は、改めてSJWの詳細について説明を受けた。


 SJWを生成するには、単に被験者の潜在意識内に格納されている記憶を読み取って具現化するだけでは足りないらしい。

 プロジェクトを適切に進めていくためには、過去の世界をできるだけ正確に再現し、被験者にSJWを「現実」だと認識させることが重要とのことだった。

 大通りから一本道を入ったら真っ白で何もない空間になっていたというのは大きな問題であり、そうならないよう、被験者が行ったことのない場所や接触したことのない者の情報や、その時代に発生した事件や事故、世相や流行などを細かに取り込む作業が必要だった。


 ちなみに、被験者の記憶を読み取って具現化する作業は二ヶ月程度あればできるが、その他の情報を補足する作業は膨大な時間と多大な資金が必要となる。

 例えば、地域を「フロリダ州」、時代を「一九七〇年から十年間」に限定した場合、千人のスタッフが二十四時間交代で行ったとしても半年近くかかり、費用も人件費プラスアルファで百億円かかるそうだ。

 その話を聞いた瞬間、私は自分の考えが甘かったことを認識する。


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる私に村上が「ある提案」をする。


「深見、悪いが、今お前のSJWを生成する資金を捻出するのは無理だ。仮に資金ができたとしても、お前が生まれ育った東京とその周辺地域を十年カバーするSJWを生成するだけでも一年以上かかる。そんなに待てないだろう? 俺もお前から催促のメールを送りつけられるのは絶対に避けたい。そこで代替案だ」


 村上はカップのコーヒーを一口すする。


「実は、以前、当局の協力を得て、日本の『東京都・神奈川県・埼玉県』の『一九九三年から十年間』と、アメリカの『ニューヨーク州周辺』の『二〇〇三年から十年間』をサンプルに指定して、SJW構築のためのデータ収集を行ったことがある。

 十年間というのは、俺たちが決めている、一つの単位であってあまり意味はない。もしそれ以降のデータが必要になったら、追加調査を行ってコンピューターに入力すれば済む話だ。資金があることが前提になるがな。この代替案、どう思う?」


 SJWを作るのに莫大な資金と時間を要するというのは想定外だった。さらに、そんな金を使ってまで研究を進めることも驚きだった。

 ただ、SJプロジェクトの終着点が兵器開発だとすれば、その数字にも納得がいく。アメリカには「軍事的優位性を保つためには、いくら金をかけてもかけ過ぎることはない」といった思想があるのだろう。


「一九九三年と言えば、私が大学六年生になった年……村上と出会う一年前だ。理想を言えば、小中学生の頃が良かったが、贅沢ぜいたくは言っていられない。今の私の知識があれば、大学や大学院の授業は中学生が九九や初歩的な漢字を習うようなものだ。自由になる時間はいくらでもある。大学院ならバイトをして必要な資金も稼げる。それで問題はないよ」


 心なしか村上の顔にホッとしたような表情が浮かぶ。


「この後、お前の脳内情報を読み取る作業を行う。解析して具現化するのに約二ヶ月、さらに、サンプルのSJWにインストールして試験調整・確認作業を行うのに約一ヶ月かかる。順調にいけば、実験開始は六月末だ。俺たちもできるだけ早く進めたいが、研究スタッフの数にも限りがある。そこは理解してくれ」


「わかってる。無理は言わないよ」


 その後、私はSJWの仕組みについて説明を受けた。

 以前聞いていたとおり、SJWには無数の人が存在しそれぞれに人工知能AIが組み込まれている。

 自分が主人公となって敵を倒しながら冒険を進めるロールプレイングゲームRPGで、主人公以外のキャラクター「ノン・プレイヤー・キャラクターNPC」をイメージすればいいそうだ。

 ただ、RPGのNPCは決められた台詞のみをしゃべり、決められた行動しかとらないが、SJWの住人には「意思」があり、TPOに応じた行動をとる。また、学習することで技量が身に着いたり性格が形成されたりする。


 さらに、SJWには、現実の世界と同じく政府もあれば法律や秩序も存在する。主人公だからと言ってやりたい放題できるわけではない。

 生活していくためには、働いて金を稼ぐ必要があり、決まった時期に税金を納めなければならない。窃盗や殺人を犯せば警察に捕まり裁判を受けることとなる。

 要は、SJWの世界の私は王様でもなければ専制君主でもないということだ。

 もちろん、自分が王様として君臨するSJWを生成することは可能ではあるが、それには膨大な金と時間が必要となる。


 なお、村上から注意するよう言われたのは「身体を大切にすること」。SJWとシンクロしたプレイヤーは仮想現実のすべてを現実のように受け止める。それは、ホストコンピューターから送られる、無数の電磁情報を脳が受信することで可能となる。

 例えば、私がSJWでリンゴを食べたとする。そのとき、私の脳には「赤い」・「丸い」といった視覚情報、「表面がつるつる」・「噛んだときのシャリシャリ感」といった触覚情報、「甘酸っぱい」・「中心部が特に甘い」といった味覚情報、「微かに漂う甘い香り」といった嗅覚情報がそれぞれ伝えられ、その情報を受けた脳が「食べているのはリンゴ」といった結論を導き出す。

 同様に、高いビルから落ちたり車にはねられたりすると、その衝撃や痛みは痛覚情報として脳に伝わる。身体に直接衝撃はないが、痛みを感じた気になる。結果として、ショック死する可能性がある。

 仮想現実の世界ではあるが、現実世界にいるつもりで生活することを耳が痛くなるほど聞かされた。


 最後に私の記憶の読み取り作業が行われた。

 ベッドに寝かされ、首から上をすっぽり覆うような、大きめのヘルメットを被った。眠った状態が作業に適しているという理由で、投薬により眠りについた。

 五時間後に目が覚めたときには作業は完了していた。


★★


 二〇一五年六月某日、私は村上のマンションから黒塗りのベンツに乗せられた。一時間以上走ったが、その間、外の様子は見せてもらえなかった。

 車が止まってドアが開くと、そこは、背の高い樹木が生い茂る、密林のような場所。

 目の前には、壁にツタが絡みついた、高原のホテルを思わせる、瀟洒しょうしゃな建物が建っていた。


 スタッフに連れられて、エレベーターで地下二階へ降りた。

 SF映画に登場するような、スペースシャトルを打ち上げるための対策本部のような場所があった。

 壁にはいくつものモニターが設置され、様々な映像やコンピューターによる分析結果などが表示されている。

 パソコン端末がセッティングされたデスクが二十ほどあり、パソコンの数だけスタッフが配置されている。

 部屋の中央には医療用のCTスキャンのような機器が置かれ、その周りで村上と白衣をまとったスタッフ数人が話をしている。

 どうやら、それが私をSJWへ送り込むための装置らしい。


「深見、よく来たな。調子はどうだ?」


 私に気づいた村上が、コーヒーカップを手に近づいて来る。


「絶好調だよ。いつでもいける」


「そう焦るな。今システムの最終チェックをしているところだ。あと三十分ぐらいで終わる。まずは、お前をSJWへ無事に送り届けることが先決だ。そのために優秀なスタッフ二十人が全力を注ぐ」


 村上は、白衣のスタッフを目で追いながら、私をさとすように言った。


「しかし、驚くべき施設だよ。見た目は森の中のリゾートホテルなのに、地下にはスペースシャトルの打ち上げ本部みたいな部屋があるんだから。

 この階の案内図にもいくつか部屋があったし、エレベーターも地下四階までいけるようになっていた。SF映画のセットみたいだ。見方を変えればアリの巣にも見えるね」


「おいおい、アリの巣はないだろう。震度七の地震にだって耐えられるし、停電になっても瞬時に自家発電に切り替わるんだ。機器はコンピューターの制御により常に最適な状態が保たれている。お前の身の安全はスタッフ以上に保障されてる。『不慮の事故で一巻の終わり』なんてことは絶対にないから大船に乗ったつもりでいてくれ」


 出発を間近に控えているにもかかわらず、和やかな雰囲気が漂う。

 正直なところ、ここ数日不安がなかったと言えば嘘になる。それは施設に到着してからも変わらなかった。そんな私の心中を察したような、村上の言葉はとてもありがたいものだった。


「深見、直前になって申し訳ないが、話しておきたいことがある。オフィシャルな話じゃなく、あくまで『個人的な仮説』だ。少し気になることがあってな」


 時々村上は「個人的な仮説」という言葉を使う。しかし、私が知る限り、この仮説は仮説で終わった試しがない。そのほとんどは現実に当てはまっている。


 私は緊張した面持ちで村上の顔を見つめた。



 つづく

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