第11話 極秘事項


 マイアミビーチの裏通りにある日本料理店で、私たちは日本料理に舌鼓を打ちながら昔話に花を咲かせた。

 メールや電話で話はしていたものの、顔を突き合わせて話をするのは十五年ぶり。しかし、五分も経たないうちに雰囲気は当時のそれに戻っていた。


「最近十文字先生とは会った? 温厚で優しい人だったね。あんな先生が師匠だなんて村上が羨ましいよ」


「最近会ったのは一昨年だ。脳神経学会に参加するため日本へ戻ったとき、自宅に挨拶に行った。退官してすっかり丸くなって……何? 優しい人だと!? 深見、お前は何もわかっちゃいない。あの人はものすごく怖い人だ。どれくらい怖いかと言えば……はっきり言って『鬼』だ。

 見た目は温厚な紳士だが、拘り始めたら徹底的にやる。雷が落ちたのも数え切れない。『村上くん、医学をなめるんじゃありません!』とか『村上くん、それは患者を蚊帳の外に置いた自己満足です!』とか『村上くん、そんな中途半端な臨床試験ならやらない方がマシです!』とかな」


 村上はやれやれといった顔で苦笑いを浮かべる。しかし、その表情はどこかうれしそうだった。


「でも、十文字先生の指導があって今のキミがあるんだろ? 脳神経科学分野の第一人者で、世界でも名声を轟かせている『村上雅之』が」


「それを言われると弱いな。今の俺があるのは一にも二にも先生のおかげだ。東都大の大学院に来なかったら、俺は今頃しがない町医者か金持ちの女のヒモにでもなっていたよ。もちろんお前とも出会っていないから、友達なんて一人もいなかっただろうな」


 村上はその日三杯目の冷酒を一気に飲み乾す。


「お前の指導教官は最悪だったよな。感染症学研究室の白石。前任の杉山先生が身体を壊して代表を下りた後、まさかあいつが代表になるなんて思わなかった。得意の裏工作の賜物だな。あれは……。

 あいつが代表になることを知った瞬間、ため息が出たよ。『これで東都大の感染症学も終わった』ってな。反面教師としてはあれ以上の人物はいないけどな」


「そうだね。私はあの人からたくさんのことを教わった。父が教授だったときは、いつもコバンザメみたいにくっついて『借りてきた猫』みたいだったのに、父が大学を去った途端、自分が後継者みたいな顔をしていたからね。当然私への風当たりも強くて、父を引き合いに出してみんなの前で吊るし上げだよ。でも、あんなのが偉くなるなんて医局はわからないところだね」


「深見、よく四年間無事でいてくれた。よし! お前の無事に乾杯だ! おねえさん、クボタの純米大吟醸二つ! ついでに俺にはトイレを一つ!」


 良いことであろうと悪いことであろうと酒を飲む口実にしてしまうのが酔っ払いだ。そのときの村上も例に漏れず、十分過ぎるほどの酔っ払いだった。


★★


 トイレに立った村上が鼻歌を歌いながら戻ってきた。すっきりした表情を浮かべている。

 私はここぞとばかり、訊きたかったことを切り出した。


「『BLDプロジェクト』について教えて欲しいことがあるんだ」


 「BLD」とは「|Between Life and Death《生と死の間》」の略で二〇一一年から村上が携わっているプロジェクト。人間の脳の構造と精神の構造との相関性を分析し、「生」でもない「死」でもない第三の領域を明らかにしようというものだ。

 二〇〇四年にアメリカの神経科学研究所にて研究が始まったが、成果らしい成果もあがらず研究費も削減され、いつしか人々の記憶から消えていった。

 このプロジェクトの責任者として村上に声が掛かったのは、アメリカ政府が停滞した事態を打開しようとした狙いがある。

 当時の私は、そんな尻すぼみのプロジェクトへの参加を村上が承諾したことが不思議でならなかった。村上は金で動くような人間ではなく、無駄に時間を使うことを忌み嫌う人間だから。


「何かと思えば、そんなことか。BLDの内容はHPを見れば一目瞭然だろ? それ以外にも、お前には電話やメールでいろいろ伝えたよな? 頭でっかちのマスターベーションの研究ばかりでなかなか臨床展開が図れないとか、システムの責任者が自主性がなくて困っているとか。俺もいつクビになるかわからないよ」


 村上は、両肩を窄めておどけたポーズをとると、中居さんが運んできた冷酒を「待ってました」と言わんばかりに受け取った。


「それで? BLDについてお前が聞きたいことってなんだ?」


 村上は上機嫌で、その日四杯めの冷酒を口にする。


「『Spirit Journeyスピリット・ジャーニー』はもう完成しているのか?」


 村上のグラスを持つ手が空中で止まった。笑みが消え、瞳に鋭い眼光が宿る。それは酔っ払いのものではなかった。

 手に持っていたグラスを静かにテーブルの上に置くと、村上は重たそうな口を開いた。


「……なぜ、そのことを知っている?」


 口調もさっきとは別人だった。今交わしている言葉はさっきまで二人の間を飛び交っていたそれとは異質なものだ。


「NLプロジェクトのメンバーの知り合いにキミの研究のシステム部門に携わっていた人間がいた。彼と飲んだとき、偶然ある情報を得た。そして、その情報は私の興味を大いにそそるものだった。だから、私はある行動に出た」


「ある行動?」


「彼に報酬を払ってその情報の詳細を手に入れたんだ」


「……どこまで知っている?」


 村上の眼光が鋭さを増す。


第一段階フェイズ・ワンとして『人の潜在意識に眠る記憶を読み取ることで過去の世界を再現すること』。第二段階フェイズ・ツーとして『再現された世界と人の脳神経及び精神をシンクロさせること』。第三段階フェイズ・スリーとして『その世界を使って植物状態に陥った者の不要な記憶の除去及び必要な記憶の植え付けを行い回復を図ること』。そして、第四段階フェイズ・フォーとして『軍事兵器の――」


「それ以上言うな!」


 テーブルを叩く音と村上の怒号が私の言葉を遮った。村上は両手をテーブルについて荒々しい息をする。


「どうやら『はったり』じゃなさそうだ。お前は危険だ。極秘事項を知り過ぎている。アメリカ政府に知れたら身柄を拘束されるぞ」


 私はゴクリと唾を飲み込んだ。ただ、自分が危険な橋を渡っていることはBLDについて調べ始めたときから薄々わかっていた。


「出るぞ。深見。こんなヤバイ話は一次会でするものじゃない。詳しい話は二次会だ」


 席を立った村上は、不安そうな顔をする私を諭すように言った。



 つづく

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