第51話 2つの光


 無機質な電子音が飛び交う第二コントロール室。五十人のスタッフが真剣な表情でそれぞれのモニターを見つめる。

 カヲリが眠るSJコンパートメントの側面には黄色のランプが点灯し、下部から重低音が聞こえる。


 両腕を組んでデスクの前に立つ村上は、時折鋭い視線を正面のメインパネルへと向ける。

 表示された「3:15」という数字は、パンドーラ・エルピスが起動してから十二分が経過したことを意味する。

 トラブルが発生した形跡はないが、成果らしい成果があがった様子もない。部屋全体が重苦しい空気に包まれている。


 ――パンドーラ・エルピス稼働時間 残リ三分デス――


 コンピューターの音声が残り時間を告げる。カヲリの精神エネルギーの放出限界が三分を切った。

 村上は額の汗をぬぐう。口にこそ出さないが、どこか焦りの色が見える。

 私も他人ひとのことは言えない。五分を切ったあたりから心臓の鼓動が激しくなっている。

 村上のことを信じていないわけではないが、悪い想像ばかりが脳裏に浮かぶ。何もできない自分のことが、もどかしくてならない。


 ――パンドーラ・エルピス稼働時間 残リ二分デス――


 時間だけがいたずらに過ぎていく。システム責任者のジョージが眉毛をハの字にして不安そうな表情を浮かべる――そのときだった。


「小さな発光体が見えます! 映像をメインパネルへ転送します!」


 男性スタッフの一言に、全ての視線がメインパネルへと向けられた。

 最初は何も見えなかった。しかし、目を凝らすと、画面の左上に豆粒ほどの黄色い光があるのがわかった。


「ジョージ、変換エネルギーの光源の色彩設定は黄色でよかったか?」


「はい。黄色です。今映っているような色だと思われます」


「カヲリの識別信号とのマッチング結果は?」


「現在作業中です。あと五秒待ってください……マッチング結果は……九十三.八パーセント。カヲリ・ハートフィールドの精神体に間違いありません!」


 ジョージが声を震わせながら興奮気味に言うと、第二コントロール室は大歓声に包まれた。

 村上は右手のこぶしを握って何度もガッツポーズをとる。私は声にならない声をあげながら両手を天井へ突き上げた。


「パンドラの箱から希望が飛び出しやがった! ジョージ、パンドーラ・エルピスの稼働を停止しろ!」


「了解しました。パンドーラ・エルピスの稼働を停止します」


 ジョージがコンピューターの端末を操作する。SJコンパートメント側面のランプが黄色から青色へと変わる。


「カヲリのSJ座標は押さえたか?」


「はい。カヲリ・ハートフィールドのSJ座標は『X:109209、Y:789021、Z:990178』です」


「おいおい、六桁ギリギリじゃないか。虚無の空間っていうのはどれだけ広いんだよ? 七桁の座標に飛ばされていたらやばかったぞ。心臓に悪いな……しかし、考えようによっては、俺たちはツイテルってことだ」


 村上の顔に苦笑いのような表情が浮かぶ。


「カヲリの座標に帰還装置を固定しろ! それから、カヲリの精神エネルギーを使ってシールドを展開! エネルギーは残っているだろうな?」


「はい、大丈夫です」


「よし! 座標固定のうえシールド展開!」


「座標固定を完了しました。続いて、シールドを展開します」


 メインパネルに映し出された、黄色の球体の周りを赤色の光が覆い「OK」の文字が点灯する。それは、カヲリの精神体がシールドで保護されたことを意味する。


「これからカヲリ・ハートフィールドを帰還させる。帰還と同時に五感回復処理に入る。それから蘇生処理だ。みんな、最後まで気を抜くな!」


 スタッフの「ラジャー」という声と同時に、メインパネルに投影された、宇宙のような空間に、白い三次元の座標軸が浮き上がった。

 画面の中心には、赤色の光で覆われた黄色い球体が位置する。映画「スター・ウォーズ」に登場する宇宙船のコックピットにいるようだった。

 ジョージが帰還処理の準備が完了したことを村上に告げる。


「帰還処理開始だ!」


 村上の指示を受け、担当スタッフが端末の操作を開始する。

 メインパネルに表示された、XYZそれぞれの軸に表示された六桁の数値がゼロに向かって高速でカウントダウンを始める。

 SJ座標「0・0・0」がカヲリの身体の位置。六桁の数字がそれに近づいていく。X軸とY軸の数値はすでに「0」を示し、残るZ軸の数値も「1000」を切っている。


 全ての数字が「0」になり、コンパートメントに点灯していた青色のランプが赤色へと変わった。同時に「LOCK」の赤い表示が消灯する。あたりには、聞き覚えのある、サイレンのような音が鳴り響く。


「帰還処理完了だ。次は五感回復処理だ。さっきも言ったが、絶対に気を抜くな。五感が戻って蘇生ボタンを押すまでは仮死状態だからな」


 村上が真剣な表情でげきを飛ばす。スタッフからその日三度目の「ラジャー」の声があがった。

 メインパネルに五感を表す五本の棒グラフと、それぞれの回復度合いを示すパーセント表示が現れた。


★★


「深見、SJWへ送られたカヲリの精神体は身体へ戻った。これから五感の回復処理を行う。憶えてないか? お前がSJWから帰還するとき、何も感じない状態が少しずつ解消していったのを。あれが今行われている五感回復処理だ。

 メインパネルの五本のグラフが少しずつ百パーセントへ向かっているのがわかるだろう? 機能が少しずつ回復しているんだ。すべてが百パーセントになれば正常な状態となる。そのタイミングで蘇生処理ボタンを押せばOKだ。

 お前の場合、五感の回復は五分で完了したが、蘇生処理ボタンを押してから蘇生まで十五かかった。はっきり言って、冷や汗ものだった。そのおかげで、今回は冷や汗をかかなくて済みそうだ。あまり大きな声では言えないが、ここまでくれば、まず大丈夫だ。あと三十分もすればカヲリに会えるぞ」


 村上が私の耳元でささやくように言った。私は身体中の力が抜けていくのを感じた。

 蘇生が完了するまで気が抜けないのはわかっている。意識が戻ったとしても、後遺症が残る可能性があることも理解している。ただ、二度と会えないと思っていたカヲリが手を伸ばせば届くところにいる。もう少ししたら、あのときと同じように接することができる。


「深見、こちらの世界ではカヲリとは初対面なんだろ? 挨拶ぐらい考えておいたらどうだ? あっ、俺も初対面だよ。カヲリとは」


 村上の言葉にスタッフから笑いが起きる。

 メインパネルの五本のグラフはそれぞれ五十パーセントのラインに達しようとしている。

 スタッフの表情に余裕が感じられるのは、五感の回復が順調に進んでいる証拠なのだろう。


「今の状況は、パソコンで言えば、あるプログラムの機能を使えるようにするためのセットアップを行っているようなものだ。カヲリの意識を五感とリンクさせて、それぞれが正常な状態で機能するよう、基本的な作業を行っている。そのうえで、カヲリの意識を半ば強制的に引き出す。つまり意識を回復させる。

 この手法は、お前も知っている、十文字先生の『JT検査』を応用したものだ。SJシステムが機械的に処理するもので、お前が帰還したとき、既に経験している処理でもある。まず問題はない。

 しかし、その後はだ。例の事故の身体的後遺症、そして、虚無の空間をただよったことによる精神的後遺症がどの程度のものなのかは、蘇生した後でないとわからない」


 神妙な顔つきをする村上に私は笑顔で返す。


「ここまで来れたのは、キミのおかげだ。私の話を聞いてキミがすぐに動いてくれなかったら、今頃カヲリはどうなっていたかわからない。きっと最悪の状況も免れなかった。キミがカヲリを助けてくれたんだ。

 これからどんな過酷な運命が待ち受けていたとしても、二人でがんばっていくつもりだ。キミに感謝することはあっても、責めることは絶対にない。きっとカヲリも同じことを言う。ありがとう。村上」


 私の言葉に村上は私の肩をポンと叩いて背を向ける。照れたような様子が見てとれた。


★★★


「村上さん、システムの様子が変です」


 蘇生処理に携わっているスタッフの一人が怪訝けげんな表情を浮かべた。

 村上は慌ててメインパネルへ目を向ける。


「どのグラフも五十パーセントを超えたあたりで処理速度が鈍くなっています。今にも動きが止まりそうです。このまま処理がストップしたら……中途半端な状態で蘇生せざるを得なくなります!」


 確かに、どのグラフも動きが遅くなっているように見える。


「なぜだ? 深見のときは、こんなことはなかった……ジョージ、SJシステムにエラーは認められるか?」


「確認しましたが、ソフト部分にエラーはありません。正常に稼働しています。あるとしたらハード部分ですが、今のところは何も……」


 村上は眉間みけんしわを寄せて唇を噛むと、メインパネルをにらみつけた。

 視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚――それぞれが六十パーセントのラインで動きを止めている。

 この状態で蘇生させれば、五感すべてに重大な後遺症が残ることになる。


 そのとき、SJコンパートメントの下部で何かが光ったような気がした。

 注意深く眺めると、線香花火の火花のような光が見て取れた。



 つづく

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